永久欠番にならなかった背番号「1」!
1989年に現役引退。ヤクルト一筋19年、42歳まで現役を全うした。通算打率.31918は歴代2位であり、日本人選手としては歴代最高記録である(4000打数以上対象、NPBの最高記録はレロン・リーの.320)。現役時代に付けていた背番号「1」は、若松の引退後、「永久欠番に」との署名が多く集まり、以降背番号「1」は池山隆寛・岩村明憲・青木宣親といったチームの顔となる生え抜き選手のみに着用が許される番号となった。
ヤクルト若松勉2000本安打の瞬間 LIVE 1985年 -
1985年10月9日の対阪神戦にて、史上21人目となる通算2000本安打を達成。
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引退しても、人柄でファンを魅了した若松!
監督時代も実直さで勝負した。
ヤクルト監督時代は、野村野球の象徴の「ID野球」だけではなく、選手の基本的な体力や技術を向上させる「データ+スピード&パワー」というスローガンを掲げた。これは、前監督野村克也時代のデータ重視の野球だけではなく、基本的なチーム力を重視した「努力の人」若松らしいスローガンであった。
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現役引退後は野球解説者や評論家を経て、ヤクルトの打撃コーチや二軍監督を務めた。もともと人情に厚く真面目な性格が祟り、選手やチームのことを考えすぎてストレスで体調を崩すことがしばしばあった。また一軍監督時代のチームの戦力補強の為のトレードに関して、若松の人柄が表れているエピソードがある。
また監督時代には自前の戦力が中心ながらその隙間を埋めるような形でトレードを行っていたが、いずれも球団主導で、若松自身は監督退任後に「私は誰も、チームからは出したくなかった」と明らかにしている。
また、若松の素朴で実直な人柄を象徴するエピソードは、2001年に監督として初のリーグ優勝を達成した際のインタビューである。本当は「ファンの皆様、ありがとうございました!」と言うつもりが、「ファンの皆様、本当にあの〜、あの…、おめでとうございます」とぼそっと呟いた。この若松の言葉で、球場内は穏やかなムードに包まれてヤクルトらしい優勝となった。
14年前のヤクルトリーグ制覇 10月6日 「おめでとうございます」若松監督名セリフ。
若松のぼそっと放った「おめでとうございます」は、その年の流行語大賞の語録賞にも選ばれるほどのインパクトがあった。
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若松が監督を引退したのは2005年10月14日の本拠地神宮球場でのシーズン最終戦(対横浜戦)であった。若松は7シーズンに亘ってヤクルトの監督を務め、日本一に1度なっているにも関わらず、辞任の記者会見では「1度しか日本一になれず申し訳なかった」とコメントしている。これは、前任の野村克也監督が在任中4度のリーグ制覇と3度の日本シリーズ制覇を達成したことと比較した為と思われる。若松のこの過小評価とも言える発言は、むしろ実直で思いやりの強い若松ならではの言葉として、記者会見場はまたしても若松の言葉で温かい空気に包まれた。
温厚で選手たちからも慕われていた若松のことを、当時正捕手としてチームの中心選手であった古田敦也は次のように語っている。
温厚で選手たちからも慕われていた若松のことを、当時正捕手としてチームの中心選手であった古田敦也は次のように語っている。
「この人を勝たせてあげないといけないと思ってしまう監督」
この言葉に若松のすべてが凝縮されているような気がするのは筆者だけであろうか。