『燃えよドラゴン』のラスボス「ミスター・ハン」 鏡の間の戦いは幻想的な名シーン。
ハンの秘密部屋のラストステージ「鏡の間(鏡張りの部屋)」 鏡による幻想的な効果を生み出しました。
これが見事なハラハラさせる演出になりました。
鏡張りの部屋の幻想的な演出効果も高かった。
【必見】「燃えよドラゴン」メイキングフィルム - YouTube
『ドラゴン危機一発』(日本では1974年4月13日に公開) 『燃えよドラゴン』(1973年12月)に続いて公開されヒット!
『ドラゴン危機一発』(日本では1974年4月13日に公開)
日本では『燃えよドラゴン』に続いて1974年4月13日に劇場公開されている。
タイを舞台に、製氷工場を隠れ蓑にして麻薬を密売しているギャングの一味に、次々と従兄弟達を殺されたチェン(ブルース・リー)が怒りを爆発、ギャングのボス(ハン・インチェ)やドラ息子(トニー・リュウ)に復讐の闘いを挑む。
他の作品で有名になったリーの怪鳥音・ヌンチャクが登場しない作品。
『ドラゴン怒りの鉄拳』(日本では1974年7月20日に公開)
『ドラゴン怒りの鉄拳』(日本では1974年7月20日に公開)
霍元甲がその年創始した精武館(上海精武体育会の前身である上海精武体操学校がモデル)の愛弟子の陳真(ブルース・リー)は悲しみに暮れながらも師匠の突然の死に疑問を抱く。
時を同じくして始まった日本人柔道場からの執拗な嫌がらせ。ある夜陳真は、精武館に使用人として日本人スパイが紛れ込んでいる事を突き止め、やがて師匠の死の原因が、精武館を脅威だと感じた日本人柔道場主・鈴木寛(橋本力)の陰謀だと知り、陳真はたった一人で復讐の闘いへと向かっていく。
世界中の多くのファンにとってリーの最高傑作として認識されているが、『燃えよドラゴン』上陸時のインパクトや内容の問題により、日本ではそういった扱いをされることは少ない。
『ドラゴン怒りの鉄拳』(日本では1974年7月20日に公開)
ブルース・リーの初ヌンチャク
ヌンチャクは沖縄で古来より伝わる武器で、木や鉄でできており一撃で敵を倒す。ビュンビュン振り回すのは映画の演出である。香港映画に出演していた日本人俳優倉田保昭がリーと話をしている時、リー自身がヌンチャクのことを持ち出し、倉田がプラスチック製のヌンチャクを持っていたのでリーに贈呈したという。
倉田がインタビューなどで語るところでは、直接渡したのではなく後日人を介して届けたという。映画での派手な演出は、武術指導のハン・インチェと相談してつくりあげたという。怪鳥音はリハーサルの時にリーが偶然声を出したのをローが注目し映画で見るような独特の叫びとなった。
リーが発案したオープンフィンガーグローブをお互いが装着し、打撃戦で始まり腕絡みで終了するシーンは後の総合格闘技の原型になった。
因みに、最後に撮影されたシーンということであって、死期の迫ったリーの裸身は、明らかに本編格闘シーンのそれに比べて痩せているのが見て取れる。