【プロ野球】かつては野球最弱県!? 希少な新潟県出身のプロ野球選手!
2024年1月1日 更新

【プロ野球】かつては野球最弱県!? 希少な新潟県出身のプロ野球選手!

新潟県は、かつては高校野球が弱い県の代表格でした。甲子園で初戦負けは当たり前。ベスト8に入ろうものなら県内はお祭り騒ぎでした。そのせいか、他県に比べてプロ野球選手が少ないように見えますが、強くなった近年は増えてきたようにも見えます。そんな希少な新潟県出身のプロ野球選手を見てみましょう。

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関本四十四(1968〜1978)

生年月日:1949年5月1日
出身地:新潟県糸魚川市
出身校:新潟県立糸魚川商工高等学校
入団:1967年ドラフト10位
所属球団:
- 読売ジャイアンツ (1968〜1975)
- 太平洋クラブライオンズ (1976)
- 横浜大洋ホエールズ (1977〜1978)


新潟県出身のプロ野球選手の中で、最初に顕著な活躍をした選手といえば、関本四十四でしょう。

糸魚川商工時代は、甲子園出場はなかったものの、巨人からドラフト10位指名を受けプロ入りを果たします。一軍初登板は、入団4年目の1971年。先発ローテーションの一角として巨人の優勝に貢献し、勝ち星こそ10勝11敗と負け越しながらも、防御率2.14はリーグ5位で新人王を獲得しました。1974年には防御率2.28で、最優秀防御率のタイトルも獲得しています。1975年に、直訴して背番号を20番から44番(名の四十四に因んだもの)に変更したエピソードは有名です。

関本四十四

【関本四十四 巨人】4年目背番号20に変え10勝で新人王。74年も10勝、防御率2.28の成績で最優秀防御率のタイトル獲得も背番号44に変え高木守道との事件の75年は0勝、、トレード移籍も活躍できず

三輪悟(1970〜1980)

生年月日:1945年9月18日
出身地:新潟県新潟市
出身高校:新潟市立工業高等学校
入団:1969年ドラフト2位
所属球団:
- 西鉄ライオンズ→太平洋クラブライオンズ (1970〜1974)
- 広島東洋カープ (1975〜1980)


三輪悟は、新潟市立工業高等学校を卒業後、社会人野球を経て、ドラフト2位指名で西鉄に入団。しかし、ちょうど「黒い霧事件」でチームが混乱している時期で、ある意味、最悪のタイミングでした。ところが、1年目の1970年、チームが事件により主戦投手を失う中、急遽先発ローテーションに抜擢されます。オールスターにも監督推薦で出場し、ルーキーイヤーは大活躍でした。その後、1975年に広島に移籍しています。

ライオンズ時代は、西鉄から太平洋クラブへと変わる低迷期で毎年負け越しでしたが、広島に移籍してからは、貴重なリリーフ投手としてリーグ優勝に貢献しました。

三輪悟

【三輪悟氏の生涯】昭和50年代、黄金期を支えた中継ぎエース、引退後はスコアラー、マネージャーとして活躍

今井雄太郎(1971〜1991)

生年月日:1949年8月4日
出身地:新潟県長岡市
出身高校:中越高等学校
入団:1970年ドラフト2位
所属球団:
- 阪急ブレーブス→オリックス・ブレーブス (1971 - 1990)
- 福岡ダイエーホークス (1991)


今井雄太郎は、新潟県出身のプロ野球選手の中で、名実ともにナンバーワンの選手、と言っても過言ではないでしょう。

中越高等学校を卒業後、社会人野球を経て、ドラフト2位指名で阪急に入団します。ノミの心臓と呼ばれるほど気が小さく、入団して5年間でわずか2勝。しかし、酒を飲むと豹変し、気が大きくなることがわかり、それを機に才能が開花します。

そして、1978年8月31日のロッテ戦ではNPB史上14人目の完全試合を達成しました。この年初めて二桁勝利を記録し、上田阪急の4連覇にも貢献しています。以後は、阪急の主戦投手として先発ローテーションを守り続け、1981年には19勝で最多勝利1984年には21勝、防御率2.93で、最多勝利と最優秀防御率のタイトルを獲得しました。

