外国人選手初の三冠王!【ブーマー・ウェルズ】は実はパワーヒッターではなかった!!
2016年11月25日 更新

外国人選手初の三冠王!【ブーマー・ウェルズ】は実はパワーヒッターではなかった!!

200cm100㎏の体格を持つ、ブーマー・ウェルズ。体格からは、ホームランを量産するタイプに見えるが、実は、身体に似合わず、ヒットを量産するアベレージヒッターだった。大きな風貌からは、怪人ブーマーと言われ、関西の街で愛されるキャラである。そんなブーマーの今と昔を語る。

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「怪人ブーマー」として来日!外国人初の3冠王を獲ったブーマー・ウェルズ!!

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ブーマー・ウェルズ(Gregory DeWayne "Boomer" Wells )
1954年4月25日生まれ
身長200cm、体重100kg
右投げ右打ち
ポジション:一塁手

プロ入りは1976年、MLBで1981年~1982年活躍し、その後、1983年~1992年まで大活躍した選手。

ブーマーの獲得タイトルと主な表彰と成績

首位打者:2回 (1984年、1989年)
本塁打王:1回 (1984年)
打点王:4回 (1984年、1987年、1989年、1992年)
最多勝利打点:1回 (1984年)
最多安打(当時連盟表彰なし):4回 (1984年 - 1986年、1989年) ※1994年より表彰
表彰
MVP:1回 (1984年)
ベストナイン:4回 (一塁手:1984年、1986年、1987年、1989年)
ゴールデングラブ賞:2回 (一塁手:1986年、1987年)
オールスターゲームMVP:2回 (1984年 第2戦、1988年 第1戦)

三冠王:1回(1984年)
シーズン満塁本塁打:4本(1987年、パ・リーグタイ記録)
シーズン勝利打点:21(1984年、パ・リーグ記録)
他にも、パ・リーグ記録は、通算打率や、5試合連続本塁打を2回記録していたり、数々の表彰と成績を残しています。

ブーマー・ウェルズのプレースタイルとは?

最高のアベレージヒッター

最高のアベレージヒッター

外国人枠選手で初の三冠王を獲った選手で、まさに大ブームを呼んだ男である。3冠王を獲った1984年の成績は、打率.355、37本塁打、130打点ととてつもない成績を打ち出しました。
ブーマーのプレースタイルは、恵まれた体から想像すると、パワーヒッターのイメージが強いが、決してそうではなく、優れた選球眼と、柔らかく器用なバットコントロールで培う安打製造機の方が本質なスタイルです。

在籍10年で、通算打率.317はあの落合博光を超える成績で、右打者としては最高の成績を残すほどです。

ブーマー本人も、自分はアベレージヒッターと認めており、更に、日本のプロ野球に順応する能力、コーチの話をよく聞き入れることから、この成績を残すことが出来たのではないでしょうか。

守備もゴールデングラブ賞を2回も受賞するほど、素晴らしく、盟友、松永浩美とノック練習を受けるほど、練習熱心で、守備も上手な選手です。

ブーマーの生い立ちから、プロに入るまで

ブーマーは、アメリカ合衆国のアラバマ州に生まれ、恵まれた体から、飛びぬけた身体能力を持つ男性だった。

オールバニア州立大学では、フットボールの選手を目指して、1975年にはNFLドラフト16巡でニューヨーク・ジェッツに指名されるまでなりましたが、花開かず、NFL選手になれませんでした。

しかし、アマチュアのFA選手として、MLB傘下と契約を結び、1981年にトロント・ブルージェイズに入団。1年でわずか32試合しか出場せず、ミネソタ・ツインズに移籍、そこでも、わずか15試合の出場と花開かず、1983年に、日本プロ野球界に、怪人ブーマーが来日する運びになりました。

日本プロ野球に入り、猛特訓で日本の野球に溶け込んだ。

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登録名を『ブームを呼ぶ男』の意味のブーマーとした。来日前、何も分からない日本野球についてチャーリー・マニエルから情報を収集。「投手が打たれると捕手を交代する[2]」「開幕前のトレーニング(キャンプ・オープン戦)が2カ月もある」などの話を聞いた時は冗談だと思ったが、実際日本でプレーして現実だったことを知り驚いたという[3]。ただし、シーズン前や試合前の練習についてはもともとブーマーは練習量が多いほうだったので個人的な差はそれほど感じなかったという。また、川崎球場で試合前の練習をした後「ところで本番の試合はどこでするんだろう」と思っていたところ、その後スタンドに観客が入ってきたので驚いたといわれている。当のブーマーは川崎球場をアメリカで言うところの「マイナーリーグ」、つまり二軍の野球場だと思い込み、試合は別の野球場に移動して行うものだと考えていたらしい。また、その日の川崎球場は客が不入りで、それこそマイナーリーグ並みの僅かな観客数だったため、その光景には「これが日本のプロ野球なのか」と特に驚いたようである。

日本野球に慣れた末は・・・。

阪急ブレーブス全盛時のブーマー

阪急ブレーブス全盛時のブーマー

1年目の公式戦では、全くといっていいほど、活躍できなかったブーマーは、打率こそ、.307と3割を超える成績を打ち出せたが、本塁打17本。場外ホームランなどは、0本の期待に応えれない成績で終わった。

しかし、日本の野球に慣れた2年目は、オフのトレーニングもしっかりと積み、打率.355、本塁打37本、打点においては130打点と、素晴らしい記録!外国人初の三冠王と、更にその年のMVPまで獲得し、大躍進を遂げました!

そして、名実と共に、ブーマーブームが巻き起こるのです。

怪人ブーマー!怪力ブーマー!の名を欲しいままに、37歳まで阪急ブレーブス、オリックスで活躍し、打点王に輝くこと、3度の強打者ぶりを発揮しました。
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阪急ブレーブスが大好きな、ブーマーは阪急一筋でやってきたが、土井監督との食い違いで最後の1年、10年目はダイエーホークスでバットを振り回すこととなり、その最後の年も97打点で打点王に輝く、チャンスに強い所を見せながら、プロ生活を終えました。

0年間で、7年は3割以上。そのうち、.350以上を2回、40本塁打以上を3回、打点に置いては、100打点以上を5回も記録することとなる。

プロ引退後はアメリカと、日本の橋渡しとなる。

引退後は、外国人助っ人の専属コーチとなったり、野球代理人となり、アメリカとの太いパイプ役に徹している。日本ハムで大暴れした、ナイジェル・ウィルソンは、ブーマーが上田利治のために、日本ハムに送り込んだのだった。
33 件

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  • 2020/2/6 06:37

    パシフィック、近鉄・阪急・南海は
    セントラルの阪神と違う意味で
    関西で人気があった

    2020/2/6 06:35

    デッドボールでヘルメットを叩きつけ
    乱闘になるのをうろおぼえ

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