阿久悠の長男・深田太郎がエッセイ『「歌だけが残る」と、あなたは言った――わが父、阿久悠』を刊行!
2019年7月31日 更新

阿久悠の長男・深田太郎がエッセイ『「歌だけが残る」と、あなたは言った――わが父、阿久悠』を刊行!

偉大なる作詞家「阿久悠」。長男・深田太郎さんが、父親との思い出を綴ったエッセイ『「歌だけが残る」と、あなたは言った ――わが父、阿久悠』を刊行!発売を記念し、インタビューを行い、色々とお話を伺いました!

1,318 view

阿久悠の長男・深田太郎によるエッセイ『「歌だけが残る」と、あなたは言った ――わが父、阿久悠』が刊行!!

数々の名曲を世に送り出した作詞家「阿久悠」。その長男である深田太郎さんが、父親との思い出を綴ったエッセイ『「歌だけが残る」と、あなたは言った ――わが父、阿久悠』を刊行されました!

テレビや雑誌には決して見せることのない阿久悠さんの日常のワンシーンや家族との関係などが、深田さんの柔らかな言葉で語られています。
『「歌だけが残る」と、あなたは言った ――わが父、阿久悠』

『「歌だけが残る」と、あなたは言った ――わが父、阿久悠』

定価:1,944円(本体1,800円)
出版社: 河出書房新社
ピンクレディーや沢田研二といった時代を象徴するスターへの作詞提供で知られる阿久悠さん。5000曲を超える作品数や日本レコード大賞を3年連続を含み、計5回も受賞されるなど、今なお偉大な作詞家としての名声を欲しいままにしています。

書籍では盟友である久世光彦さん、上村一夫さんとの仕事の様子も、少年時代の深田さんの目線を通して描かれています。

さらに200ページに集約された阿久悠さんとご家族との生活はファンなら必見。深田家を彩っていた母親や祖父母をはじめ、犬猫や鳥、植物までが登場し、賑やかで温かな日々が綴られています。

多忙を極める父親の帰りを楽しみに待つ少年が、家でも「作詞家の顔」を崩さない父親を観察し、一風変わった関係を築いていきます。
深田太郎さん

深田太郎さん

また、1977年に深田さんがたまたま観たというハードロック・バンド「キッス」のライブ映像。そこからロックに傾倒していく様子や「どうしたら阿久悠と関わらない人生を歩めるか」と自問自答していた若かりし頃のエピソードなど、深田さん自身の半生も語られます。

深田さんがバンドマンとして、作曲家としてどのように音楽と関わってきたか。父・阿久悠(多夢星人名義)との父子共作でのメジャーデビューなど、知られざるエピソードが満載です!!
深田太郎さん

深田太郎さん

深田太郎へインタビュー!!

今回、ミドルエッジ編集部は深田さんへのインタビューの機会をいただきました!
柔和な笑顔が印象的な深田さんに色々と質問をしてみました!!
深田太郎さん

深田太郎さん

書籍にて伊豆・宇佐美での阿久悠さんの仕事部屋である「書斎」について語られる部分があります。書斎は明治大学「阿久悠記念館」で忠実に再現されていますね。
実は私もこちらへお伺いしたのですが、同書でも触れられているダンベルの配置などとてもリアリティのある展示でした。

宇佐美の書斎を知る深田さんから見て、第一印象はいかがでしたか?

書斎の再現に関して、業者さんに「書物の順列、小物の配置など、宇佐美の時と1ミリも違わず再現してほしい」と無茶を云わせてもらったのですが、そんな遺族の気持に応えてくれた素晴らしい再現度だと感じました。机と本棚の間に布団を敷いて寝転がって仕事をする阿久悠が見えてくるようです。

阿久悠さんは「多夢星人」というペンネームでの活動もされていました。 フォークやニューミュージック系の作曲家と組む時は、阿久悠の名前が出ないほうが気楽でいいと配慮されていたそうですね。

深田さんも1994年の「BB(べべ)ちゃん雲にのる」(本田美奈子.さんのアルバム「JUNCTION」に収録)などで、作曲家としてお父様と組まれていますが、どういった心持ちで制作に臨まれていたのでしょうか?

1992年に私が在籍していたロックバンド(ジェンダ・ベンダ)に、父が詞を提供してくれた時も、私に気を使ってやはり「多夢星人」のペンネームを使ってくれました。

1994年の本田美奈子.さんの時は、バンドが解散して私も作曲家として活動していこうと決意した矢先でしたので、作詞家の大先輩「阿久悠」に力を借りるつもりで無我夢中で曲を作リました。

父の詞はよく言われる通り非常に映像的ですぐに情景が浮かびます。そしてじっくり丁寧に向き合えば、ことばが自然とメロディーを導いてくれる感じがしました。

書籍で「二十四時間阿久悠だった」と常に作詞家であったと表現されています。

阿久悠さんにとって趣味でもあったと思われる”絵を描く”行為は、表現者としてはどのような位置づけだったと思われますか?

