石井慧! オリンピック金メダル獲得後、石井節炸裂!!「屁のツッパリにもなりません」「ウツでも金」福田康夫首相は「すごい純粋さが伝わってきました。そして腹黒くないからこそ政治家として人気が出ない」
2024年7月21日 更新

石井慧! オリンピック金メダル獲得後、石井節炸裂!!「屁のツッパリにもなりません」「ウツでも金」福田康夫首相は「すごい純粋さが伝わってきました。そして腹黒くないからこそ政治家として人気が出ない」

山下泰裕が持っていた全日本選手権最年少優勝記録を破り、井上康生、鈴木桂治、棟田康幸とのライバルに競り勝って北京オリンピックに出場し、金メダル獲得。「屁のツッパリにもなりません」「すごい純粋さが伝わってきました。そして腹黒くないからこそ、政治家として人気が出ない」

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2006年4月、全日本選手権の準決勝で大学2年生の石井慧は、時間稼ぎをするような勝ち方をしてしまい、斉藤仁に
「あんなのはお前の柔道じゃあないだろう」
と渇を入れられ、
「殺されるかと思った。
出来ればやり直したい」
と気持ちを入れ替え、決勝戦では、国士舘大学の先輩であり、アテネオリンピック100kg超級金メダリストの鈴木桂治と対戦。
両者ポイントが奪えないまま時間が過ぎていき、旗判定では鈴木桂治有利かと思われた残り6秒、石井慧が大内刈りで有効をとり、勝利。
山下泰裕が持っていた全日本選手権最年少優勝記録、19歳10ヵ月を19歳4カ月に更新した。
山下泰裕は公式戦559戦528勝16敗15分。
その勝率は、9割7分2厘。
203連勝、外国人無敗という記録も持つ上、非常に1本勝ちが多い柔道家だった。
180cm、128kgのナチュラルな体型で、キャラは真面目。
石井慧は、アスリート的な肉体を持ち、1本勝ちが少なく、笑いをとるためなら嘘もいとわない極度のお調子者。
しかし山下泰裕も
「柔道はルールあるケンカ」
といっており、ハードな闘争心の持っている点では完全に一致していた。
「山下さんが生きているうちに(連勝)記録を抜きたい」
(石井慧)
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石井慧の妹、愛は、東京女子体育大学に進学。
石井慧は同じ東京にいる妹に
「困ったことがあったらお兄ちゃんにいいや」
と電話。
妹、愛は、仕送りを大事にしながら、つつましく生活を送ったが、あるとき
「お兄ちゃん、ピンチ。
ご飯食べさせて」
と電話。
すると
「アカン、明日からヨーロッパ遠征や。
(ガチャンッ!ツーツーツー・・・)」
あるとき海外旅行のいくことになった妹、愛は、お小遣いもらうために兄のところへ。
「ミナミの帝王」の竹内力が好きな石井慧は、
「トイチ(10日で1割の金利)やぞ。
取立ては厳しいおまっせ」
といいながら10万円を渡し、トイチの意味がわからない妹は、
「エッ、くれんの」
といってもらった。
そして妹は大学在学中、水球のゴールキーパーとして日本一になった。

