テレビ朝日で放映した時は、日本人が悪役であることをぼかし、鈴木の名前も「リン」としている。そのため陳真が、吉田の弟が腹巻をしているのを見て、「貴様、日本人か」と詰め寄る場面も台詞が差し替えられていた。
『ドラゴンへの道』(日本では1975年1月25日に公開)
『ドラゴンへの道』(日本では1975年1月25日に公開)
弁護士を頼んだはずが、やってきたのはいかにも香港の田舎から出てきたばかりの風貌の青年。おまけに異国の地の言語・習慣の違いに戸惑いドジをふむタン・ロンに、初めのうちはチェンは呆れ、空手を嗜むジミー(ユニコーン・チャン)やトニー(トニー・リュウ)らレストランの従業員達は馬鹿にする。しかしある夜ギャングの送り込んだチンピラ集団をタン・ロンは鮮やかな中国拳法でいとも簡単に倒すと一転従業員から尊敬されるようになり、タン・ロンの飾らない性格にチェンは淡い気持ちを抱くようになる。
タン・ロンが加わった事でチェンと従業員達はギャングに立ち向かう決意を固めるが、叔父で調理担当のワンだけは頑なに反対。そのうちレストランの包囲、タン・ロンの暗殺計画、チェンの誘拐等、ギャングの手口はエスカレートしていくが、タン・ロンの拳法と機転によりことごとく失敗。
引き下がれなくなったギャングのボスは最終手段として、アメリカ人の屈強な空手の達人・ゴードン(チャック・ノリス)を呼び寄せる。ギャングの罠によってコロッセオに誘い込まれたタン・ロンは、ゴードンと一対一の決闘をすることになる。
他のブルース・リー作品では見られない明るさが目立ち、雑魚的な悪役はリーに叩きのめされても殺されないのが特徴である。
最後のブルース・リー/ドラゴンへの道 Bruce Lee Way of the dragon - YouTube
「ドラゴンへの道」のパブリシティ用写真。チャック・ノリスのサイン入り。
チャック・ノリスは、後に80年代を代表するマネー・メイキング・スターになる。超有名人。
“チャック・ノリス”という名詞は、もはや一俳優を表すものだけではなく一人歩きをしており、発祥となったインターネットを飛び越えて一般に、“強さ” “完璧さ”を表す慣用句とさえなっている。
ブルース・リーとチャック・ノリスの戦い 『ドラゴンへの道』Bruce Lee Vs Chuck Norris (The Way Of The Dragon 1972 HD) - YouTube
『死亡遊戯』(日本では1978年4月15日に公開)
『死亡遊戯』(日本では1978年4月15日に公開)
ドクター・ランドは、世界的なアクション映画スター、ビリー・ロー(ブルース・リー)と、彼の恋人であり歌手でもあるアン・モリス(コリーン・キャンプ)に終身契約を迫る。ビリーは『ドラゴンへの道』撮影中に天井から照明が落下してくるなどの脅しを受けるが、かたくなに契約を拒否する。
ついにしびれを切らしたランドはビリーを暗殺するように命じ、『ドラゴン怒りの鉄拳』のラストシーンの撮影中にビリーは顔を撃たれる。
ビリーの葬儀が盛大にとりおこなわれたが、実はビリーは一命を取りとめ自分を死んだことにしていたのだ。
アンの安否を気づかいながら、ランドへの復讐を決意するビリー。ビリーと国際シンジケートの戦いがはじまったのである。
ブルース・リーが1972年秋にクライマックスのアクション・シーンのみを撮影後中断、急逝により未完となった。
随所にリーの過去の映画のワンシーンからのカットが挿入されている。
映画最大の見せ場である長身のハキムとの死闘。
【フィギュア】没後40周年記念 死亡遊戯 1/3インフィニットスケールスタチュー ハイブリッドタイプ ブルース・リー(通常版:ブロンズプレート)
入念なリサーチにより、衣装やヌンチャク、靴、竹杖は、映画に登場したものを完璧に再現。
『ドラゴン怒りの鉄拳』でブルース・リーと共演することになったきっかけは、勝新太郎が『新座頭市 破れ!唐人拳』(昭和46年、安田公義監督)で王羽(ジミー・ウォング)と共演したことからだった。勝が王羽と親しくなり、王羽がゴールデン・ハーベストを通して、「今度アメリカから来た凄いやつが香港で出た一本目が、100万ドルの興行収入を得た。その第二弾を作りたいので、明治時代の悪い日本人の役の俳優を紹介してくれ」と勝に依頼。
これを受けた勝から、いきなり電話で「おい、これから麻雀やるから3万円持ってすぐ来い」と呼び出された橋本は、麻雀の誘いかと思ったが、3万円の意味が分からなかった。が、勝の誘いなので断るわけにいかず赴くと、「おい、実は香港に行ってほしいんだ」と言われた。電話で言われた3万円は渡航費だった。橋本は驚いたが、そのまま勝のロングカットの吹き替えを担当していた勝村淳と二人で香港へ向かった。広東語もできず、前知識もないままの渡航だったという。
不安な気持ちで香港に着くと、「橋本力・勝村淳大先生歓迎」とした幟が立っており、大映調布撮影所時代に日本の映画を学ぶため助監督をしていた人物が出迎えてくれた。この人が滞在中は通訳兼世話係を務めてくれたので、少し安心できたという。次に撮影所で羅維(ロー・ウェイ)監督に会ったが、「スケールの大きい大物だなと思った」という。
つぎに主演のブルース・リーと会ったが、大変に歓迎してくれたという。その印象として「凄い敏捷な感じ。ものすごくキビキビした感じの礼儀正しい人だった」と語っている。映画自体は香港映画の通例として脚本も台本もなく、「とにかく悪役なんだ、お前はブルース・リーがやる役の仇! 仇! 仇の人間なんだ」とそれしか指導がなかった。セリフも先述の通訳から聞いた内容を自分で日本語にあてはめたといい、映画の内容は全く把握できなかった。
この映画では日本人が袴を前後逆にはいているが、橋本がこれを指摘しても衣装係が「こっちのほうがいいから」と押し切ってしまった。悪役で眼鏡をかけた柔道の先生は明治大学出身で、日本語がペラペラだったという。
ブルース・リーとの立ち回りでは、橋本の側は勝村が殺陣をつけ、ブルース・リーのほうは自分流の形があるので、それを受けるだけなので特に苦労はなかったという。刀の構えは、「一番目立つ立ち回り」ということで示現流を使っている。リーは自分の立ち回りに関してはかなり監督に注文をつけていて、監督よりリーの主張のほうが強かったという。リーとロー・ウェイは仲が悪かったというが、橋本は特に二人のケンカなどは見なかったという。