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「ヤングおー!おー!」は爆発的な人気を獲得し、松竹芸能が独占していた上方のお笑い勢力図を逆転させた。
吉本興行は、入ったばかりの桂三枝のおかげで大儲け。
桂三枝、笑福亭仁鶴、横山やすし・西川きよしは「吉本御三家」
笑福亭仁鶴、桂三枝、月亭可朝は「上方落語三羽ガラス」
と呼ばれた。
桂三枝は、落語家としても、また吉本のトップ争いということでも、漫才師である横山やすし・西川きよしをライバル視。
「ヤングおー!おー!」でブレイクした明石家さんまは、ある日、西川きよしに
「昼飯に僕が何をごちそうしたか三枝君にいうたげて」
と聞かれ、
「重亭のハンバーグをいただきました」
と答えると、西川きよしは目をむきながら
「あそこのハンバーグ、なかなかいい値段するよな」
すると桂三枝が
「重亭のハンバーグなんかでエエのんか?
もっといいもんを食べに行くか?」
といい、吉本の権力争いに巻き込まれた。
吉本興行は、入ったばかりの桂三枝のおかげで大儲け。
桂三枝、笑福亭仁鶴、横山やすし・西川きよしは「吉本御三家」
笑福亭仁鶴、桂三枝、月亭可朝は「上方落語三羽ガラス」
と呼ばれた。
桂三枝は、落語家としても、また吉本のトップ争いということでも、漫才師である横山やすし・西川きよしをライバル視。
「ヤングおー!おー!」でブレイクした明石家さんまは、ある日、西川きよしに
「昼飯に僕が何をごちそうしたか三枝君にいうたげて」
と聞かれ、
「重亭のハンバーグをいただきました」
と答えると、西川きよしは目をむきながら
「あそこのハンバーグ、なかなかいい値段するよな」
すると桂三枝が
「重亭のハンバーグなんかでエエのんか?
もっといいもんを食べに行くか?」
といい、吉本の権力争いに巻き込まれた。
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明石家さんまの先輩、西川のりおは、先に「ヤングおー!おー!」に出演して
「オーメン!!」
というギャグでブレイク。
明石家さんまに
「兄さん、すごいですね」
といわれていた。
しかし明石家さんまが大ブレイクし、どこに行っても声をかけられ、女性ファンに群がられるのをみて、
「俺のオーメンはどうなったんや」
番組プロデューサーの
「ザ・ドリフターズみたいなんをやれ。
ウケたらコーナーを持たせてやる」
という指示で、西川のりお、上方よしお、B&B、ザ・ぼんち、明石家さんまの7人がコントユニットを結成し、前説を担当。
西川のりお、島田洋七、ぼんちおさむの3人が舞台で好き勝手に暴れるのをみて、吉本興業の林正之助会長は
「あのバイ菌どもを、はよ降ろせ。
2度と出すな」
と激怒。
それを聞いた7人は、自らユニット名を「ビールス(Virus)7」と命名。
明石家さんまは、のりお、洋七、おさむの荒くれ者3人と、よしお、洋八、まさとの傍観者3人、合計6人の先輩のコントロールし、仲裁に入り、機嫌をとり、殴られ、
「初めて大人の汚い世界をみた」
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月亭八方も、林家小染、桂きん枝、桂文珍という落語家ユニット、
「ザ・パンダ」
を結成し、舞台で女の子にキャーキャーいわれ、お茶の間のアイドルとなった。
「ヤングおーおー!」は、コント、フリートーク、ゲームが中心で落語はまったくなかったが、
『落語家の道を選んだのに・・・』
などという抵抗感はゼロ。
持ち前の瞬発力で笑わせていった。
「どっちかというとテレビの方が楽なんです。
落語は1人コツコツ修行して高座でも1人きりですが、テレビや舞台は仲間も一緒やから楽しい。
