「メジロラモーヌ」(1985年中央競馬デビュー)1986年に中央競馬史上初の牝馬三冠を達成
メジロラモーヌ(1985年中央競馬デビュー)1986年に中央競馬史上初の牝馬三冠を達成
メジロラモーヌは日本の競走馬。1986年に桜花賞、優駿牝馬(オークス)、エリザベス女王杯を制し、中央競馬史上初の牝馬三冠を達成した。1985年度優駿賞最優秀3歳牝馬、1986年度同最優秀4歳牝馬。1987年顕彰馬に選出された。半弟に1989年高松宮杯の勝利馬メジロアルダン(父アスワン)がいる。
1986年4月6日 クラシック初戦「桜花賞」
4月6日に迎えた桜花賞では、5枠13番で単枠指定を受け、オッズ1.6倍の1番人気となった。競走前には焦れ込む様子を見せたが、レースでは中団に付けると第3コーナーから先団に進出、直線で早めに抜け出し、追い込んだマヤノジョウオに1馬身3/4差を付けて優勝、クラシック初戦を制した。
メジロ牧場にとって初のクラシック制覇であり、競走後の記念撮影では、河内が馬上で北野豊吉の写真を掲げた。また、後に「桜花賞男」と称される河内にとっても、これが最初の桜花賞勝利であった。
メジロ牧場にとって初のクラシック制覇であり、競走後の記念撮影では、河内が馬上で北野豊吉の写真を掲げた。また、後に「桜花賞男」と称される河内にとっても、これが最初の桜花賞勝利であった。
1986年5月18日 優駿牝馬(オークス)
当日は桜花賞の人気を上回る支持を集め、単勝オッズは1.4倍まで下がった。
レースではスタートで躓き後方からの運びとなる。しかし埒沿いの最短距離を通って徐々に先団に進出すると、最後の直線半ばで先頭に立ち、ユウミロクに2馬身半差を付けて優勝。
テイタニヤ以来10年振りの牝馬クラシック二冠を達成した。
その競走内容は野平祐二より「オークス史上稀に見る強さ」と評され、河内はインタビューにおいて「テスコガビーを超えたと思う。本当に強い馬やな」と語った。
レースではスタートで躓き後方からの運びとなる。しかし埒沿いの最短距離を通って徐々に先団に進出すると、最後の直線半ばで先頭に立ち、ユウミロクに2馬身半差を付けて優勝。
テイタニヤ以来10年振りの牝馬クラシック二冠を達成した。
その競走内容は野平祐二より「オークス史上稀に見る強さ」と評され、河内はインタビューにおいて「テスコガビーを超えたと思う。本当に強い馬やな」と語った。
メジロラモーヌは中央競馬史上初の牝馬クラシック三冠を達成
メジロラモーヌ エリザベス女王杯 1986 - YouTube
11月2日にエリザベス女王杯を迎えたが、後の奥平の回想では、その状態は「70%くらいの調子」であった。本競走の前身・ビクトリアカップの創設以来初めての牝馬三冠達成が懸かり、当日の単勝オッズは1.3倍と圧倒的な1番人気となった。
レースでは3番手の一団を進んだが、河内ラモーヌはゴールまで800m地点の第3コーナー下り坂から仕掛け、先頭に並んだ。一部には早過ぎるスパートとも映り、テレビ中継のアナウンスを行っていた杉本清は「河内、河内、早いのか、これでいいのか」と実況した。
最後の直線では先頭を保ったが、ゴール前で脚が鈍り、直後に追い込んだスーパーショットが馬体を接した。しかしクビ差凌ぎ切り、4歳牝馬路線が整備されて以来、初めてとなる三冠を達成した。
ラモーヌは三冠各競走のトライアル競走も全て制していることから「完全三冠」とも評された。また、この賞金の加算分で、獲得賞金が牝馬として初めて3億円を突破し、当時の歴代賞金女王ともなった。
レースでは3番手の一団を進んだが、河内ラモーヌはゴールまで800m地点の第3コーナー下り坂から仕掛け、先頭に並んだ。一部には早過ぎるスパートとも映り、テレビ中継のアナウンスを行っていた杉本清は「河内、河内、早いのか、これでいいのか」と実況した。
最後の直線では先頭を保ったが、ゴール前で脚が鈍り、直後に追い込んだスーパーショットが馬体を接した。しかしクビ差凌ぎ切り、4歳牝馬路線が整備されて以来、初めてとなる三冠を達成した。
ラモーヌは三冠各競走のトライアル競走も全て制していることから「完全三冠」とも評された。また、この賞金の加算分で、獲得賞金が牝馬として初めて3億円を突破し、当時の歴代賞金女王ともなった。
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名実共に歴史的な牝馬との評価を受けているものの、唯一古牡馬と対戦した有馬記念で大敗したこともあり、「牡馬相手に通用するレベルではなかった」と評する者もいる。
一方で、有馬記念では競走中に明確な不利があり、着順が実力ではないとする見解は関係者内外を問わず多い。
河内洋は1999年に雑誌『Sports Graphic Number』が行ったアンケートにおいて、ニホンピロウイナー、オグリキャップ、サッカーボーイなどの騎乗馬を差し置き、ラモーヌを自身が騎乗した内の最強馬として挙げており、「4歳で引退したので分からない部分もあるが、牡馬よりも強かったことを証明したかった」と述べている。
また、奥平も自身が手掛けた管理馬の最強馬であるとし、調教師の栗田博憲は史上最強牝馬として名を挙げた。
また、美しい馬体と容姿についての評価が高い。メジロ牧場社長の北野雄二は「仔馬の頃から黒光りする綺麗な馬で、何とも言えない雰囲気があった。小さかった娘が『この馬と写真を撮りたい』とせがむほどだった」と回想しており、競馬漫画家のよしだみほは、「美しさと強さとをこれだけ完璧に並び持った馬は、長い歴史の中でもそうそう見つからないだろう」と評している。
