ボクシング界で蛇蝎の如く嫌われた名物プロモーター「ドン・キング」
2020年10月8日 更新

ボクシング界で蛇蝎の如く嫌われた名物プロモーター「ドン・キング」

マイク・タイソンのプロモーターとして、一躍日本でも有名になったドン・キング。その半生を振り返ると、さまざまな罪を犯し、詐欺的な金儲けを繰り返していて、本当にろくでもない男なのですが、しかし、その行動力・胆力・弁才が超1流だったのは疑いようもありません。

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マイク・タイソンのプロモーターとして知られていたドン・キング

伝説のヘビー級ボクサー・マイク・タイソン。彼のキャリアを語るうえで欠かせない人物が2人います。カス・ダマトと、そしてドン・キングです。

ダマトは、数々の世界王者を育て上げてきたボクシングの名トレーナー。1979年、知人の少年院ボクシング担当教官から、更生プログラムを受けていた当時13歳の不良少年・タイソンを紹介され、あまりの才能にほれ込み、コーチを買って出た逸話は有名です。
タイソンに自身が考案した独自のファイトスタイル「ピーカブー」(Peekaboo『いないいないばあ』の意味)を徹底的に教え込み、一流ファイターとして鍛え上げただけでなく、16歳で母親を失った彼の法的保護者も務めたダマト。そんな恩師に、タイソンも全幅の信頼を寄せていたようで、「オレにとってオヤジ以上の存在だった」「オレのバックボーンであり、初めて出会った心の許せる人間だった」との発言を残しています。
カス・ダマト

カス・ダマト

インパクト絶大な悪人顔で、さまざまな作品でパロディ化される

そのダマトが生前「グリズリーには近づいても、ヤツには近付くな」とタイソンに釘を刺していたのが、誰あろう、ドン・キングでした。逆立った白髪と口髭に蝶ネクタイ…。いかにも一癖ありそうなその風貌はインパクト絶大です。
ドン・キングとマイク・タイソン

ドン・キングとマイク・タイソン

キャラ立ちしまくっているビジュアルがゆえに、これまで映画『ロッキー5』に登場した「ジョージ・ワシントン・デューク」や『範馬刃牙』に出てきた悪徳プロモーター・カイザーをはじめ、さまざまな作品でパロディ化されています。
ロッキー5のジョージ・ワシントン・デューク

ロッキー5のジョージ・ワシントン・デューク

過去に殺人事件も起こしている

そんな悪人面のドン・キングですが、実際、プロモーターとしてのやり口は本当に悪徳そのもの、というか、過去の経歴を調べてみると、言い訳できないレベルの完全なる悪人なのです。なぜなら、過去に人を2度も殺めているのだから。

キングはもともと、クリーブランドで違法賭博の集金人・違法ブックメーカーの胴元をやっていました。その時期に、彼に2回人を殺しています。

1度目の殺人は20代前半の時。キングの運営する賭博場に盗みに入ったとされる男を後ろから銃で撃ち殺します。しかし、これは正当殺人と見なされ、刑には服さなかったようです。

2回目の殺人は30代前半の時。被害者となる男は、キングに600ドルの借金がありました。男は薬物中毒で半ば病人のように痩せ細っており、大柄で恰幅の良いキングに太刀打ちなどできるはずもありません。にも関わらず、キングは男を銃で殴りつけ、起き上がろうとすれば蹴り上げ、容赦なく頭部を踏みつけたといいます。彼が病院で残した最後の言葉は「借金は返すよ、キング」だったとか。