楽で楽しく、その上ギャラもいい」
落語は、たまになんば花月やうめだ花月で前座をやるくらい。
稽古時間は少なく、演れる演目も少なく、舞台で目の肥えた客の冷たい視線を感じ、上方落語協会会長の笑福亭松鶴に
「テレビばっかり出やがって」
と叱られ、
「つらいわ」
とこぼすと先輩落語家に怒られ、月亭八方は、ますます落語以外の仕事にのめり込んでいった。
「ザ・パンダ」
を結成し、舞台で女の子にキャーキャーいわれ、お茶の間のアイドルとなった。
「ヤングおーおー!」は、コント、フリートーク、ゲームが中心で落語はまったくなかったが、
『落語家の道を選んだのに・・・』
などという抵抗感はゼロ。
持ち前の瞬発力で笑わせていった。
「どっちかというとテレビの方が楽なんです。
落語は1人コツコツ修行して高座でも1人きりですが、テレビや舞台は仲間も一緒やから楽しい。
楽で楽しく、その上ギャラもいい」
落語は、たまになんば花月やうめだ花月で前座をやるくらい。
稽古時間は少なく、演れる演目も少なく、舞台で目の肥えた客の冷たい視線を感じ、上方落語協会会長の笑福亭松鶴に
「テレビばっかり出やがって」
と叱られ、
「つらいわ」
とこぼすと先輩落語家に怒られ、月亭八方は、ますます落語以外の仕事にのめり込んでいった。
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すると仕事はさらに増え、
「メチャクチャ仕事してメチャクチャ遊ぶという怒涛の日々」
が始まった。
1日3本の舞台に加え、テレビやラジオの仕事。
そういった会社(吉本興業)の仕事に加え、仲間や知り合いから頼まれる仕事も増え、サラリーマンの初任給が7万円という時代に40~50万円稼ぐようになった。
有頂天の月亭八方は、
「寝るのがもったいない」
と毎夜、ミナミへ。
歩いていて、
「オウ!」
と声をかけられて小遣いをもらったり、店でママに
「どっかの社長」
を紹介されて
「頑張れよ」
といわれて小遣いもらったり、目当ての女にカッコつけたい社長に
「一緒に知り合いの店に顔出してくれ」
といわれて、ごちそうしてもらった上、小遣いもらったり、夜の街をウロウロするだけで月に数十万円もらった。
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ミナミで遊んだ後は、福島の実家に帰らず、なんば花月の楽屋へ。
数時間寝て、起きると楽屋でバカ話。
月亭八方は、太鼓持ちのように持ち上げながら、いろいろと聞き出し、これが後に「楽屋ニュース」のタネとなった。
仕事、夜のミナミ、楽屋のバカ話、毎日が面白くて仕方なかった。
「師匠に弟子入りして付き人を務め、楽屋に出入りしてみたら、師匠方、先輩たちが話すこと、やることなすこと、すべてがほんまに愕きの連続。
楽屋で過ごす時間がたまらなく楽しい時間になりました。
楽屋は控室というより芸人の遊び場で、4人寄れば麻雀、5人以上ならポーカーという暗黙のルールが決まっていて、たいがい座布団を前にポーカーが始まる。
近眼の人生幸朗師匠はカードを目で舐めるようにして「ストフラ(ストレートフラッシュ)」を狙う。
仕事に行くより楽屋に来た方が稼ぎがいいと出番がなくても必ず楽屋に顔をみせる柳サンデー師匠。
カードを1枚めくるごとにキャッキャッキャッと猿のような声を出す秋田B助師匠・・・・
女だてらに賭け事は何でも来いの中山礼子師匠、京唄子師匠の3番目の亭主だった三田マサル師匠は強かった。
奇術の堀ジョージ師匠は、舞台ではトランプを器用に扱って客の引いた数字を当てるのに、楽屋のポーカーでは数字が当てられないで弱かった。
そしてアップアップで場をかき回すボクの師匠、月亭可朝」