「ノースフライト」(1993年中央競馬デビュー)「マイルの女王」GIレース2勝・マイルの競走で5戦全勝
ノースフライト「マイルの女王」(1993年に中央競馬でデビュー)
1993年に中央競馬でデビュー。翌1994年に安田記念、マイルチャンピオンシップと二つのGI競走を制覇し、同年のJRA賞最優秀5歳以上牝馬に選出された。
特にマイルの競走で5戦全勝という成績を残し、「マイルの女王」と称され、ファンからは「フーちゃん」の愛称でも親しまれた。
競走馬引退後の1995年より繁殖牝馬。競走馬として大成した産駒は出なかったものの、種牡馬となったミスキャストがGI競走優勝馬を出している。
特にマイルの競走で5戦全勝という成績を残し、「マイルの女王」と称され、ファンからは「フーちゃん」の愛称でも親しまれた。
競走馬引退後の1995年より繁殖牝馬。競走馬として大成した産駒は出なかったものの、種牡馬となったミスキャストがGI競走優勝馬を出している。
GI・安田記念(1994年)ノースフライトは世界の強豪馬を相手に強い競馬を見せて優勝
(平成6)1994 安田記念 「ノースフライト」 - YouTube
外国勢にはスキーパラダイスのほか、1000ギニーやジャック・ル・マロワ賞などの優勝馬サイエダティ(イギリス)、フォレ賞の優勝馬ドルフィンストリート(イギリス)、ミドルパークステークス優勝馬ザイーテン(UAE)といったGI級の実績馬が揃い、ジャパンカップにも見劣りしないほどのメンバーとなった。
武は当日1番人気となったスキーパラダイスに騎乗し、5番人気となったノースフライトの騎手はエリザベス女王杯でも騎乗した角田晃一が務めた。
武は当日1番人気となったスキーパラダイスに騎乗し、5番人気となったノースフライトの騎手はエリザベス女王杯でも騎乗した角田晃一が務めた。
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スタートが切られるとノースフライトは出遅れて後方からのレース運びとなったが、先行勢が競り合いながら進んだ結果、1000メートル通過は日本レコードから0.5秒差の56秒9という非常に速いペースで推移。
ノースフライトは後方から最終コーナーで先団に取り付くと、最後の直線の残り200メートル付近で先頭に立ち、そのまま2着トーワダーリンに2馬身半差をつけてGI初制覇を果たした。
走破タイム1分33秒2は競走史上2番目の記録(当時)。これは調教師の加藤にとっても初めてのGI制覇だった。加藤は「会心の競馬」と語り、角田は「世界の強豪馬を相手にこれだけ強い競馬をするんだから、本当に凄い馬ですよね」とノースフライトを称えた。
ノースフライトは後方から最終コーナーで先団に取り付くと、最後の直線の残り200メートル付近で先頭に立ち、そのまま2着トーワダーリンに2馬身半差をつけてGI初制覇を果たした。
走破タイム1分33秒2は競走史上2番目の記録(当時)。これは調教師の加藤にとっても初めてのGI制覇だった。加藤は「会心の競馬」と語り、角田は「世界の強豪馬を相手にこれだけ強い競馬をするんだから、本当に凄い馬ですよね」とノースフライトを称えた。
GI・マイルチャンピオンシップ(1994年) 「マイルの女王」のノースフライトと「スプリント王」のサクラバクシンオーの最終決戦を制する
1994年11月20日(日) 1回京都6日 天候: 晴 馬場状態: 良
11R 第11回 マイルチャンピオンシップ ノースフライト
3歳以上・オープン・G1(定量) (混) 芝 1600m・外 14頭立
11R 第11回 マイルチャンピオンシップ ノースフライト
3歳以上・オープン・G1(定量) (混) 芝 1600m・外 14頭立
ノースフライト マイルチャンピオンシップ 1994 - YouTube
1994年11月20日、目標のマイルチャンピオンシップに出走。戦前にはこの競走を最後としての引退が発表された。サクラバクシンオーとの再戦となったが、マイルの距離ではノースフライトが優位と見られ、単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持された。サクラバクシンオーが3.3倍で続き、3番人気のフジノマッケンオーは11倍超と大きく離されていた。
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スタートが切られると、サクラバクシンオーは3番手、ノースフライトはその後ろにつけた。
第3コーナーからペースが上がり、最後の直線入口でサクラバクシンオーが先頭に立つが、ノースフライトが直線半ばでこれを捉え、1馬身半差で勝利した。走破タイム1分33秒0は、従来の記録を0秒3更新するコースレコード。
同一年度に安田記念とマイルチャンピオンシップを連覇したのは1985年のニホンピロウイナー以来9年ぶり2頭目の記録だった。
第3コーナーからペースが上がり、最後の直線入口でサクラバクシンオーが先頭に立つが、ノースフライトが直線半ばでこれを捉え、1馬身半差で勝利した。走破タイム1分33秒0は、従来の記録を0秒3更新するコースレコード。
同一年度に安田記念とマイルチャンピオンシップを連覇したのは1985年のニホンピロウイナー以来9年ぶり2頭目の記録だった。