柔道名勝負列伝9 石井慧VS井上康生 「柔道界世紀の一戦」

2007年4月29日、嘉納杯があり、全国10地区の代表と前年優勝の石井慧、準優勝の鈴木桂治、そして推薦2名を加えた37名が出場。
前年、史上最年少優勝を果たした石井慧の2連覇か?
鈴木桂治が王座奪回か?
大胸筋腱断裂という大ケガを負って、同大会3年ぶりの出場となる井上康生の復活か?
棟田康幸 の初優勝か?
役者と話題は揃い、日本武道館は3階席まで埋まった。
大学3年生の石井慧は、1~3回戦まで技でポイントが奪えず、苦戦しながら準決勝に進出。
相手は、初対戦となる井上康生だった。
石井慧は左組、井上康生は右組のため、互いに釣手は取れるが、引き手 が取れない。
石井慧は、下から握った釣手のみで体落を連発し、数度、井上康生を腹這いにさせた。
一方、井上康生は、内股を狙い続け、そのスピードと破壊力に、石井慧は、両手を放して反撃を放棄しながらなんとかしのいだ。
そして井上康生の攻撃の機会を与えないように必死に攻め、旗判定で勝利。
しかし勝つために相手と極力組まない姿勢や片手での体落は「かけ逃げ」と批判された。
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決勝戦の相手は、鈴木桂治。
初戦、大藤尚哉に小内刈から小外刈の連続技で1本勝ち。
続く穴井隆将は判定勝ち。
準々決勝の高井洋平は、小外刈,小内刈で有効2つをとって勝利。
準決勝の相手は、棟田康幸に勝った125kgの片渕慎弥だったが、開始28秒、小内刈りで1本勝ち。
キレのある足技で5年連続となる決勝進出を果たした鈴木桂治-は、2連覇を狙う後輩、石井慧に対し、小外刈などの足技に加え、大外刈、内股と浅いながらも技をしかけ た。
石井慧は、終始、腰を引いた姿勢になり、組際に双手刈や朽木倒などを試みた。
残り1分、石井慧は片腕で背負投げ。
鈴木桂治-は、それを上から潰して寝技で入り、そのまま試合終了。
判定で鈴木桂治が勝利し、2年ぶり3回目の優勝を果たし、石井慧は2位。
この大会は5ヵ月後に行われるブラジル世界選手権の代表選考会も兼ねていたが、石井慧は選ばれなかった。
2007年9月、ブラジル、リオデジャネイロで世界選手権が行われ、男子は73kg以下級の 金丸雄介の銅、無差別級の 棟田康幸の金とメダルは2つのみに終わった。
2007年12月9日、北京オリンピック代表選考会の1つ、嘉納杯の100Kg超級決勝で石井慧は、ブラジル世界選手権5位の井上康生に優勢勝ちし、初優勝。
3日後の12日、国際合宿が都内で行われ、石井慧は井上康生らと共に参加。
翌年2月のオーストラリア国際、3月のカザフスタン国際への出場が決まっている石井慧は、午前、午後の2部練習で汗を流し、世界王者のテディ・リネールとも激しい乱取りを行った。
2008年1月、井上康生が東原亜希と結婚。
石井慧は、
「井上先輩はきれいな奥さんにおいしいご飯をつくってもらってますけど、僕は学食。
ハングリーさで負けません」
とコメント。
2月、オーストリア国際100kg超級に出場。
1回戦、高校3年生時に隅返で負け、前年の世界選手権無差別級、銀メダルのユーリ・ルイバク(ベラルーシ)ルイバクに大内刈りで1本勝ち。
2回戦から準決勝までオール1本勝ち。
決勝で世界選手権、銅メダルのピエール・ロバン(フランス)に優勢勝ちし、優勝。
3月、カザフスタン国際100kg超級で石井慧は、3試合オール1本勝ちで優勝。
嘉納杯、オーストラリア、カザフスタンと3大会連続優勝という強烈なインパクトを与えた石井慧は、
「自分の可能性に対する自信しかない」
井上康生、棟田康幸ら同階級のライバルに対し、北京オリンピック代表争いに名乗りを上げた。
カザフスタン国際の後、1週間にわたって行われた韓国合宿は
「速い組み手」
をテーマに2003年の90kg級世界王者、黄禧太(ファン・ヒテ)の指導を受けた。
黄禧太は、強引でアグレッシブな柔道を行い、立ち姿勢から倒れ込みながらのわき固め、相手の脚を掴んでの小内巻込などギリギリの技も使うため、反則負けが多い柔道家だが、石井慧は好きで、よく試合の映像をみていた。
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しかし2008年3月25日、石井慧は練習中に左大殿筋を断裂。
北京オリンピック代表選考会でもある全日本選抜柔道体重別選手権大会は欠場となり、オリンピック出場に赤信号。
4月5日、その全日本体重別では、

60kg級 平岡拓晃
66kg級 内柴正人
73kg級 金丸雄介
81kg級 小野卓志
90kg級 泉浩
100kg級 鈴木桂治
100kg超級 井上康生

が優勝。
石井慧は、
「気づいたら屋上の上に立っていて死のうと思っていた」
という。
しかしこの後、
「対戦したことがない。
代表合宿でも乱取りをしてくれない」
という棟田康幸や、
「五輪世界全日本と3冠を達成したスターで尊敬してやまない先輩。
初めてみたときからどうしたらあんなにみんなに好かれるのだろう、どうしたらあんなに八方美人になれるのだろうと自問自答をくりかえしてました」
という井上康生に対し、異例のアポなし出稽古を慣行。
そして断られ、
「自信を取り戻した」
という。

棟田康幸 vs 石井慧、五輪かけて激突(2008年全日本選手権)

4月29日、全日本選手権で大学4年生の石井慧は、準決勝で北京オリンピック代表争いで一歩リードされている世界選手権金メダリスト、棟田康幸と対戦。
自分より体重は重いが背は低い棟田康幸に対し、
「間合いを取り、懐にもぐり込ませず、焦りを誘う」
「組み手で負けないように、攻め手で負けないように、先、先に動く」
という作戦を立てて実行。
攻められない棟田康幸は「注意」をもらい(有効を奪われ)判定負け。
全日本柔道連盟強化委員長、吉村和郎は、
「自分で状況を判断して組み手を変えないと。
相手に合わせてしまった。
勝負への執念で甘さがあった」
とい棟田康幸の戦い方に柔軟性を欠いていたことを指摘した。
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決勝戦は、3年連続で、石井慧 vs 鈴木桂治。
国士館大学ではメンタルトレーニングの一環で、試合前にプリントが配られ、様々な設問に答えて提出。
その中には
「1回戦はどうするか?」
などという設問もあり、心構えや作戦を記入しなければならない。
決勝の欄に、鈴木桂治と当たると予想していた石井慧は、
「監督が(鈴木桂治)にしゃべるかもしれないので書きません」
と記入。
後で山内直人監督に呼ばれ、
「お前、なんだ。
俺が鈴木にいうとでも思っているのか」
と怒られた。
しかし決勝の畳に向かうと山内直人監督が鈴木桂治の背中を叩いているのを目撃し、
(やっぱり書かなくてよかった)