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横山ノックは、月亭八方が弟子入りした年に参議院議員に初当選。
ハゲ頭にピンクカール、口をとがらせてタコ踊りをする横山ノックが大好きだった20歳の月亭八方は、16歳上の横山ノックに、
「君は誰のお弟子さんや?」
と聞かれ、アガリまくった。
すると横山ノックは、懐からカードケースを取り出し、まるで子供のような無邪気な顔で
「これが新幹線の無料パス
これは国会議事堂の立ち入り禁止の区域でも入っていけるパスや」
といいながら、畳の上にカードを並べていき、そしてカードケースごと忘れていった。
気づいた月亭八方が、あわてて届けると
「お前んとこに忘れてたんか。
あちこち探してたとこや」
といわれ、
(あちこちでみせてたんか)
と思った。
「あれほど話が合うというか気が合う相手はいなかった。
なんでウマが合ったのかホンマ不思議」
という月亭八方と横山ノックの話は尽きず、2人共、酒が飲めないのでコーヒーやお茶だけで何時間でも話し続け、2人で旅行に出かけると、ずっとしゃべりっ放し。
最初、緊張しながら、
「ノック師匠」
「ノック先生」
と呼んでいた月亭八方だったが、やがて
「ノックさん」
になり、最終的に
「タコ」
「ハゲ」
「オッサン」
と呼ぶほど仲良くなった。
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月亭八方は、23歳のときに結婚した。
相手の父親は、元大衆演劇の役者で大型スーパーでイベントを行う興行師。
月亭八方は、堺市のニチイで行われた興行に出たとき、自分より3歳年下の娘、三千代に出会った。
三千代は、平日、日本の大手アパレル会社、オンワード樫山のアドバイザーとして働き、土日の休日は父親の手伝っていた。
何回か顔を合わせるうちに月亭八方が食事に誘い、すぐにつき合い始めた。
父親に交際に反対された三千代は、大喧嘩の末、月亭八方の実家に転がり込み、2階で一緒に暮らすようになった。
こうして同棲が始まったが、階下に住む母親は、気が気ではなかった。
「アンタ、よそさんの娘さんは花瓶やないねんから、割ってしもうた、すんません、買い直して返しますわというわけにはいかへんで。
どうすんねん?」
「結婚するんやがな」
「それやったら、はよしい」
しかし月亭八方には
(結婚したらアイドルとして人気が落ちる)
(他の女の子と遊べなくなる)
という邪念があり、結婚はしなかった。
そうしている間に三千代が妊娠。
母親に
「別れるんやったら堕ろしたらええ。
別れへんのやったら産みなさい」
三千代に
「私は産みたい」
といわれ、月亭八方は実は戸惑っていたが、
「そりゃそうや」
とカッコをつけて、結婚。
長女が産まれたとき、母親は
「アンタがこの世におるんは私のおかげやで」
といい、月亭八方は、危惧していたように劇場やテレビ局で入り待ち、出待ちをしてくれる女の子や、
「キャーキャー」
という歓声が消えた。
新婚旅行はハワイに行ったが、それは2人目で長男の「八光」が産まれた後だった。
「今ならヘタしたら10万円前後でいけるみたいやけど、4泊6日の旅行費用は1人35万円、2人で70万円もかかった。
もちろん飛行機はエコノミーで泊ったのは安ホテル。
ワイキキのビーチから2本ほど入ったところにあり、窓からは建物の隙間から少~しだけ海がみえました。」
相手の父親は、元大衆演劇の役者で大型スーパーでイベントを行う興行師。
月亭八方は、堺市のニチイで行われた興行に出たとき、自分より3歳年下の娘、三千代に出会った。
三千代は、平日、日本の大手アパレル会社、オンワード樫山のアドバイザーとして働き、土日の休日は父親の手伝っていた。
