デビュー当初から色っぽい魅力があった!中森明菜さんのヒット曲。
2023年9月7日 更新

デビュー当初から色っぽい魅力があった!中森明菜さんのヒット曲。

1982年にデビューし「花の82年組」の1人だった中森明菜さん。アイドルですがちょっとセクシーで色っぽい魅力がありましたよね。中森さんのヒット曲をまとめました。

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「スローモーション」でデビュー

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中森明菜さんは幼少の頃からバレエを習っていて、将来はダンサーになるのでは?と言われていたそうです。一方、美空ひばりさんのファンだった母の影響で歌手になりたいという夢を持つことになります。

6歳の誕生日の2日前にオーディション番組「スター誕生!」に出演。その後3度目の挑戦で合格したことで芸能界入りします。

「森アスナ」という芸名も検討されたのですが本人が「本名がいい」ということで「中森明菜」でデビューします。デビュー当初のキャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」でした。なかなかインパクトがありますね。

ワーナー・パイオニアと契約したことで1982年の16歳の時に「スローモーション」でデビューします。7月に発売される「プロローグ〈序幕〉」からの先行シングルとして発売。デビュー曲の候補は4曲あり、各レコード会社を回ったり、中森さんの母校の中学生にアンケートを取ったりして、最終的に「スローモーション」に決まりました。

初回盤には見開きカラーピンナップが付いていました。

作詞は来生えつこさん、作曲来生たかおさん。オリコン最高位は58位でしたが徐々にセールスを上げ7月と8月に最高位の30位を記録。ベスト100には39週ランクインしていました。

82年はアイドルの当たり年となり、のちに「花の82年組」(他に小泉今日子さん、松本伊代さんなど)と呼ばれるようになります。

「少女A」

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1982年7月には2ndシングル「少女A」をリリース。、売野雅勇さんが作詞し、芹澤廣明さんが作曲。デビュー曲とは雰囲気の違う一曲になりました。本人は「スローモーションの方が好き」とコメントしたこともあります。

オリコン最高位は5位で一気に知名度がアップします。この曲で第15回日本有線大賞 新人賞など数々の新人賞を受賞しました。

純真なアイドルが飽和状態にあったということもあり、中森さんは不良系アイドルとして売り出されることになります。「少女A」は「反社会」をテーマにした一曲。少年犯罪で実名報道を避けて「少女A」と報道されていることからこのタイトルに決まったそうです。歌詞の中では「普通の女の子」という意味で使われているような感じがしますね。

なかなか衝撃的な内容の歌詞でインパクトがありました。

「北ウイング」

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1984年には7枚目のシングル「北ウイング」をリリース。作詞は康珍化さん。作曲は林哲司さん。杉山清貴&オメガトライブの楽曲「SUMMER SUSPICION」を聞いた中森さんがこのコンビの楽曲提供を指名したそうです。タイトルも中森さんの提案で「北ウイング」に決まりました。デビューから2年でだいぶ楽曲に参加するようになったんですね。

「北ウイング」というのは新東京国際空港(成田空港)の第1ターミナルの北部分のことです。空港に行くと中森さんを思い出す人も多かったのではないでしょうか。

オリコン最高位は2位ですが、1984年の年間チャートで9位にランクインするロングヒットとなりました。

「飾りじゃないのよ涙は」

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1984年11月には10枚目のシングル「飾りじゃないのよ涙は」をリリース。こちらは井上陽水さんの作詞作曲です。元々はアルバム収録曲の予定だったのですが、井上さんが仮歌をうたい、素の楽曲が素晴らしかったのでシングルとして発売されることになります。

オリコン最高位は1位で1984年の年間チャートでも6位に入っているヒット曲となりました。シングルになってよかったですよね。中森さんの楽曲の中で「セカンド・ラブ」、「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」に次いで3番目に売れた楽曲でもあります。

「DESIRE -情熱-」

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1986年2月には14枚目のシングル「DESIRE -情熱-」をリリース。作詞は阿木燿子さん、作曲は鈴木キサブローさんです。

当初B面に収録される予定だったのですが中森さんの強い希望でA面になりました。こちらもオリコンチャート1位。1986年の年間チャートでも2位です。

パイオニア「PRIVATE CD 500AV」のCMソングにも起用されました。中森さんにとって初のCMタイアップだったんですよ。ここまでヒット曲を飛ばしてきたのに意外ですよね。

「TATTOO」

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1988年には21枚目のシングル「TATTO」をリリース。作詞は森由里子さん、作曲は関根安里さん。

オリコン最高位は1位。8枚目の「サザン・ウインド」から13作連続でオリコン1位だったんですよ。

この曲を音楽番組で歌う時はミニスカートを披露。中森さんはミニスカートは避けたかったそうですが、楽曲のイメージに合うということで切るべきだと判断したそうです。楽曲に対する意識がすごいですね。

その後も中森さんは数々の楽曲をリリース。1993年以降はレコード会社の移籍も繰り返していますが2016年まで楽曲リリースをされていました。

中森さんの楽曲を振り返ってみると、いろいろな人が作詞作曲されているというのもあり、楽曲の幅が広いですね。そしてインパクトに残る楽曲が多いです。これからも歌い継がれていくであろう名曲たちですよね。
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  • ムーンライト 2023/10/28 17:33

    身体つきも仕草もエロかった。
    キャッチコピーは、「ちょっと エッチな ミルキー娘」でしたが、
    ファンの間では、「思いっきり スケベな ミルキー娘」が定番でした。

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