石井慧 vs 鈴木桂治(全日本柔道選手権決勝2008年)3年連続で決勝対決

試合開始後、石井慧は一気に前に出て気迫をみせ、体格で優る鈴木桂治は後退し、防戦に回った。
30秒、
「闘争心が足りなかった」
という鈴木桂治が足技を飛ばしたとき、
「1発飛び込んで攻めようと思っていた」
という石井慧は、懐に飛び込み、大外刈りと見せかけてからの大内刈りで「有効」を奪う。
すかさず寝技に入り、粘る鈴木桂治を上四方固めで抑え込み、28秒で逃げられたものの、さらに「技あり」を奪った。
鼻血を出した鈴木桂治の処置で少し中断した後、試合再開。
残り時間は4分23秒。
両鼻にティッシュを詰めた鈴木桂治が前に出てくると、石井慧は完全に守りに入る。
残り1分25秒、あまりの守勢に主審が副審を呼んで協議を行い、石井慧は「注意」をもらい(有効を奪われ)、ポイント差は技あり1つ。
残り18秒、「待て」がかかって、再び主審が副審を呼んで協議し、石井慧に「警告」を与え、ポイント差は有効1つ。
テレビ解説をしていた篠原信一は、
「逃げまくってます」
と全日本選手権の決勝で前代未聞の逃走劇を批判。
石井慧が飛びかかってくる鈴木桂治の攻撃をしのぎ、かけ逃げっぽい体落としを放って寝ころび、「待て」がかかったのは、残り2秒。
立ち上がった後、反則が来るが注目されたが来ず、終了のブザーが鳴ると、石井慧は顔をクシャクシャにして涙を流し、同大会2年ぶり2度目の優勝。
「ホッとした気持ちと悔しい気持ちと2つある。
握力も続かないし、足が動かなかった。
練習が足らなかった」
石井慧に勝ちに徹する戦いぶりに批判の声も上がったが、なりふりはかまっていられなかった。
勝利への執念でライバルを上回った石井慧は、選考委員会にも認められ、大逆転でオリンピック出場を決めた。
ちなみに井上康生は、準々決勝で高井洋平に敗れ、これが最後の試合となった。
残り10秒で放った内股を透かされて押さえこまれ1本負け。
「自分自身の力を出し切った。
悔いはない」
「最後まで1本を取る柔道がやりたかったので、最後まで攻撃できてよかった」
と話す井上康生の清々しさは、石井慧と好対照だった。
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石井慧は、オリンピックまでは木村政彦の「3倍努力」を超える「5倍努力」を目指した。
5時半から自主練。
6時、大学の朝練とウエイトトレーニング。
10時から警視庁で6分×10本。
大学で戻って食事をして昼寝
16~20時から国士館大学で練習。
そのまま明治大学の夜間練習へ。
23時に練習が終わり、立ち食いそば・うどんチェーン店「富士そば」で食事をして終電で帰宅。
電車で移動中にはイメージトレーニング。
試合のイメージは
「外国の選手をボコボコに投げ、圧倒的に勝つ」
しか行わないが、試合後のイメージは斉藤仁に「褒められるバージョン」と「怒られるバージョン」の2種類があった。
寮に戻るのは深夜。
1日の締めは柔道着の洗濯で、どんなに遅くなっても自分で洗う。
「道着の洗濯は自分でします。
地べたに置かないし、きれいにたたみます。
きれいな道着で練習しないと身につかないと思うので」
石井慧にとって柔道はスポーツではなく、生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの戦いだった。
小学校時代に切れた白帯は、日付を書いて保管し、高校時代から使っている黒帯は
「これが切れたら自分も死ぬ」
という守り神的存在だった。
そして寝るのは2時を過ぎた。
「練習だけじゃなく、寝るのも食べるのも練習。
みんなが酒を飲んだり遊んでいるときに体を気遣うのも練習です。
みんなが夜遊んでいるとき低反発の布団と枕で寝て冷房も強烈にせずに寝る。
それだけで練習なんです。
24時間練習していると。
父、義彦親は『18度以上は冷房やない』といっていましたが、それも我慢してました」
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