一種の「浄化作用」があったのではないでしょうか。何にも縛られていない自由な父が、絵の中にいるようです。

小児喘息の症状に長らく悩まされていた深田さん。書籍では後に”原因”は判明しますが、当時は思春期ということもあり、なかなか治らない持病に不安感は強かったのではないでしょうか?

小児喘息は暗い思い出です(笑)。高校で寮生活を始めて、ようやく症状が収まるまでは、月に一度は東京の病院で大きな注射を打ったり、体力をつけるために地元の道場で空手を習ったりと体質改善の努力をしておりました。

そんな私の小児喘息が長引いた”原因”がわかった時は、怒りを通り越して笑ってしまいました。でも誰にも罪はないのです。今ではこれも思い出の一つです。

作詞家、放送作家、小説家など多彩な才能をお持ちだった阿久悠さん。
子供の頃の深田さんは、忙しくなるにつれてなかなか会えない父・阿久悠さんを書籍で「とびきりスペシャルなお客様」と表現されています。

そんな阿久悠さんとの大事なコミュニケーションツールとして”映画鑑賞”が度々語られています。今回登場していない作品で、他にも思い出深いものはありますか?

ある年のお正月の深夜、テレビでキューブリックの「2001年宇宙の旅」を2人で観ていたのですが、あまりの難解さに2人でただ呆然と画面を眺めていた事を覚えています。

他に「薔薇の名前」「汚れた血」「バーディ」「マリリンとアインシュタイン」「アリゾナ・ドリーム」「バッファロー’66」など、自分がお勧めした映画を父に「面白い」と言ってもらえると、まるで自分自身が褒められたかのような気持ちになりました。

39 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • 2020/2/20 19:46

    GENDA×BENDAのその後の消息を追ってる中で深田さんにたどり着きました。
    今でもよく聴いてますよ。確かに良い歌は人の心に残っていくものです。

    すべてのコメントを見る (1)

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【阿久悠&三木たかし】史上最強の作詞作曲コンビ!全458作品の中から名曲7選

【阿久悠&三木たかし】史上最強の作詞作曲コンビ!全458作品の中から名曲7選

昭和歌謡を代表する作詞家・阿久悠と作曲家・三木たかし。二人がコンビを組み、生み出した作品は全458曲に上ります。2007年に阿久悠が、2009年に三木たかしが相次いで亡くなりましたが、今も二人の曲は歌い継がれ、日本人の心に生き続けています。数多ある作品の中から、今回は昭和にヒットした7曲をご紹介します。
izaiza347 | 460 view
【阿久悠】ヒットチャートを席巻!作詞した曲が16曲チャートインした1977年12月5日

【阿久悠】ヒットチャートを席巻!作詞した曲が16曲チャートインした1977年12月5日

阿久悠が作詞を手がけた楽曲は、5,000曲以上と言われています。特に1970年代が多く、当時オリコンシングルチャートの上位に多くの曲が登場しました。その一例が1977年12月5日。ピンクレディーや沢田研二の全盛期で、年末の賞レースで盛り上がっていた頃です。100位以内にチャートインしたのは全16曲。上位から順に見てみましょう。
izaiza347 | 425 view
カブキロックスが結成30周年!ギタリスト坂川美女丸にイカ天時代から現在までの活動について聞いてみた!

カブキロックスが結成30周年!ギタリスト坂川美女丸にイカ天時代から現在までの活動について聞いてみた!

「イカ天」でのブレイク以来、歌舞伎をモチーフとした奇抜なメイクで人気を博しているカブキロックス。今年で結成30周年を迎えました。ギタリスト坂川美女丸さんにイカ天時代から現在までの活動についてなど、インタビューしてみました!
30周年記念アルバム「新青年」発売直前!人間椅子・鈴木研一さんにミドルエッジ編集部がインタビューを敢行!

30周年記念アルバム「新青年」発売直前!人間椅子・鈴木研一さんにミドルエッジ編集部がインタビューを敢行!

ハードロックの最前線で活躍を続けるバンド「人間椅子」。6月5日にはアルバム「新青年」のリリースが決定しています。このたびミドルエッジ編集部は、人間椅子でベース・ボーカルを務める鈴木研一さんへのインタビューに成功!ニューアルバムの魅力や30年間の音楽活動の軌跡について語っていただきました。
【訃報】森山加代子さん死去。阿久悠さんとのコンビ「白い蝶のサンバ」ではオリコン1位に

【訃報】森山加代子さん死去。阿久悠さんとのコンビ「白い蝶のサンバ」ではオリコン1位に

歌手の森山加代子さんが6日、都内の病院で亡くなりました。1970年の作詞家・阿久悠さんとのコンビでリリースしたシングル「白い蝶のサンバ」では、オリコン1位を獲得しています。

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト