忠臣蔵を題材にした映画・ドラマの中で「大石内蔵助」を演じた印象に残る俳優①【1960年代中旬以前】
2017年12月5日 更新

忠臣蔵を題材にした映画・ドラマの中で「大石内蔵助」を演じた印象に残る俳優①【1960年代中旬以前】

毎年年末になると町の映画館や茶の間のテレビでは必ずと言って良いほど色々な形で取り上げる「忠臣蔵」。映画やドラマは勿論のこと、ドキュメンタリー番組然り、バラエティ番組然り、日本に住んでいる人なら誰もが一度は見ているであろう「忠臣蔵」。ここでは映画やテレビの中で「忠臣蔵」の中心人物である大石内蔵助を演じた俳優を私の記憶と一緒にを辿ってみましょう。

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毎年年末になると町では”ジングルベル”と”討ち入り”の話題でもちきりだった。

吉良邸討ち入り。二代目山崎年信画、1886年

吉良邸討ち入り。二代目山崎年信画、1886年

毎年年末になると、私が住んでいた町の近くの繁華街にある映画館では上記のような「忠臣蔵」のポスター看板があり、その横で”ジングルベル”の音楽を鳴らしながら、威勢の良い声で「クリスマスケーキはいかがですか?」と山ずみされたケーキの前で叫んでいた光景が目に浮かぶ。
ある本によると、映画館で初めて「忠臣蔵」が上映されたのは1907(明治40)年12月の『忠臣蔵五段目』だそうで、大石内蔵助には第十一代目片岡仁左衛門が演じ、彼が襲名披露した記念に撮影されたそうだ。私が見たかって? 勿論、見てましぇん!!

本題の前にちょっと『忠臣蔵』に関する基礎のおさらい!!(ご存知の方は飛ばし読みして下さい)

まず、『忠臣蔵』とは??

忠臣蔵(ちゅうしんぐら)とは、 人形浄瑠璃(文楽)および歌舞伎の演目のひとつで、1748年に大阪で初演された『仮名手本忠臣蔵』の通称。また歌舞伎や演劇・映画の分野で、江戸時代元禄期に起きた赤穂事件を基にした創作作品。
なお、脚色された創作であるため、史実としての赤穂事件とは異なる部分もある(赤穂事件参照)。
必ずしも『忠臣蔵』=『赤穂事件』ではないんですよ!!
「仮名手本忠臣蔵 夜討人数ノ内 堀辺弥津兵衛 堀辺弥次...

「仮名手本忠臣蔵 夜討人数ノ内 堀辺弥津兵衛 堀辺弥次兵衛肖像」 歌川国貞画

現代で言えば、ブロマイドってとこかな!?

ならば、『赤穂事件』とは??

江戸時代中期の元禄14年3月14日(1701年4月21日)、江戸城殿中松之大廊下で赤穂藩藩主・浅野長矩(内匠頭)が高家肝煎・吉良義央(上野介)に刃傷に及んだことに端を発する。この一件で加害者とされた浅野は即日切腹となり、被害者とされた吉良はお咎めなしとなった。その結果を不服とする赤穂藩国家老・大石良雄(内蔵助)をはじめとする赤穂浪士(赤穂藩の旧藩士)47名、いわゆる「赤穂四十七士」(あこうしじゅうしちし)は、紆余曲折のすえ元禄15年12月14日(1703年1月30日)未明に本所・吉良邸への討ち入りに及び、見事その首級をあげる。そしてその後の浪士たちの切腹までの一連の事件を総称して、今日の史家は「赤穂事件」と呼んでいる。
本所松坂町の吉良邸跡

本所松坂町の吉良邸跡

吉良さんのご冥福をお祈りします!!。
花岳寺の義士墓所

花岳寺の義士墓所

47士のご冥福もお祈りします!!。

では、何故今も人気なのか??

