メジャーただ1枚のアルバム
そして、3月18日には、メジャーで唯一のアルバムとなる『merveilles(メルヴェイユ)』をリリース。
各メンバーの個性がぶつかりあい、バラエティに富んだ楽曲が溢れているにもかかわらず、丁寧に織り込まれたMALICE MIZER独自のアートな世界観が通底する名盤に仕上がっている。日本ロック史に残る1枚と言っても過言ではあるまい。
初回盤はブック型パッケージ。この作品はオリコン・チャート2位。セールスは30万枚を記録し、メジャー・シーンでも押しも押されもしないスターダムに上りきったことがわかる。
[PV] MALICE MIZER - 月下の夜想曲 - YouTube
武道館から横浜アリーナ、バンドは絶頂期へ
その後、アルバムからのリカット・シングルとしてシングル『ILLUMINATI [P-type](イルミナティ)』(5月20日発売。オリコン・チャート7位。セールス11万枚)をはさんで5月23日からは、アルバム発売を記念した全国11か所の大規模なツアーに出ることになる。
ILLUMINATI hq PV MALICE MIZER Gackt - YouTube
しかし、このコンサートが黄金期MALICE MIZERの最後のコンサートとなってしまう。
このコンサートを最後にGacktは失踪、そしてMALICE MIZERを脱退してしまう。
今まで騙しだましやってきたバンド内の小さな亀裂が、この頃には少しずつ、しかしどんどん大きくなり埋められないほどに広がっていたのだ。
Ju te veux HQ 【MALICE MIZER】 - YouTube
-HQ- エーゲ~過ぎ去りし風と共に~ / MALICE MIZER / Gackt - YouTube
Gackt脱退の真相
それはGacktが後から加入したにもかかわらず、バンド内でのイニシアチブを次々と自分のものとしていったことと関係があるのかもしれない。
5人それぞれの意見を尊重することがMALICE MIZERのグループ運営の要となっていたが、バンドを大きくしたい一心だったGacktが建設的な意見を出せば出すほどそれを「面白い」と思うよりも「うっとうしい」と思う雰囲気が醸成されていった。バンド内は少しずつ空回りし始めたのだ。
それに加えて急激に大きくなっていったバンドを巡るビジネス、バンド内でのGacktの突出した人気と他メンバーとの格差、走り続けることに疲弊してしまい、自分のペースでやりたいと考える一部メンバーと、まだまだ先に行くというGacktとの意見の対立。明らかにmana寄りの事務所女性社長とGacktとの確執。。
決定的な引き金となったのは、今まで作詞はGackt、作曲はmanaかKöziという暗黙の了解で守られていた創作方法が、9月30日に発売されたメジャー5枚目のシングル『Le ciel ~空白の彼方へ~』ではGacktの作詞・作曲による単独の作品として制作され、この均衡が破れたことだった。
人気の面でも、バンド内でのイニシアチブでもGacktだけが突出していったことに加え、誇りである楽曲の作曲までGacktに握られてしまうことに危惧をいだいた他メンバーの不満は頂点に達していたのだ。
皮肉なことにこの『Le ciel ~空白の彼方へ~』は売上こそ通常レベルの11万枚であったが、オリコン・チャートは4位とシングルの最高位を記録することになる。
[PV] Malice Mizer- Le Ciel - YouTube
悪意と悲劇
実際は新ヴォーカルを迎えMALICE MIZERと名乗っての活動は続けられたが、GacktがいないMALICE MIZERはもはやMALICE MIZERではなかった。
1999年1月には正式にGacktの脱退が発表される。
そして、同年6月21日にはドラムのkamiが急逝。
頂点にあったMALICE MIZERは、「悪意」の中で崩れ去り、最後には「悲劇」だけが残った。
しかし、彼らの作った音楽、世界は伝説となって今も語り継がれている。