お子様ランチがスターの座についたのはウルトラマンの力
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子供にとって楽園だった『デパートの屋上遊園地』 昔は百貨店の屋上には遊園地があり、母親が買い物をしている間に子供と父親はそこで時間を潰していたものです。
常設による日本初の屋上遊園地は「松屋浅草店」の「スポーツランド」
常設による日本初の屋上遊園地は、日本娯楽機製作所(現・ニチゴ)が1929年(昭和4年)に日本初の自動木馬を開発(宝塚新温泉への納入実績により)したことから、1931年(昭和6年)11月に開店した松屋浅草店に設けられた。
日本娯楽機製作所社長の遠藤嘉一は、設計技師と話し合って「スポーツランド」と命名する。これはその後の「○○ランド」のはしりとなった。
日本娯楽機製作所社長の遠藤嘉一は、設計技師と話し合って「スポーツランド」と命名する。これはその後の「○○ランド」のはしりとなった。
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松屋浅草店の屋上遊園地の60人乗りとなる「スカイクルーザー」
土星に似た斬新なデザインで、360度水平回転し浅草の街や隅田川を見下ろせるスカイクルーザーは、まるでビルの外へ放り出されそうになる重力感とスピード、スリルが味わえることから人気が殺到した。
そして、夜は縁取られたネオンによって爛々とした光彩を放ち、その姿は浅草の新たなシンボルでもあった。
そして、夜は縁取られたネオンによって爛々とした光彩を放ち、その姿は浅草の新たなシンボルでもあった。
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1950年代半ば(昭和30年代初め)から1960年代後半(昭和40年代半ば)にかけてが屋上遊園地の全盛期であった。現在と比べて子供達の娯楽が乏しかったこともあって、子供達にとってはまさに天国であり楽園的な存在でもあった。
「丸広百貨店川越店」(埼玉県川越市)の屋上遊園地
丸広百貨店わんぱくランド(ナムコが運営)
川越駅から徒歩8分。丸広百貨店の屋上にあるお店です。昭和43年生まれの屋上遊園地健在!観覧車・モノレール・飛行機は今日もお客様を乗せ元気に運行中です!
川越駅から徒歩8分。丸広百貨店の屋上にあるお店です。昭和43年生まれの屋上遊園地健在!観覧車・モノレール・飛行機は今日もお客様を乗せ元気に運行中です!
最後の屋上遊園地 / オーノキヨフミの明日まで待てない 2014 10/29
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長崎浜屋デパート屋上遊園地【その1】レトロ10円ゲームで遊びつくす!懐かしい昭和の思い出
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デパートの屋上でのイベント・展示:ミスコンやスーパーカー展示など
「ミス大井どんたく」コンテスト 昭和40年頃 阪急百貨店の屋上
デパート屋上は遊園地だけではなく仮設ステージが設けられ、繊維メーカー主催による水着ショー、各種ミスコン、映画会社による出演者を交えた新作発表会、新人歌手のキャンペーン、人気歌手のサイン会や子供向けテレビ番組のキャラクターショーなどが催されるようになる。
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スーパーカーブーム時期の1977年頃は、デパートの屋上でスーパーカー展示イベントが頻繁に行われた。
仙台の藤崎デパートの黄色いカウンタックの屋上展示。
1977年(昭和52年) - 1978年(昭和53年)にかけてのスーパーカーブーム絶頂期に、日本各地のデパートがランボルギーニ・カウンタックを始めとしたスーパーカーの展示撮影会を行い、関連商品の販売人気も手伝って子供から大人まで連日大人気を博した。
1977年(昭和52年) - 1978年(昭和53年)にかけてのスーパーカーブーム絶頂期に、日本各地のデパートがランボルギーニ・カウンタックを始めとしたスーパーカーの展示撮影会を行い、関連商品の販売人気も手伝って子供から大人まで連日大人気を博した。
最後に、デパートのおもちゃ売り場で、好きなおもちゃを買ってもらう。最高の休日のクライマックス。
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テレビで大人気だった“ウルトラマン”や“怪獣”をおまけに付けたのです。その結果、日曜日には1日1,300食も出て、オムレツを焼くのが間に合わず、4~5人がかかりっきりで焼いたそうです。当時の価格は40~60円。大人のランチの半額程度、ラーメンが25~30円でした。