聴くだけでテンションアップ!PRIDE初期の選手入場曲
2021年2月18日 更新

聴くだけでテンションアップ!PRIDE初期の選手入場曲

1997年高田延彦 vs. ヒクソン・グレイシーと言う歴史的一線から幕を開けたPRIDE。その後、2000年に入ると全盛期となり、大晦日の風物詩にすらなっていました。そんなPRIDEと言えば、壮絶な殴り合いや巧みな関節技の妙技はもちろんの事、いわゆる「煽り」と言われる入場シーンも見せ場の一つだった。曲を聴くだけでテンションアップ間違いなしのPRIDE初期の選手入場曲を紹介します。今、聴いてもテンション上がりまくりですよ!

58,093 view

高田延彦入場テーマ曲「Training Montage」MonkeyFlipLIVE2013 - YouTube

2002 11・24 高田延彦vs田村潔司 - YouTube

キングダムの初期、高田道場の選手や海外のバーリ・トゥード系選手を招聘しての総合格闘技興行「PRIDE」の開始に深く関わる。

UWFインター時代の同門の安生洋二がヒクソン・グレイシーに道場破りを仕掛けるも返り討ちにあった因縁の結果、(詳細はお互いのリンク先を参照)PRIDE創生期に選手として活動、ヒクソン・グレイシーと2度対戦(PRIDE.1、PRIDE.4)するが敗退。特に初戦において、エースクラスの日本人レスラーの総合格闘技での敗北はこれが最初でありプロレスファンの深い失望を招くとともに、A級戦犯としてプロレスマスコミからバッシングを受け、さらにアントニオ猪木からは「よりによって一番弱い奴が出て行った」と酷評される。

2度目のヒクソン敗北直後にヒクソンとの3度目の対戦を望んだ。その後もマーク・ケアー(PRIDE.6)、ホイス・グレイシー(PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦)、イゴール・ボブチャンチン(PRIDE.11)、ミルコ・クロコップ(PRIDE.17)、マイク・ベルナルド(INOKI BOM-BA-YE 2001)などと次々と戦うが、消極的な戦い方で敗退した。イゴール・ボブチャンチン戦からはメインイベンターの座からも降りた。一方、マーク・コールマン(PRIDE.5)には勝利したが、コールマンは後にこの試合がブックであったことを事実上認める発言をしている。

2002年11月24日、PRIDE.23の田村潔司相手に引退試合を行い、2Rに右フックで失神KO負け。試合後のマイクで田村に「お前、男だ!」と発言、このフレーズが後の大会で頻繁に使用されることになる。

ゲーリーグッドリッジテーマ曲-We Will Rock You

 (1545399)

おうPRIDE初出場の日本選手などを次々と蹴散らしたことから「PRIDEの番人」と呼ばれたゲーリー・グッドリッジ。元アームレスリング世界チャンピオンだけあって、まさに剛腕がうなった。
そんなゲーリー・グッドリッジの入場曲は、クイーンの名曲「We Will Rock You』。この曲を聴くと、自然と手拍子したくなりませんか?

Gary Goodridge Entrance Theme - YouTube

Gary Goodridge Entrance Theme ゲーリー・グッドリッジ 入場曲

ゲーリー・グッドリッジvs谷津嘉章<PRIDE11> - YouTube

ゲーリー・グッドリッジ(Gary Goodridge、男性、1966年1月17日 - )は、カナダの元総合格闘家・キックボクサー。トリニダード・トバゴ出身。元アームレスリング世界王者。
並外れた怪力の持ち主で、完全に極まったアームロックを腕力のみで外してしまったこともある。左腕に刻まれた“剛力”のタトゥーは、文字通り自らのパワーを誇示するために彫ったものである。筋骨隆々とした強面な風貌とは裏腹に、普段は温厚で紳士的な人物として知られ、格闘技関係者から尊敬を集めている。PRIDE参戦当時のニックネームは「PRIDEの番人」。これはグッドリッジが、PRIDE初参戦の選手と数多く対戦したことに起因する。初参戦の選手にとっては立ちはだかる厚い壁、ファンにとっては積極的なファイトで会場を沸かせる名物選手として人気を集めた。

2008年12月15日、カナダオン タリオ州トロント郊外に自らのジム「Fighting University」をオープンさせた。2012年、CTE(慢性外傷性脳症)による認知症であると診断されたと伝えられていたが、本人曰く、脳にダメージは有るものの軽症とのこと。

マークケアー入場曲-God of Thunder

 (1545405)

