長年の謎解明 二種類の「桜餅」の違い
小さいころ、隣りのおばちゃんに「お茶受けに桜餅買ってきて」と頼まれ
近所の和菓子屋で買って持っていったところ
「これ桜餅ちゃうわ」と言われたことがありまして。
長年意味わかんなかったんですが、
今回調べてみて、やっとわかりました
(もっと前に調べろよというツッコミはなしで)。
近所の和菓子屋で買って持っていったところ
「これ桜餅ちゃうわ」と言われたことがありまして。
長年意味わかんなかったんですが、
今回調べてみて、やっとわかりました
(もっと前に調べろよというツッコミはなしで)。
「桜餅」と言われたら、どっちを思い浮かべる?
via ja.wikipedia.org
via ja.wikipedia.org
上の「道明寺」桜餅は関西風、
下の「長命寺」桜餅は関東風と言われています。
隣りのおばちゃんは関西出身のひとだったので、
私は長命寺を買って行って「ちゃうわ」と言われたわけです(涙
起源も全く違います。
下の「長命寺」桜餅は関東風と言われています。
隣りのおばちゃんは関西出身のひとだったので、
私は長命寺を買って行って「ちゃうわ」と言われたわけです(涙
起源も全く違います。
道明寺のさくらもち
道明寺(どうみょうじ)は、道明寺粉を用い、桜の葉で包む桜餅。伝統で典型的なものの一つ。大阪府藤井寺市に材料の道明寺粉の由来にもなったという同名の寺がある。
道明寺というのは、糒(ほしい 乾飯、干飯とも書く)のこと。
糒は、戦国時代に兵糧として使われた保存食の一種です。
これを、藤井寺にある「道明寺」の神前に供えていたもち米を原料にして作ったところ、
評判がよく、これを聞いた秀吉が(また秀吉だよ!)
この糒を「道明寺」と呼ぶよう令状を出しました。
で、この糒を粉にしたものを「道明寺粉」と呼ぶのです。
糒は、戦国時代に兵糧として使われた保存食の一種です。
これを、藤井寺にある「道明寺」の神前に供えていたもち米を原料にして作ったところ、
評判がよく、これを聞いた秀吉が(また秀吉だよ!)
この糒を「道明寺」と呼ぶよう令状を出しました。
で、この糒を粉にしたものを「道明寺粉」と呼ぶのです。
長命寺のさくらもち
長命寺は、江戸時代、向島にあったお寺。長命寺という名前は三代将軍家光の命名です。
そこで門番をしていた山本新六という人が
隅田川の堤に植わっている桜の葉の掃除に苦慮していて
なんとか有効利用できないものかと考えだしたのが
「桜の葉の塩漬け」(最初はしょうゆ漬けだったようですが)。
1717年、山本屋という菓子屋を門前にかまえ、
もち粉を伸ばして焼いた皮で餡を包み、桜の葉の塩漬けで巻いて
花見客に出したのが、長命寺の桜餅の起源です。
当時のことは多くの草紙や浮世絵にも書かれていて
これが「桜餅」と呼ばれるお菓子のもとになりました。
そこで門番をしていた山本新六という人が
隅田川の堤に植わっている桜の葉の掃除に苦慮していて
なんとか有効利用できないものかと考えだしたのが
「桜の葉の塩漬け」(最初はしょうゆ漬けだったようですが)。
1717年、山本屋という菓子屋を門前にかまえ、
もち粉を伸ばして焼いた皮で餡を包み、桜の葉の塩漬けで巻いて
花見客に出したのが、長命寺の桜餅の起源です。
当時のことは多くの草紙や浮世絵にも書かれていて
これが「桜餅」と呼ばれるお菓子のもとになりました。
桜餅の道明寺、長命寺の分布図。西日本で島根だけ突出して長命寺派が多くなるの不思議。 pic.twitter.com/sWjP4aB24S
— 木天蓼屋夏梅 (@anagumapenguin) March 28, 2016
関東はおおむね長命寺みたいですが
全国的には道明寺が一般的なんですね。
秋田と島根だけ「断然長命寺」なのが
面白いね。
秋田はわかんないけど
島根は、最初は道明寺だったのが
松江藩元家老の有沢宗閑が
江戸風のものを作らせたので
御城下にそれが広まったらしいです。
全国的には道明寺が一般的なんですね。
秋田と島根だけ「断然長命寺」なのが
面白いね。
秋田はわかんないけど
島根は、最初は道明寺だったのが
松江藩元家老の有沢宗閑が
江戸風のものを作らせたので
御城下にそれが広まったらしいです。
道明寺と長命寺。
どっちもお寺の名前だしなんか似てるし。
間違えるのもやむなしって感じです。
どっちもおいしいからべつにいいんだけど。
どっちもお寺の名前だしなんか似てるし。
間違えるのもやむなしって感じです。
どっちもおいしいからべつにいいんだけど。
とってもニューカマーな「いちご大福」
そして「いちご大福」。
和菓子の歴史の中ではダントツに新しいですよね。
考案され販売されたのは昭和後期です。
和菓子の歴史の中ではダントツに新しいですよね。
考案され販売されたのは昭和後期です。
まあ、いちごが春の定番商品ですから
冬から春にかけての季節限定和菓子です。
「うちが元祖!」と主張している和菓子屋はいっぱいあって、起源は諸説あります。
冬から春にかけての季節限定和菓子です。
「うちが元祖!」と主張している和菓子屋はいっぱいあって、起源は諸説あります。
比較的近年に登場したにも関わらず、発祥を巡っては様々な説が存在し、全国各地で多くの店が元祖であることを表明しているが、いずれも定かではない。
「元祖」を名乗る和菓子屋は、東京都新宿区住吉町「大角玉屋」(商品名は「いちご豆大福」[1])、東京都板橋区「一不二」、群馬県前橋市「金内屋」、三重県津市「とらや本家」、三重県伊賀市「欣榮堂」、滋賀県大津市「松田常盤堂」など多数存在するが、昭和後期になって登場した新しい商品であることは間違いない。
なんでも1987年の「ザ・ベストテン」のなかで
司会の黒柳さんが、「ちかごろいちご大福っていうのが出た」と
ゲストにふるまった回があるそうで
そのあたりで登場したのではないかと言われています。
司会の黒柳さんが、「ちかごろいちご大福っていうのが出た」と
ゲストにふるまった回があるそうで
そのあたりで登場したのではないかと言われています。