何回か顔を合わせるうちに月亭八方が食事に誘い、すぐにつき合い始めた。
父親に交際に反対された三千代は、大喧嘩の末、月亭八方の実家に転がり込み、2階で一緒に暮らすようになった。
こうして同棲が始まったが、階下に住む母親は、気が気ではなかった。
「アンタ、よそさんの娘さんは花瓶やないねんから、割ってしもうた、すんません、買い直して返しますわというわけにはいかへんで。
どうすんねん?」
「結婚するんやがな」
「それやったら、はよしい」
しかし月亭八方には
(結婚したらアイドルとして人気が落ちる)
(他の女の子と遊べなくなる)
という邪念があり、結婚はしなかった。
そうしている間に三千代が妊娠。
母親に
「別れるんやったら堕ろしたらええ。
別れへんのやったら産みなさい」
三千代に
「私は産みたい」
といわれ、月亭八方は実は戸惑っていたが、
「そりゃそうや」
とカッコをつけて、結婚。
長女が産まれたとき、母親は
「アンタがこの世におるんは私のおかげやで」
といい、月亭八方は、危惧していたように劇場やテレビ局で入り待ち、出待ちをしてくれる女の子や、
「キャーキャー」
という歓声が消えた。
新婚旅行はハワイに行ったが、それは2人目で長男の「八光」が産まれた後だった。
「今ならヘタしたら10万円前後でいけるみたいやけど、4泊6日の旅行費用は1人35万円、2人で70万円もかかった。
もちろん飛行機はエコノミーで泊ったのは安ホテル。
ワイキキのビーチから2本ほど入ったところにあり、窓からは建物の隙間から少~しだけ海がみえました。」
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25歳で初めて車を購入した月亭八方は、26歳で映画「男はつらいよ 寅次郎子守唄」に出演。
シリーズ14作目のマドンナは、十朱幸代。
撮影は、佐賀県唐津市と神奈川県鎌倉市にある松竹大船撮影所で行われた。
山田洋次監督は、大の落語好きで、新宿の紀伊国屋ホールで開かれた笑福亭仁鶴の独演会を渥美清と共に観にいって、前座に上がった月亭八方に初遭遇し、数ヵ月後、吉本興業を通して映画出演をオファー。
「ボクの役は、嫁はんに逃げられて乳飲み子を背負う、頼りない若い亭主、佐藤幸夫。
九州、唐津にやってきた寅さんに子供を押しつけるエエかげんな男です。
でもそれが「寅次郎子守唄」と映画のタイトルになってるくらい重要な役。
ずいぶん経ってから「関西一の無責任男」と呼ばれるようになりましたが、山田監督はボクの高座を観て、ボクの本質的なところを直感されはったのかもしれませんね」
月亭八方は、大阪から東京に出て、湘南電車(現:東海道線)に1時間ほど乗って大船駅へ。
9時から始まる撮影に向け、8時半にはスタンバイ。
テレビの生放送や収録と違って映画の撮影は時間がかかった。
撮影所は知らない人ばかりで、関西弁を話すのは自分1人だけ。
孤独感を感じることもあったが、佐藤蟻次郎に話しかけられたり、倍賞千恵子にコーヒーを入れてもらったり、渥美清に食堂に誘われたり、自分から逃げた嫁を演じる春川まさみに相談したりしながら
「俺、映画スターみたいや」
と歓喜。
シリーズ14作目のマドンナは、十朱幸代。
撮影は、佐賀県唐津市と神奈川県鎌倉市にある松竹大船撮影所で行われた。
山田洋次監督は、大の落語好きで、新宿の紀伊国屋ホールで開かれた笑福亭仁鶴の独演会を渥美清と共に観にいって、前座に上がった月亭八方に初遭遇し、数ヵ月後、吉本興業を通して映画出演をオファー。
「ボクの役は、嫁はんに逃げられて乳飲み子を背負う、頼りない若い亭主、佐藤幸夫。
九州、唐津にやってきた寅さんに子供を押しつけるエエかげんな男です。
でもそれが「寅次郎子守唄」と映画のタイトルになってるくらい重要な役。