「霊長類ヒト科最強の男」という触れ込みで、ものの見事な肉体美を惜しげもなく披露していた。PRIDE初期のエースの一人ではあるが、期待通りに勝利を積み重ねることはできなかった。

Mark Kerr Entrance Theme - YouTube

マーク・ケアーvsボリソフ・イゴリ 煽りV<PRIDE10> - YouTube

PRIDE10 2000年8月27日 西武ドーム 佐竹雅昭vs村上一成 煽りV https://youtu.be/HKUTdQmdm-k 試合 https://youtu.be/nr7K4xjH-ig イゴール・ボブチャンチンvsエンセン井上 煽りVand選手入場 https://youtu.be/NGYQMVW...
マーク・ケアー(Mark Kerr、男性、1968年12月21日 - )は、アメリカ合衆国のレスリング選手、総合格闘家。オハイオ州トレド出身。チーム・ケアー所属。UFC 14・15ヘビー級トーナメント優勝。

人並外れた筋肉から繰り出される怪力で「霊長類ヒト科最強」と恐れられた。

ミルコ・クロコップ入場曲-Wild Boys

 (1545411)

元警察官であり、リングネームの「クロコップ」は、英語で「クロアチア人のコップ(警官)」の意があるクロアチアの星。K-1チャンピオンの肩書を引っ提げてPRIDE参戦したが、立ち技だけかと思っていたら総合にも適応力があり、長きにわたり歴史を作った。
そんなクロコップの入場曲はDuran Duranのワイルドボーイズ。
「ワールドボーイズ」と叫ぶところが「クロコップ!」と聞こえた。

ミルコ・クロコップのテーマ/ワイルド・ボーイズ - YouTube

PRIDE ミドル級 GP 2005 SPマッチ ミルコ入場シーン - YouTube

54 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

ヒクソン・グレイシー   まるでみえない力を持った神様

ヒクソン・グレイシー まるでみえない力を持った神様

そんなに大きくない体。 あまり太くない筋肉。 哲学者的風貌。 そしてシンプルすぎる戦い方。 これで世界最強の男なんてありえない。 でも (カビラジェイ風に)あるんです。
RAOH | 24,114 view
2002年、PRIDE.23で引退した高田延彦の「出てこいや!」は決してギャグでなく、90年代Uインターを知る者の涙を誘う名シーンだった!

2002年、PRIDE.23で引退した高田延彦の「出てこいや!」は決してギャグでなく、90年代Uインターを知る者の涙を誘う名シーンだった!

2002年11月24日、PRIDE.23のリングで引退した高田延彦。このとき引退試合の相手を務めた田村潔司への試合後のマイク「お前、男だ!」、そして大会ラストの「Uインター、上がってこいや!」はどちらも流行語となり、以降の高田は「出てこいや!」を持ちネタにすることとなります。しかし90年代Uインターを観ていた者にとって、この時の「上がってこいや!」はギャグなどでなく胸が熱くなる、そして涙を誘う名シーンであったことを忘れてはなりません。
青春の握り拳 | 26,030 view
「400戦無敗の男」ヒクソン・グレイシーは本当に強いのか?

「400戦無敗の男」ヒクソン・グレイシーは本当に強いのか?

90年代後半に格闘技やプロレスファンだった者ならば、高田がやられ船木が倒されたこの男を知らないはずもありません。「400戦無敗の男」ヒクソン・グレイシー。彼は本当に400戦無敗だったのでしょうか。
青春の握り拳 | 99,178 view
第2次UWF崩壊 弾け散ったパワー・オブ・ドリーム

第2次UWF崩壊 弾け散ったパワー・オブ・ドリーム

1984年4月11日に旗揚げした第1次UWFは、様々な事件と前田日明と佐山聡のケンカマッチを経て1年半で崩壊。屈辱の新日本プロレス出戻り生活も前田日明が暴れまくったため2年半で終了。再旗揚げした第2次UWFは、社会現象といわれるほど若者を熱狂させながら、2年7ヵ月の活動にピリオドを打った。
RAOH | 1,882 view
わが青春の第2次UWF   古い体質を持つ巨大組織に反発し、勝利!

わが青春の第2次UWF 古い体質を持つ巨大組織に反発し、勝利!

第1次UWFは1年半で倒産。新日本プロレスに吸収され、2年半、屈辱の出戻り生活を送るも、数々に事件を引き起こし、最後は解雇され、志高きロクデナシどもは再び立ち上がったのである。
RAOH | 2,917 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト