【サッカー列伝】永遠のベビーフェイス岩本輝雄 顔に似合わず苦労続きの選手生活でした。
2016年11月25日 更新

【サッカー列伝】永遠のベビーフェイス岩本輝雄 顔に似合わず苦労続きの選手生活でした。

岩本輝雄。ベルマーレ平塚を皮切りに、初期のJリーグを盛り上げた元日本代表の10番。しかし、選手生活は怪我との戦いでした。

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岩本輝雄

岩本輝雄

見ての通りのベビーフェイス

見ての通りのベビーフェイス

ほんと甘いマスクですね

ほんと甘いマスクですね

経歴

岩本 輝雄(いわもと てるお、1972年5月2日 - )は、神奈川県横浜市金沢区出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。ベルマーレ平塚を皮切りに名古屋グランパスエイトを退団するまで6チーム(ベルマーレの前身、フジタを除く)に在籍した。

2004年に名古屋グランパスエイトを退団後、約2年間選手生活から遠ざかっていたが、2006年10月、ニュージーランドのオークランド・シティFCと契約を結び、12月に行われたFIFAクラブワールドカップのオセアニア地区代表として2試合に出場した。

ファルカン監督時代の日本代表では10番をつけてプレイした経歴を持つ技巧派で、左足のキックは高い精度と威力を誇った。

明るく天真爛漫な性格からスター性があり、多くのファンを持ち、Jリーグオールスターサッカーには6度出場している。
ベルマーレ平塚時代

ベルマーレ平塚時代

所属クラブ

1991年~1997年
フジタ工業→ベルマーレ平塚 (現在は湘南ベルマーレ)

1998年
京都パープルサンガ(現在は京都サンガ)

1999年
川崎フロンターレ

2000年
ヴェルディ川崎(現在は東京ヴェルディ)

2001年~2003年
ベガルタ仙台

2004年
名古屋グランパスエイト

2006年
オークランド・シティFC(ニュージーランド)

活躍

 (1561980)

ベルマーレ平塚

フジタ/ベルマーレ平塚時代、ニカノールヘッドコーチに見出され左サイドバックへコンバート、右サイドバックの名良橋晃と共に、どんどん攻撃参加する超攻撃的な両サイドバックとしてJリーグ昇格に貢献した。

ニカノールからは「守備がきちんとできれば日本一の左サイドバックになれる」と言われたほどだった(が、ついにそれを実現することはなかった)。

その活躍が認められ代表にMFとして選出された。
草創期のベルマーレを象徴するダイレクトプレーでの素早いサイド攻撃を牽引し、天皇杯優勝、1994年NICOSシリーズ2位など「ベルマーレ旋風」の原動力となる。
ベルマーレ平塚時代

ベルマーレ平塚時代

怪我

1995年、岩本輝雄さんは短期留学したブラジルで右足の甲を痛めました。

代表定着を失うと、リーグ戦では左膝の靱帯を痛めてしまい、筋を移植・半月板を一部切除するという大きな手術を2回も経験をしました。

そのため、岩本輝雄さんはアジアカップウィナーズカップの初制覇に同行出来無かったのです。

その後、岩本輝雄さんは色々なチームを次々と転々と移籍しましたが、

怪我がきっかけでレギュラーどころか定着もできずに、ヴェルディ川崎では岩本輝雄自信から自主退団をしています。
ベガルタ仙台時代

ベガルタ仙台時代

ベガルタ仙台~名古屋グランパスエイト

ヴェルディ川崎を退団して、半年後にベガルタ仙台へと入団します。
ここでは、アシストなどで貢献し、復調の兆しを見せます。

しかし、2004年の移籍先名古屋グランパスエイトで、以降ずっと悩まされる大怪我を抱えてしまいます。

そして、約2年、プロサッカーから離れ、タレント活動等をして過ごします。

岩本輝雄 40メートルFK - YouTube

ベガルタ仙台で、調子の良い頃に決めたスーパーシュート!
このキック力と制度が、彼の持ち味だと皆が再確認するようなゴールでした。
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