ずいぶん経ってから「関西一の無責任男」と呼ばれるようになりましたが、山田監督はボクの高座を観て、ボクの本質的なところを直感されはったのかもしれませんね」
月亭八方は、大阪から東京に出て、湘南電車(現:東海道線)に1時間ほど乗って大船駅へ。
9時から始まる撮影に向け、8時半にはスタンバイ。
テレビの生放送や収録と違って映画の撮影は時間がかかった。
撮影所は知らない人ばかりで、関西弁を話すのは自分1人だけ。
孤独感を感じることもあったが、佐藤蟻次郎に話しかけられたり、倍賞千恵子にコーヒーを入れてもらったり、渥美清に食堂に誘われたり、自分から逃げた嫁を演じる春川まさみに相談したりしながら
「俺、映画スターみたいや」
と歓喜。
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佐藤幸夫役の月亭八方は、子供を寅さんに押しつけるが、その後、子供を案じて上京。
とらやを訪ね、
「あの、子供を実は・・・」
と事情を話すのだが
「あの」
で声を張り上げすぎてNG。
「出てるような出ていないようなか細い不安げな声でお願いします」
といわれ、声を絞って
「あの」
といって1歩前に足を踏み出すと
「カメラ外れるから動かないでください」
といわれNG。
山田洋次監督は、カメラ位置や絵コンテなどすべて事前に決めていて、基本的に役者のアドリブは許さず、何度も撮り直しを行った。
アドリブで生きてきた月亭八方にとって衝撃的な世界だった。
とらやを訪ね、
「あの、子供を実は・・・」
と事情を話すのだが
「あの」
で声を張り上げすぎてNG。
「出てるような出ていないようなか細い不安げな声でお願いします」
といわれ、声を絞って
「あの」
といって1歩前に足を踏み出すと
「カメラ外れるから動かないでください」
といわれNG。
山田洋次監督は、カメラ位置や絵コンテなどすべて事前に決めていて、基本的に役者のアドリブは許さず、何度も撮り直しを行った。
アドリブで生きてきた月亭八方にとって衝撃的な世界だった。
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国民的映画に出演し、お笑いの仕事も次から次に入ってきて、32歳の月亭八方は、月収が100万円を超えた。
師匠に
「飲む打つ買うは芸の肥やし」
と教わり、酒は飲めず
「打つ・買う」
の2拍子で芸を邁進させてきた月亭八方は、長男の出産をマージャンで忘れたり、浮気でケジラミをうつされ妻に剃毛してもらったりしていたが、この頃からギャンブルにのめり込んでいった。
麻雀、競馬、競輪、競艇、その他あらゆる賭け事に首を突っ込み、、
「負けが込むと大金を叩いて大逆転を狙ってしまう。
勝ったら勝ったで調子に乗って次の勝負に大金を突っ込む」
という月亭八方は、
「借金しても10日後には何十倍にもなってる」
と闇金融から10日で1割という高金利で金を借り、
「たった1年で借金の山。
さらに借金は雪だるま式に膨れ上がった」
師匠に
「飲む打つ買うは芸の肥やし」
と教わり、酒は飲めず
「打つ・買う」
の2拍子で芸を邁進させてきた月亭八方は、長男の出産をマージャンで忘れたり、浮気でケジラミをうつされ妻に剃毛してもらったりしていたが、この頃からギャンブルにのめり込んでいった。
麻雀、競馬、競輪、競艇、その他あらゆる賭け事に首を突っ込み、、
「負けが込むと大金を叩いて大逆転を狙ってしまう。
勝ったら勝ったで調子に乗って次の勝負に大金を突っ込む」
という月亭八方は、
「借金しても10日後には何十倍にもなってる」
と闇金融から10日で1割という高金利で金を借り、
「たった1年で借金の山。
さらに借金は雪だるま式に膨れ上がった」