練習のし過ぎで過労で倒れて入院したり右耳の難聴を乗り越えるなどの超努力家だったカズ山本さん。
1995年の開幕早々、プレー中に右肩を亜脱臼してしまい、戦線離脱を余儀なくされます。ダイエー移籍後46試合しか出場出来ずにシーズンが終わってしまいます。
そして、年俸が高過ぎたこともあり、事実上の戦力外通告を受け自由契約となります。
1996年に古巣近鉄へ移籍。「2億円もカズ山本も福岡に置いてきた。近鉄は古巣というよりルーキーの気持ちで頑張る。会社がいらないと言うまでやりたい」と語り、カズ山本から山本和範の本名に戻します。
そして同年のオールスターゲームに初めてファン投票で出場。決勝ホームランを放ちお立ち台で涙したのは感動的でした。
1995年の開幕早々、プレー中に右肩を亜脱臼してしまい、戦線離脱を余儀なくされます。ダイエー移籍後46試合しか出場出来ずにシーズンが終わってしまいます。
そして、年俸が高過ぎたこともあり、事実上の戦力外通告を受け自由契約となります。
1996年に古巣近鉄へ移籍。「2億円もカズ山本も福岡に置いてきた。近鉄は古巣というよりルーキーの気持ちで頑張る。会社がいらないと言うまでやりたい」と語り、カズ山本から山本和範の本名に戻します。
そして同年のオールスターゲームに初めてファン投票で出場。決勝ホームランを放ちお立ち台で涙したのは感動的でした。
波乱万丈過ぎるプロ野球カズ山本!幻の巨人入りや戦力外通告も経験。ハンデに負けない不屈の男でした! - Middle Edge(ミドルエッジ)
カズ山本(山本和範)は南海ホークスや近鉄で活躍したプロ野球選手。難聴のハンデにも負けず、オールスターでのホームランや地元福岡での活躍が記憶に残っています。波乱万丈だった彼の野球人生を振り返ります。
与田剛
与田 剛(よだ つよし、1965年12月4日 - )は、福岡県北九州市生まれ、千葉県君津市育ちの元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ。現在は中日ドラゴンズの監督。1999年から2000年までの登録名は「与田 剛士」(読み同じ)。妻は元TBSアナウンサーの木場弘子。
via www.amazon.co.jp
157km/hの球速を計時して当時の日本人プロ最速を記録し、その剛速球から剛球投手と呼ばれた与田さん。
しかし、リリーバーを続けるうちに肩・肘への負担が選手寿命を縮めるパターンに陥り、4年目以降は右肘痛のため思うような成績を残せませんでした。
痛み止めを打ちながら投げ続けた無理が祟ったことや、監督の酷使により選手生命を縮めてしまったととも言われています。
1998年に日本ハムにテスト入団したのですが、キャンプ終盤肘を故障してしまいます。遊離軟骨除去手術を受けました。その後も腰痛などに苦しみ引退することになります。
与田さんは怪我の後に主だった復活を遂げてはいませんが、その剛速球のインパクトの強さから選出してみました。プロ1年目の鮮烈な活躍とその後の不調がはっきりしていた方ですが、復活して欲しかった名選手だったと思います。
しかし、リリーバーを続けるうちに肩・肘への負担が選手寿命を縮めるパターンに陥り、4年目以降は右肘痛のため思うような成績を残せませんでした。
痛み止めを打ちながら投げ続けた無理が祟ったことや、監督の酷使により選手生命を縮めてしまったととも言われています。
1998年に日本ハムにテスト入団したのですが、キャンプ終盤肘を故障してしまいます。遊離軟骨除去手術を受けました。その後も腰痛などに苦しみ引退することになります。
与田さんは怪我の後に主だった復活を遂げてはいませんが、その剛速球のインパクトの強さから選出してみました。プロ1年目の鮮烈な活躍とその後の不調がはっきりしていた方ですが、復活して欲しかった名選手だったと思います。
157km/hの「剛球投手」・与田剛 そのスピードゆえに肩や肘の故障と闘った野球人生でした - Middle Edge(ミドルエッジ)
「剛球投手」・与田剛。剛速球を投げる新人として、異例のオールスター先発を果たすなど華々しいデビューを果たしました。しかし、その後は怪我に苦しみます。そんな波乱万丈な投手与田剛の野球人生を追います。
前田智徳
前田 智徳(まえだ とものり、1971年6月14日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)、野球解説者。熊本県玉名市(旧玉名郡岱明町)出身。
via www.amazon.co.jp
1995年の頃から勤続疲労などでアキレス腱の痛みが酷く、毎試合テーピングは必須だった前田さん。同年のプレー中、一塁への走塁時に右アキレス腱を断裂する大怪我を負ってしまい選手生命の危機に陥ります。
「俺の野球人生は終わった」「前田智徳という打者はもう死にました」などの発言からも判る様に、絶望の淵に前田さんは居たのではないでしょうか?
しかし、前田さんの凄いところはアキレス腱断裂を大きな転機とし、腐らなかったところだと思います。
打撃でチームに貢献し、2007年に日本人としては史上38人目となる2000本安打を達成。
素晴らしい打撃フォームであったことから、あの落合博満さんが「真似していいのは前田だけだ」と言っていたそうです。
男を感じさせる生粋の野球人でした。
「俺の野球人生は終わった」「前田智徳という打者はもう死にました」などの発言からも判る様に、絶望の淵に前田さんは居たのではないでしょうか?
しかし、前田さんの凄いところはアキレス腱断裂を大きな転機とし、腐らなかったところだと思います。
打撃でチームに貢献し、2007年に日本人としては史上38人目となる2000本安打を達成。
素晴らしい打撃フォームであったことから、あの落合博満さんが「真似していいのは前田だけだ」と言っていたそうです。
男を感じさせる生粋の野球人でした。
イチローが惚れた男〈天才打者前田智徳〉 - Middle Edge(ミドルエッジ)
あの有名なメジャーリーガーイチローが憧れた天才バッター「前田智徳選手」についての紹介、生き様をお見せしたいと思います。
怪我から復活した野球選手をまとめてみて
怪我から復活した野球選手はいかがだったでしょうか?
もしかしたら「あの選手」や「この選手」などが抜けてしまっているかもしれませんが、どうかご容赦ください。
それにしても、今回選出してみた10人の選手は、どの方も目頭が熱くなるエピソードを持ってらっしゃいましたね。
スポーツ選手には怪我はつきものだと思いますが、それが選手生命に関わることが多く、皆さん大変苦労をされていることが良く判りました。
また勉強して野球の記事を書きたいと思っていますので、今後ともご購読頂けます様お願い致します!
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
もしかしたら「あの選手」や「この選手」などが抜けてしまっているかもしれませんが、どうかご容赦ください。
それにしても、今回選出してみた10人の選手は、どの方も目頭が熱くなるエピソードを持ってらっしゃいましたね。
スポーツ選手には怪我はつきものだと思いますが、それが選手生命に関わることが多く、皆さん大変苦労をされていることが良く判りました。
また勉強して野球の記事を書きたいと思っていますので、今後ともご購読頂けます様お願い致します!
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
八 2021/6/8 10:35
元大洋・遠藤一彦や元中日・谷沢健一もいます(いずれもアキレス腱断裂から復活)。