今井雄太郎

黄金時代ライオンズOBによるトークショー(田淵・今井氏)

小林幹英(1998〜2005)

生年月日:1974年1月29日
出身地:新潟県新潟市
出身高校:新潟明訓高等学校
入団:1997年ドラフト4位
所属球団:
- 広島東洋カープ (1998 - 2005)


小林幹英は、新潟明訓高等学校を卒業後、専修大学、プリンスホテルを経て、ドラフト4位指名で広島に入団します。広島では、初年度から大活躍。いきなり開幕初戦の中日戦に大野豊をリリーフし、2回無安打無失点で初勝利を挙げます。4月はなんと月間MVPを獲得。その後も、リリーフ投手として活躍し、終わってみれば、9勝6敗18セーブ、防御率2.87と、ルーキーとは思えない成績を残しました。新人王が期待されましたが、その年は結局、川上憲伸が獲得。その代わりに、高橋由伸、坪井智哉らとともにセントラル・リーグ特別表彰を受賞しました。

2001、2002年は、50試合以上に登板するなど、その後は中継ぎとして貢献。2005年に、現役生活8年で引退しています。翌2006年には広島のコーチに就任し、2023年現在も活躍中です。

小林幹英

1998.5.24 巨人vs広島6回戦 20/20

星野順治(1998〜2008)

生年月日:1974年6月18日
出身地:新潟県西蒲原郡吉田町(現・燕市)
出身高校:新潟県立新潟商業高等学校
入団:1997年ドラフト4位
所属球団:
- 福岡ダイエーホークス→福岡ソフトバンクホークス (1998 - 2008)


星野順治は、新潟県立新潟商業高等学校を卒業後、NKKに入社。社会人野球での活躍が評価され、ドラフト4位指名でダイエーに入団します。2年目の1999年には、早くも先発ローテーションの一角を担い、10勝を挙げ、福岡ダイエーとしての初優勝・初日本一に貢献中日との日本シリーズでも、第4戦先発で6回1/3を無失点に抑え、日本一に王手をかける値千金の勝利を挙げました。

その後も、2001年に13勝、2005年に8勝を挙げるなど、先発投手としてチームの躍進に貢献し、2008年に引退。2023年からは、ソフトバンクのコーディネーター(投手)を務めています。

星野順治

1999.5.30 ダイエーvs西武11回戦 9/18

加藤健(1999〜2016)

生年月日:1981年3月23日
出身地:新潟県北蒲原郡聖籠町
出身高校:新潟県立新発田農業高等学校
入団:1998年ドラフト3位
所属球団:
- 読売ジャイアンツ (1999 - 2016)


加藤健は、新潟県立新発田農業高等学校の3年生の夏、甲子園に出場。初戦で敗れるも、ドラフト3位指名で巨人に入団します。新潟県出身では珍しい高卒ルーキーの誕生で、因みに、新発田農でバッテリーを組んだ投手・富樫和大は社会人野球を経て、日本ハムに入団しています。

現役時代は巨人一筋で、17年間も在籍しましたが、出場試合数はわずか185試合。常に阿部慎之助の二番手捕手という役割ながら、"困った時のカトケン" と言われ、信頼される存在でした。骨にヒビが入っても出続けたこともあったほどで、加藤は二番手捕手の心得について次のように話しています。
加藤健氏は、巨人での18年間で規定打席に到達したシーズンは1度もなかった。球界を代表する捕手・阿部慎之助の陰で控え捕手として縁の下で支え、「困った時のカトケン」と重宝された。

(中略)

「2番手、3番手捕手って絶対ケガしちゃいけない。いくらでも代わりはいるんです。ボクもサネ(実松)も、ケガしてもやりながら治しました。ボクはあばら骨にヒビが入っていたけど試合に出続けたことがありました」

(中略)

「クロスプレーでDeNAの嶺井とぶつかって。翌日は大竹とバッテリーを組んでスタメン。痛かったですけど、ケガがバレないように打撃練習は全部バントや右打ちでごまかしました。痛み止めのボルタレンを上から飲んで、下からも入れて……。それで試合に出たらボクが打って勝ったんです」

加藤健

元巨人の加藤健と居酒屋本音トーク!控え捕手としての18年間…苦労しすぎ。

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