【13球団から勝利!?】日本のプロ野球史で工藤公康だけが達成したとんでもない記録!
2025年4月13日 更新

【13球団から勝利!?】日本のプロ野球史で工藤公康だけが達成したとんでもない記録!

現役生活29年、通算224勝、MVP2回の大投手で、選手として監督としてチームを何度も日本一に導いてきた人物といえば、もちろん工藤公康投手。実はあまり知られていませんが、日本のプロ野球史上、工藤投手だけが達成したとんでもない記録があります。セ・パ両リーグで活躍した、工藤投手ならではの意外な記録とは?

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工藤にとって移籍後2試合目となる、4月11日の阪神戦も、7回2失点の好投で勝利。打っては、4打数1安打1打点と投打にわたる活躍でした。しかし、続く4月18日の阪神戦では5回5失点でノックアウトされ、セ・リーグ初黒星。その後は、1ヶ月もの間、勝利から見放されてしまいます。

工藤公康

2000 工藤公康 1

2000年5月9日 横浜ベイスターズ

2勝2敗で迎えた5月9日の横浜戦も、先発で登板。8回を2失点に抑えると、9回は高校時代から同級生でライバルの槙原寛己が締め、3勝目を挙げました。ここから工藤の快進撃が始まり、5割前後を推移していたチームも徐々に勝ち星を増やしていきます。

工藤公康&槙原寛己

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2000年5月16日 広島東洋カープ

続く5月16日の広島戦も、7回1失点の好投で勝利。5月23日の横浜戦も勝利し、3登板連続で勝利を飾りました。気づけば、早くも4球団から勝利。自球団を除いて、残る球団はあと1つです。

2000年7月14日 ヤクルトスワローズ

工藤の快進撃は止まることを知らず、6月6日の阪神戦から8月3日の横浜戦まで、6連勝!中でも、7月14日のヤクルト戦は、相手チームのエース川崎憲次郎との投手戦となり、工藤・川崎ともにフルイニングを完投します。結果は、1対0で巨人の勝利。工藤は、セ・リーグに移籍して初めて、完封・完投・無四球勝利を同時に達成しました。

巨人1年目となった2000年の工藤の成績は、21試合に登板し、12勝5敗 防御率3.11。そして、勝率 .706で、最高勝率のタイトルを獲得しました。両リーグでの最高勝率のタイトル獲得は、工藤が初めてです。巨人は、工藤の加入が奏功し、1994年以来のリーグ制覇と日本一を達成しました(リーグ優勝は1996年以来)。

全球団勝利まで、あとは自球団の巨人のみ。しかし、こればかりは、他チームに移籍しない限り、自分一人ではどうすることもできません。この後、どうなるのでしょうか。

2007年7月24日 読売ジャイアンツ

2007年は、工藤にとって44歳を迎える年でしたが、横浜ベイスターズに移籍。先発ローテーションの一角を担いますが、残る1チームの巨人になかなか勝てません。それどころか、巨人戦3連敗を喫します。

4月1日  6回途中6失点KO
5月15日 6回途中5失点KO
7月4日  7回途中2失点KO

しかし、その時はやってきました。

7月24日の巨人戦。6回を2失点に抑え、5対2の3点差リードで勝利投手の権利を持ったまま降板します。その後、チームは1点差にまで追い詰められますが、4人の中継ぎ投手と、抑えのクルーン投手の踏ん張りでかろうじて逃げ切り、巨人戦初勝利を果たしました。

これで、全球団勝利を達成!交流戦が始まったのは2005年ですが、工藤の全球団勝利は交流戦と関係なくすべて所属リーグ内の対戦で達成した記録です。交流戦に頼らず全球団勝利を達成した投手は、工藤の他に3人だけで、ミドルエッジですでに紹介した、野村収、古賀正明、武田一浩の3人です。

さて、話はここで終わりではありません。もう一つのおまけ、そう「13球団勝利」のカラクリがあります。

(2005年5月6日 東北楽天ゴールデンイーグルス)

2005年5月6日に、日本のプロ野球史上初めてのセ・パ交流戦が開幕。当時、工藤が在籍した巨人の最初の相手は、創設1年目の楽天でした。そして、その初戦に登板したのが工藤です。工藤は、7回途中2失点と試合を作り、後続は打たれるも何とか逃げ切って勝利。巨人にとって交流戦初戦で勝利、工藤にとっては13球団目となる楽天に勝利と記念すべき試合となりました。因みに、6月16日の楽天戦でも勝利投手になっています。

工藤公康

これが実働29年通算224勝できた秘密 工藤公康の投球術【ピッチャーズバイブル】
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