1978年に放送が始まった『演歌の花道』
1978年10月1日から2000年9月24日までテレビ東京で放送されていた演歌専門の音楽番組。開始当初は東京12チャンネル。
毎週日曜の夜10時から30分間の放送だった。
毎週日曜の夜10時から30分間の放送だった。
大正製薬の一社提供で放送されたことでも知られ、長寿番組を支えていた。(テレビ東京系以外の局では、同時ネット局であってもスポンサー差し替えで対応していた。)
また、BSアナログハイビジョン実用化試験放送でも放送されていたことがある。
また、BSアナログハイビジョン実用化試験放送でも放送されていたことがある。
演歌の花道 番宣 1989年
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【スタッフ】
製作総指揮:大原潤三 ほか
演出:大島信彦、星俊一 ほか
プロデューサー:倉持輝男、宮川幸二
ナレーター:来宮良子
製作総指揮:大原潤三 ほか
演出:大島信彦、星俊一 ほか
プロデューサー:倉持輝男、宮川幸二
ナレーター:来宮良子
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番組の概要と来宮良子のナレーションについて
テレビ東京が毎年大晦日と夏・秋に放送する演歌・歌謡曲を中心とした音楽番組『にっぽんの歌』と共に「演歌のテレ東」のポジションを確立させた番組である『演歌の花道』。
北島三郎や島倉千代子、八代亜紀など多くの演歌歌手が、毎回3~4人程度出演していた。
北島三郎や島倉千代子、八代亜紀など多くの演歌歌手が、毎回3~4人程度出演していた。
島倉千代子 この世の花 演歌の花道1980
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演歌の花道 ~八代亜紀~~~~~
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ナレーターを務めていた来宮良子の「浮世舞台の花道は表もあれば裏もある 花と咲く身に歌あれば 咲かぬ花にも唄ひとつ…」で始まるオープニングの台詞が印象的だった。声が低く、落ち着いたトーンでの語り口が定番だった。
毎回季節やある観光地、作曲・作詞家など1つのテーマをドラマ形式で取り上げていき、それに関連した演歌の楽曲を来宮の語りに乗せて演歌歌手が熱唱した。
毎回季節やある観光地、作曲・作詞家など1つのテーマをドラマ形式で取り上げていき、それに関連した演歌の楽曲を来宮の語りに乗せて演歌歌手が熱唱した。
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番組で歌唱した映像がプロモーションビデオ代わりに使われることも多く、映像のクオリティの高さから、一部では「演歌版MTV」の異名を取るほどだった。
22年間、1107回も放送されたテレビ東京の看板番組だったが、2000年9月24日放送分でレギュラー放送を終了した。
22年間、1107回も放送されたテレビ東京の看板番組だったが、2000年9月24日放送分でレギュラー放送を終了した。
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ナレーター・来宮良子
きのみや りょうこ。本名は櫻井良子。
1931年7月10日 - 2013年11月25日。東京都出身。
東京家政学院短期大学中退。
1931年7月10日 - 2013年11月25日。東京都出身。
東京家政学院短期大学中退。
1951年に、東京放送劇団の4期生として入団した。翌年1952年には、NHKラジオドラマ『君の名は』でナレーションを担当した。同期生には、黒沢良、川久保潔などがいる。
1950年代後半から上映用『毎日ニュース』や、資生堂のCMのナレーションなど多数出演し、また数々の洋画吹き替えも担当(モーリン・オハラやフェイ・ダナウェイなどのクール・ビューティーな女優に多く起用された)。
吹き替えより、むしろテレビ番組などでのナレーターとしての活躍が目立っており、特に『演歌の花道』や『いつみても波瀾万丈』、一連の大映ドラマなどで聴かせたドラマティックな節回しが話題を呼び、「来宮節」とまで呼ばれて高い人気を誇った。
また、オカルト系統の番組のナレーションは、ほぼ独擅場と言っていいほどであった(『地獄先生ぬ〜べ〜』でのOPナレーションを担当したのもそこからの縁)。
√6意味知ってると舌安泰 2022/12/2 21:06
≪…浮き世舞台の花道は 表もあれば、裏もある。花と咲く身に歌あれば 咲かぬ花にも唄ひとつ。なぜか身に染む こころ歌…≫を、
【 浮き世舞台のヒフミヨは 表(+)もあれば、裏(ー)もある。花と咲く身に数え歌あれば 咲かぬ花にも一の水中花(カオス)ひとつ。なぜか身に染むカオスを知らない子供 歌 】