秘めたるポテンシャルは計り知れず、母になっても輝き続けた1等星・ベガ
2019年11月9日 更新

秘めたるポテンシャルは計り知れず、母になっても輝き続けた1等星・ベガ

1993年、クラシック戦線に突如現れたシンデレラガール。彼女は瞬く間に階段を駆け上がり頂点へと昇り詰めました。彼女の名はベガ。桜花賞とオークスを制し、牝馬クラシック2冠に輝いた名牝です。その競走生活はわずか1年半と短いものでしたが、競走馬としてだけでなく繁殖牝馬としてもそのポテンシャルは計り知れないものでした。今回はベガをご紹介します。

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ローズステークスの回避を余儀なくされ、ぶっつけでエリザベス女王杯に臨むことになったベガ。しかしベガの調子はなかなか上がってきません。なかなか満足のいく調教を行うことができなかったのです。陣営が試行錯誤を繰り返し10月も半ばを過ぎた頃からようやく調子を上げていきます。何とかエリザベス女王杯出走までこぎ着けました。

レース当日は、ベガが中間の調整過程に狂いが生じたこともあり、ローズステークスを勝って勢いに乗るスターバレリーナが1番人気に。ベガはそれに次ぐ2番人気でレースを迎えます。レースではいつも先団につけていたベガがこの日は中団より後ろを追走することに。最後の直線、懸命に追い上げますが3着までが精一杯。勝ったのは9番人気の伏兵・ホクトベガでした。ベガは3冠牝馬になり損ねてしまいます。

競馬中継でホクトベガがゴールした瞬間、アナウンサーが叫んだ言葉が今でも耳に残っています。「勝ったのはベガはベガでもホクトベガ~!!」

成績不振、そして引退へ

牝馬3冠を逃したベガでしたが、その後も1度狂ってしまった歯車が元に戻ることはありませんでした。エリザベス女王杯後に臨んだ古馬との初対決、有馬記念で9着に敗れると年明け初戦の産経大阪杯も1番人気に支持さるも9着に惨敗。結果的にラストランとなってしまった宝塚記念も13着に敗れてしまいます。

宝塚記念のレース後、左前脚に骨折が判明。一旦放牧に出ましたが、そのまま引退することが決まり、繁殖牝馬となることになりました。通算成績は9戦4勝、うちGI2勝。全ての能力を発揮できぬままベガのわずか1年半という短い競走馬生活は幕を閉じたのです。

第2の馬生スタート、受け継がれる血

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繁殖牝馬となり、第2の馬生をスタートしたベガ。やはり並みの馬ではありませんでした。初年度と2年目の相手は社台グループが社運を賭けて導入した期待の新種牡馬・サンデーサイレンス。初年度の種付けを行う頃にはサンデーサイレンスの初年度産駒が早くも爆発的な活躍を見せていました。

そして誕生した長男の名は、アドマイヤベガ。この長男が早くも結果を出します。GI・日本ダービーを勝ったのです。次男・アドマイヤボスGⅡ・セントライト記念を勝つなどの活躍を見せ、三男・アドマイヤドンは父をティンバーカントリーに替え、芝・ダートのGIを合わせて7勝もする大活躍を見せます。

その下となるキャプテンベガは重賞にこそ手が届かなかったものの、重賞戦線で息の長い活躍を見せ、ベガは繁殖牝馬としても底知れないポテンシャルを見せたのです。ベガは最後の産駒となったヒストリックスターを産んだ翌年の2006年8月16日、くも膜下出血のためこの世を去りました。まだ16歳という若さでした。

結局ベガが残した産駒はわずかに5頭。最後の産駒となったヒストリックスターは不出走に終わりましたがそのまま繁殖牝馬となり、ディープインパクトとの間にハープスターという怪物牝馬を誕生させます。ベガの血は脈々と受け継がれているのです。

その秘めたるポテンシャルは計り知れず

競馬 アドマイヤドン 2002 JBCクラシック

たらればになってしまいますが、もしベガがもっと長生きして産駒を輩出していたらあと何頭のGI馬が誕生していたのか。もしディープインパクトとの間に産駒が誕生していたらどんな凄い馬になっていたのか。それはもう知る由もありません。本当にその早過ぎる死が残念でなりません。

競走馬として、繁殖牝馬としてベガのその秘めたるポテンシャルを計り知ることはできませんでした。今なお輝き続ける1等星・ベガの血をこの先も絶やすことなく受け継いでいって欲しいと願わずにはいられません。
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