【若松勉】ヤクルト一筋19年。ミスターヤクルトの軌跡!
2015年12月10日 更新

【若松勉】ヤクルト一筋19年。ミスターヤクルトの軌跡!

1978年ヤクルトスワローズを初めてリーグ優勝と日本一に導いた立役者、若松勉。168cmと小柄ながら、その巧みなバットコントロールと鋭い感性でヒットを量産。数々の名勝負を繰り広げてきた。ヤクルト史上唯一、選手・コーチ・監督としてリーグ優勝と日本一を経験している生粋のミスターヤクルト。

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若松勉の基本情報

若松勉の基本情報

出身地:北海道留萌市
生年月日:1947年4月17日(68歳)
身長:168cm
体重:76 kg
投球・打席:右投左打
ポジション:外野手
選手歴:
・北海高等学校
・電電北海道
・ヤクルトアトムズ
・ヤクルトスワローズ (1971 - 1989)
監督・コーチ歴 :
・ヤクルト一軍打撃コーチ(1993年~1994年)
・二軍監督(1995年~1996年)
・一軍打撃コーチ(1997年~1998年)
・一軍監督(1999年~2005年)

プロ入りを嫌がって、逃げ回っていた社会人時代

北海高校時代の野球部時代には、甲子園に出場を果たすも、若松自身の目立った活躍はほとんどなかった。高校卒業後は電電北海道で社会人として野球選手を継続した。しかし、電電北海道では都市対抗野球には出られず、別のチームの補強選手として4回の都市対抗野球に出場している。
社会人時代、電電北海道では都市対抗に出られず、拓銀と大昭和製紙の補強として4回出たんですよ。だけど5年も社会人にいたので、プロ入りはないと思っていました。
当時、若松本人や家族も、プロ入りには消極的だった。その為、プロへの誘いに対して逃げ回るようにして、頑なに合うことを拒んでいた。そんなある日球団スカウトの人から電話で、指名の連絡が入った。ところが、その声が所属チームの監督そっくりだった為、若松は「監督、何を冗談言ってるのですか」と信じなかったという。若松はプロ入りを決断した経緯を次のように語っている。
ずっとお断りしていました。心のどこかに行きたいという思いも芽生えていたのですが、一度決めたことなのでお会いすることもせず。でも、コーチの中西太さんが札幌まで来られ、親父や恩師に「小柄でも下半身がしっかりしていればやれる」と言われた。それを聞いて、悩み抜いた末に、女房に3年の時間をくれ……と。それで上京したんです。
若松は小柄な体格のため、当時プロ選手としてやっていく自信がなかった。そんな時、若松夫人から「ダメだったら北海道に帰って二人で焼き鳥屋でもやろう」と言われ、入団を決意したと後に語っている。
入団当初の背番号は「57」だった

入団当初の背番号は「57」だった

若松は1970年のドラフト3位指名で、当時のヤクルトアトムズに入団。入団当初の背番号は「57」であった。

入団後は若松の素質を見抜いていた、中西太ヘッド兼打撃コーチがマンツーマントレーニングで猛練特訓を実施し、入団1年目から左翼手のレギュラーを獲得するまでとなった。その年は規定打席に達することができなかったが、112試合に出場して打率3割を残した。ちなみに1971年のセ・リーグで打率3割以上を記録した選手は巨人軍の長嶋茂雄ただ一人であった。

シーズンオフに若松の背番号が「1」に変更となり、ここから若松の快進撃が始まった。

入団2年目で首位打者獲得!そこからは首位打者争いの常連に!

ヤクルトアトムズ入団に2年目の1972年には打率.329を残し、セ・リーグの首位打者を獲得。また盗塁もリーグ2位となる20盗塁を記録した。入団2年目にして、すでにセ・リーグを代表する外野手となっていた。首位打者を獲得したことを回想した若松の言葉に、謙虚さがにじみ出ている。
(1972年の首位打者獲得は)三原脩監督のお陰ですよ。左投手が先発だとベンチで、右になったら出るという起用法。翌年の首位打者もそう。シーズン終盤までいい数字だったので、左の好投手が出てくると外されたんです。だから打数、そんなに多くないでしょう(365打数)。監督が、初のタイトルを獲らせてくれたんです。
1973年も打率.313(リーグ2位)を記録した。1972年と1973年のセ・リーグでは、打率3割以上を記録したのはどちらの年もたった2人だけであった。そして、どちらの年も3割を記録したのは若松のみであった。そして、翌年の1974年は全試合に出場して打率.312(リーグ5位)を残し、3年連続で打率3割を達成した。

若松・張本・谷沢!「糸」の差で決まった球史に残る熾烈な首位打者争い!

1975年はプロ入り後初めて打率3割を切ることになった。しかし翌年の1976年は、張本勲、谷沢健一と球史に残る激しい首位打者争いを繰り広げた。最終的に、若松は終盤に失速してしまい首位打者は逃してしんまうが、打率は.344を記録してリーグ三位とる。しかし、この時首位打者を逃した悔しさから、若松はさらに練習量を増やし、翌1977年にはと自己最高の打率.358という成績で2度目の首位打者を獲得した。同年ヤクルトは2位となり「万年Bクラス」という汚名を返上した。また、特筆するべき記録として、この年の若松は打席数503に対して三振数がたったの14個であったことを追記したい。
1976年の首位打者争いを制した谷沢健一

1976年の首位打者争いを制した谷沢健一

早稲田大学の誇るスラッガーは、69年のドラフトで全選手の中で真っ先に指名されて中日に入団した。その年はその実力どおり新人王を獲得するも、その後はタイトルとは無縁の苦しい7年間を過ごすこととなった。そんな谷沢の魂がこもった最後の一打席は、「6糸」差の張本を逆転して首位打者を獲得する奇跡のヒットへと繋がった。

念願のヤクルトスワローズ初優勝!

1978年には若松・大杉・マニエルでセリーグ最強のクリーンナップトリオを組み、ヤクルト史上初のリーグ優勝と日本シリーズ制覇を成し遂げた。若松自信も首位打者争いを繰り広げて、最終的にリーグ2位の打率.341の活躍を見せた。また、この年のヤクルトは開幕から129試合連続得点という記録を打ち立てて、若松は自身初のセ・リーグMVPにも選ばれた。

1978年 ヤクルトスワローズ初リーグ制覇の瞬間!

1978年10月4日 チーム創立29年目悲願のリーグ初優勝。 待ちに待ったヤクルトの初優勝の歓喜に沸いた球場には、多くのファンがなだれ込み収拾がつかない状況となった。これも、今思えば「古き良き時代」と言えるのではないか。
ヤクルトはリーグ優勝の勢いで、そのまま日本シリーズも制した。

続いて、ヤクルト 球団創設以来初の日本一 の瞬間!

日本一の時も多くのファンがグランドになだれ込み、めちゃくちゃになっています。注目すべきは、リーグ優勝の時も、日本シリーズ制覇の時もエースの松岡が見事なピッチングで完封勝利を挙げていること。今見ても、球のキレが違うのがよくわかります。
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