この質問には人によって色々な答えがあるようですが、そもそも「赤穂事件」を肯定的に考えるのか、否定的に考えるのかにより雲泥の差がある。私個人としては肯定的な立場に属するのですが・・・。
この「赤穂四十七士」討ち入りに関しては単なる吉良個人への復讐ではなく、十分な調査もせずに即日お家取りつぶしという一方的な刑罰を下した幕府(政府)に対する赤穂浪士の「復讐」だと思う。そして、その後浄瑠璃や歌舞伎となり庶民の人気を博す、つまり現在で言うと月9ドラマで人気を博したのと同じ感覚だ。
多分、赤穂浪士と同じ位かそれ以上にお上(政府)に不満を抱く庶民の多くが抑圧されている自分たちの代りに良くやってくれたと思っていたからこそ人気になったのでしょう!!。
人気の秘密は悪役として描かれる吉良を、苦渋苦難に耐え忍ぶ赤穂浪士がついにやっつけるという現代の「やくざ映画」や「ヒーロー物」に共通する「勧善懲悪」や「おしん」の「忍耐」といった大衆に受ける要素を兼ね備えていたからだ。また浪士が一矢報いた後、名誉の切腹を遂げたのは日本人が大切に思う「潔さ」にあい通じるのではなかろうか!?。

否定的な意見もある!!

下記のような否定的な意見があるが、評価は読者の方々にお任せします!!。
1、主君の浅野が変人!!。
 ・現代でいうと、国会で刃物を振り回すような行為で、そのような人物は信用できない。
2.殺しすぎ。
 ・史実では吉良家は死者16人、負傷者20人余を出している。今こんなことやったら大変な
  騒ぎになる。
3.吉良上野介は名君?
 ・地元では、吉良上野介は名君だったといわれているが、ドラマでは完全に悪役にされて
  いて、真相があいまいである。
4.吉良上野介は被害者。
 ・松の廊下の事件では、吉良上野介は明らかに被害者。なのに何故憎まれるのか?逆ギレ
  ではないのか?
5.復讐が楽しい?
 ・復讐に命をかけるわけですが、それがそんなに意義あることなのか?復讐をして相手を
  殺害したところで空しさだけが残ると思うのだが・・・??。
 ・主君が吉良上野介に殺害されたのならともかくも、事実は逆で吉良上野介が主君に殺され
  そうになった訳なのに、それで主君の仇を討ったといえるのか?
などなど・・・。

では、そろそろ本題に戻りましょう!!

忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻 [DVD]

忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻 [DVD]

まずはトップバッターとしては、私が物心が付いた頃、この「忠臣蔵」の大石内蔵助役で出演していた片岡千恵蔵が印象に深く残っている。
実は片岡千恵蔵が大石内蔵助として主演した映画が4本もあり、それは年代順に言えば、3番目の大作になる。
豪華絢爛! 東映が総力を結集して放つ世紀の時代劇巨編! 刃傷松の廊下、内匠頭切腹、城明渡し、祇園の放蕩、南部坂の別れ、吉良邸討ち入り、お馴染みの名場面を網羅。150名のスターで描く3時間2分の忠臣蔵決定版!!
片岡千恵蔵の他、中村錦之助、美空ひばり、市川右太衛門が出演していて、往年の大スターを知っている方々にとっては、よだれが出るほど見たくなる一品だ。
片岡 千恵蔵(かたおか ちえぞう)

片岡 千恵蔵(かたおか ちえぞう)

本名 植木 正義(うえき まさよし)
別名義 片岡 十八郎
片岡 千栄蔵
植木 進
生年月日 1903年3月30日
没年月日 1983年3月31日(80歳没)
出生地 群馬県新田郡藪塚本町(現在の太田市)
死没地 東京都港区
職業  俳優
ジャンル 歌舞伎、映画、テレビドラマ
戦前・戦後期にわたって活躍した時代劇スターで、同時代の時代劇スターである阪東妻三郎、大河内傳次郎、嵐寛寿郎、市川右太衛門、長谷川一夫とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた(これに月形龍之介を含めて「七剣聖」と呼ぶ場合もある)。出演作品は300本を超える。演技そのものは歌舞伎の要素が強かったような気がする。
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