金に対してとことんシビアであり、いざとなれば人の命など顧みない残忍で冷徹な男…。2つの事件からキングの人間性が垣間見えます。
ドン・キングのマグショット

ドン・キングのマグショット

見るからに、極悪そうです…。
しかし、キングは決して、ただの無知な乱暴者ではありませんでした。めっぽう頭の切れる人物でもあったのです。それは、もしかしたら、ゲットーに住む貧困層として育ちながらも、地元の名門ケース・ウェスタン・リザーブ大学へ進学するほどに、学力・思考力を研鑽した賜物なのかも知れませんし、同大学を中退した後に合法・非合法関わらずさまざまな職業に就く中で身につけた合理的問題解決力・実務家としての素養が、関係しているのかも知れません。あるいは、1951年から1966年までの間に、さまざまな罪で35回も逮捕された経験が、修羅場の中でこそ冴える狡猾さを身に付けさせたのかも知れません。

いずれにしても、第2級殺人の罪で懲役20年の刑が言い渡されていたのにも関わらず、幸運にも過失致死罪に減刑されて、3年11ヶ月でシャバに出てきたキングは、ある一つのアイデアを思いつきます。ボクシングで一儲けしよう、と。そして、そのために、“神様”モハメド・アリへの接触を試みたのです。

チャリティマッチへ、アリを呼ぶことに成功する

キングがアリとの関係をつくるために、考えたのが、チャリティマッチの開催です。地元の顔役で、有名人とも交流があったキングは、ロックシンガー ロイド・プライスの紹介で一度だけアリに会ったことがありました。そのツテを使い、クリーブランドの地元病院においてチャリティイベントの試合を企画し、そのエキシビジョンマッチに見事、アリを出場させたのです。

始末の悪いことに、キングには人を惹きつける魅力も備わっていました。プロモーター業を開始したかなり初期の頃より悪評まみれだったのに、タイソンをはじめ次々と1流ボクサーが契約を交わしたのは、キングと会うと、皆彼のことが好きになってしまうためです。
ロイド・プライスもキングのことが大好きだったがゆえに、この一件への協力を惜しまなかったのですが、彼には何の報いなく、逆にキング一人だけ私腹を肥やしていたといいます。この瞬間から、プロモータードン・キングのキャリアはスタートしました。
Lloyd Price

Lloyd Price

後にロイドは、自分がキングに利用されていただけだと気付いたようです。

キンシャサの戦いで世界的名声を得る

キングの名を一躍世に知らしめたのが、キンシャサの戦いです。当時世界中のプロモーターが実現したくてもできなかった、ゴールデンカード「元王者モハメド・アリvs現王者ジョージ・フォアマン」。それをまだ業界に参入して2年程度で、映像会社に雇われの身だったキングが実現できたのは、その弁舌・行動力・度胸・洞察力など、これまでの人生で蓄えてきたあらゆる能力を駆使したからに他ならないでしょう。

フォアマンには「アリを倒さなければ、皆、君を認めないだろう」とハッパをかけ、一方でアリには「君のチャンピオンベルトを取り戻すんだ」と口説き、さらには、出資者を求めて、ザイールの独裁者とつながる金融界の裏を牛耳る大物とも渡り合うなんて、彼以外、果たして誰ができるでしょうか?
大成功に終わったキンシャサの戦い

大成功に終わったキンシャサの戦い

今では信頼を失い、表舞台からは遠ざかっている

キンシャサ以降、キングの成功は目覚ましいものでした。彼は自分にとって利用価値のある選手と次々に契約を結んでいき、利用価値がなくなると、躊躇なく切り捨てていきました。キングにとって、優先されるべきはビジネスであり、契約選手との情ではなかったのです。もっと言えば、リング上でどんな戦いが繰り広げられるかとか、ボクサーがどんな思いでリングに上がっているかとかにも、まったく無関心だったのでしょう。すべては金。その一点に集中していたキングは、ある意味、純粋な人間でした。

しかし、周囲の人をチェスの駒のようにしか見ていない彼の事業が、長期繁栄するはずもなく、マネージャーやボクサーから100件以上の訴訟を起こされた挙句に、今ではすっかり表舞台から遠ざかり、影響力も失っているといいます。この因果応報な結末も含めて、なんとも骨太な絵になる人生だと言えるのではないでしょうか。
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