【音速の末脚】フサイチコンコルド
2016年11月25日 更新

【音速の末脚】フサイチコンコルド

フサイチコンコルドその持ち合わせた個性がゆえに、ファンも多かった馬である。そして、たった5戦でターフを去ってしまった。その姿はまさに音速のコンコルドのようだった。

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典型的な近親配合

フサイチコンコルド 
1993年に生まれ。いわゆる「持ち込み馬」である。
母バレークイーン 父カーリアン
父カーリアンはヨーロッパで供用され日本に輸入された中には、シンコウラブリィ、エルウェーウイン、ビワハイジなどがいる。
母バレークイーンは現役時代不出走で繁殖牝馬となっている。
フサイチコンコルドの母・父ともにノーザンダンサー系の馬でしかも祖父が共通するというかなり濃い配合であった。このような近親配合場合は優れた能力が強く遺伝するが半血が濃い分虚弱体質になる事が多く、日本ではあまり好まれない配合であった。
そして、またフサイチコンコルドも洩れることなく極度の虚弱体質であった。
しかし、フサイチで有名な関口氏の目にとまり、栗東の小林稔調教師に預けられる事となった。

豪快なオーナー関口房郎氏

フサイチの馬を語るうえで欠かせないのはオーナーの関口氏だろう。
ファンサービス精神も旺盛で豪快なオーナーだった。
関口房郎 - Bing images (1558313)

メイテック時代、同社の女性従業員から「実家の牧場にいる競走馬を買って欲しい」と懇願されたことを契機に、馬主としてのキャリアがスタートした。以来、関口の所有馬である“フサイチ”ブランドは、中央競馬を中心に活躍馬を送り出した。

フサイチコンコルドは1996年の日本ダービーにデビューわずか3戦のキャリアで優勝したことで大いに話題を集めた。2000年にはフサイチペガサス(Fusaichi Pegasus)がケンタッキーダービーに優勝し、アメリカ競馬でもダービーオーナーとなった。ケンタッキーダービー制覇は日本人馬主としては初の快挙であった。

良い馬を買うためには金に糸目をつけず「高い馬ほどよく走る」との持論を展開した。2003年にはサンデーサイレンス最後の産駒(母・セトフローリアンII)を3億3000万円で落札。同馬は関口がテレビ番組『ジャンクSPORTS』に出演した際に、司会の浜田雅功が関口と同じ兵庫県尼崎市出身という縁で命名することを許可、フサイチジャンクと馬名申請され、また同馬の預託厩舎を、国内外問わず一般公募したことでも話題となった。その結果、同馬はJRA栗東トレーニングセンターの池江泰寿調教師によって管理されている。

翌2004年7月に開かれた北海道・苫小牧での競走馬競り市「セレクトセール2004 サラブレッド当歳(0歳)馬の部」において、「エアグルーヴの2004」(父・ダンスインザダーク、母・エアグルーヴ。2006年8月31日に「ザサンデーフサイチ」と命名)を4億9000万円で落札し購買。競走馬競り市の当時国内最高額を記録した。同年にアメリカ・ケンタッキー州で行なわれた競り市では、ストームキャットを父に持つ1歳馬をそれぞれ800万ドル(約9億円)、340万ドル(約3億7400万円)で購入した。「ミスターセキグチ」と命名された前者はアメリカのボブ・バファート厩舎、「フサイチギガダイヤ」と命名された後者はJRA栗東の森秀行厩舎に預託されたが、いずれも芳しい成果を挙げることはできなかった。

所有馬が優勝した際、ファンサービスを兼ねて握手を求める多くの競馬ファンに対して気さくに握手をするなど、競馬ファンへの意識は高いものがあった。株式会社FDO(フサイチ・ドリーム・オペレーション)を設立し、競走馬関連情報サイト「フサイチネット」を運営。2005年11月3日に名古屋競馬場で開かれた第5回ジャパンブリーディングファームズカップ(JBC)は、FDOが冠協賛スポンサーとなり「フサイチネットJBC」として開催されたが、関口は「ファンから地方競馬の窮状を救ってほしいという意見を頂いているので、レースの協賛スポンサーに就任させていただくことにした」と話している。また、同日の大井競馬場でも1日まるごとプロデュースを行った。

それ以降、地方競馬振興にも力を注ぐようになり、みずからの所有馬を岩手、佐賀に預託することを宣言。また中央競馬からの転厩馬を船橋や笠松に預けた。

2007年4月28日に開催されたばんえい競馬においては、全12レースに協賛。一部を除いた地方競馬ではなじみになった個人協賛ではあるが、開催全レースの協賛は前代未聞である。

2007年9月にブルームバーグテレビジョンに出演した際に「高額馬への投資はもうやめる」と発言したのを皮切りに、2008年6月には「フサイチネット」のWebサイト休止を発表、同年10月ごろに重賞勝ち馬フサイチアソートを含む所有馬の数頭を突如手放すなど、馬主としての活動を縮小。残り少なくなった所有馬から2010年3月には松田国英厩舎に預託していたザサンデーフサイチ・フサイチセブンの2頭が大津地方裁判所に差し押さえられ、この時点で「経済的に苦境に陥っており馬主活動の継続は厳しい」と見る関係者も多かった。2011年9月にJRAに登録されていた競走馬(フサイチナガラガワ)が登録抹消され、JRAに所有馬はいなくなった。また、地方競馬の所有馬も、船橋競馬場に所属していたフサイチクローバーが2013年8月5日に地方競馬登録を抹消されたことでいなくなった。これにより、関口は事実上馬主から撤退している状態となっている。

遅れたデビュー戦

フサイチコンコルドのデビュー戦は遅く、3歳の1月京都競馬場であった。1番人気に支持されたフサイチコンコルドはデビュー戦を勝利する。しかし、フサイチコンコルドには弱点があった、栗東への輸送中に肺炎になり、その影響からくる「逆体温」である。
フサイチコンコルド - Bing images (1558397)

逆体温

普通、競走馬は午前中に体温が低く、午後に体温が上がる。これが逆転してしまう症状の事。逆体温になると狙い通りに体調の調整が出来ず、狙い通りのローテーションを組む事が出来にくくなる。

己との闘い。ダービーまでの道のり

フサイチコンコルド - Bing images (1558398)

デビュー戦勝利後、フサイチコンコルドは3月のすみれSを快勝する。この時点で、賞金的に皐月賞への出走を可能とした。しかし、小林調教師は虚弱体質で逆体温持ちのフサイチコンコルドを無理に何度も輸送することは危険と判断し、皐月賞を回避し目標を日本ダービーに設定をする。そして、その年に新設されたダービートライアルのプリンシパルSに向け調整された。しかし、東京へ輸送後に熱発を発症し、同レースを回避した。この回避によりダービーへの出走が微妙な立場となった。同じ馬主のフサイチシンイチは賞金的にダービーへの出走が可能であったが、小林調教師・関口氏共にシンイチを出走回避してでも、コンコルドを出走させたいと考えていた。そして、何とか2頭とも出走が可能となったが、東京への輸送でまたもや熱発を発症し、一時期出走回避を考えるなど直前まで己との闘いがあった。

そして、競馬の常識を覆す

そして迎えた日本ダービー。
1番人気はダンスインザダーク、2番人気ロイヤルタッチ、3番人気イシノサンデーと続いた。キャリアわずか3戦、臨戦過程が嫌われて、「西の秘密兵器」といわれたフサイチコンコルドは7番人気だった。
スタート直後は少し後ろのポジションを取った。1番人気のダンスインザダークは先行三番手。これをみた藤田騎手が向こう正面でポジションをあげる。3コーナーではダンスインザダークの後ろにつけ直線へ。先に抜け出しを図るダンスインザダークを見てラストスパートしたフサイチコンコルドは藤田騎手の渾身のムチに答えゴール前で見事差し切りを見せる。
わずか3戦での日本ダービー制覇!日本競馬の常識が覆された。
この偉業を成し遂げたフサイチコンコルドをファンは「和製ラムタラ」と異名をつけた。
欧州三冠馬ラムタラ

欧州三冠馬ラムタラ

ラムタラ(Lammtarra, 1992年2月2日 - 2014年7月6日)は、アメリカ合衆国で生産され、イギリスとアラブ首長国連邦ドバイで調教された競走馬。イギリスと日本では種牡馬としても供された。

1994年にデビュー。初戦を勝利したのち、翌1995年春に長期休養明けでイギリスのクラシック競走・ダービーステークスに優勝。その後夏から秋にかけて、古馬(4歳以上馬)を交えたイギリスの最高格競走・キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス(以下、「キングジョージ」と記述)と、同様のフランスの競走・凱旋門賞を無敗のまま制覇し、1971年のミルリーフ以来、史上2頭目のヨーロッパ三大競走完全制覇を達成した。通算成績は4戦4勝。

競走馬引退後はイギリスで種牡馬入りしたが、1996年に日本の生産者団体が3000万ドルで購買、日本へ導入されたことで、競馬を離れた一般の耳目も集めた。しかし期待された産駒成績は挙がらず、2006年にイギリスへ買い戻され、以後は同地で余生を送った。

馬名は古アラビア語とされるが、訳は定まっておらず、英語では「invisible(目に見えないもの)日本語では「決して見ることがない、「神の見えざる力」といった訳がある。また、石川ワタルは「無敵 (invincible) 」という意味であると紹介している。管理調教師の殺害や、自身の生命の危機の克服、その戦績と馬名との連想などから、日本においては「奇跡の名馬」または「神の馬」とも紹介された。

二冠を目指して

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