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2008年8月30日、石井慧はNHKスペシャルで取材で
「自分のように海外のJUDOを取り入れ対応できた選手が強くなる。
信長が鉄砲を手に入れたように・・」
と発言。
これをみた先輩の斉藤制剛は
「慧、もうこれ以上話すな」
とアドバイス。
石井慧にとって斉藤制剛は、
「制剛先輩は自分が調子の悪いとき、毎日声をかけてくれたり、ご飯に連れていってくれました。
試合でも勝てず辛い時期も、試合前にも自分の部屋に泊まりに来てくれたりしていたんです。
制剛先輩がいたからどんなにツラくても乗り切れたのだと思いますし、9歳も年上の人と関われたことで精神的に大人になれた気がします」
と国士舘で最も尊敬し、頼りにしている先輩。
一方、斉藤制剛は、「烏合の衆」を
「とりあいのしゅう」
と読んでしまう後輩のバカがバレるのを心配した。
「自分のように海外のJUDOを取り入れ対応できた選手が強くなる。
信長が鉄砲を手に入れたように・・」
と発言。
これをみた先輩の斉藤制剛は
「慧、もうこれ以上話すな」
とアドバイス。
石井慧にとって斉藤制剛は、
「制剛先輩は自分が調子の悪いとき、毎日声をかけてくれたり、ご飯に連れていってくれました。
試合でも勝てず辛い時期も、試合前にも自分の部屋に泊まりに来てくれたりしていたんです。
制剛先輩がいたからどんなにツラくても乗り切れたのだと思いますし、9歳も年上の人と関われたことで精神的に大人になれた気がします」
と国士舘で最も尊敬し、頼りにしている先輩。
一方、斉藤制剛は、「烏合の衆」を
「とりあいのしゅう」
と読んでしまう後輩のバカがバレるのを心配した。
報告会から数日後、9月1日21時30分、福田康夫首相が緊急記者会見を開き、
「内閣総理大臣・自由民主党総裁を辞職する」
と発表。
翌9月2日、国士舘大学で優勝報告会が行われ、石井慧はDAIGOのウィッシュポーズを決め、学長と握手。
福田康夫首相の突然の辞任について聞かれると
「僕は握手しただけで相手のことがすべてわかる。
薄々こういう風になるんじゃないかなと思っていた。
以心伝心で『思いとどまるように』気を送ったけど届かなかった」
さらに
「次の首相は麻生(太郎)さん。
腹の中で何か考えている。
日本はよくならない。
僕が(首相に)なったほうがよい」
とコメント。
そして
「大阪育ちなので皆さんを楽しませないとダメかなと思っている。
いまは絶好調、有頂天です」
と妙な責任感を示した。
「内閣総理大臣・自由民主党総裁を辞職する」
と発表。
翌9月2日、国士舘大学で優勝報告会が行われ、石井慧はDAIGOのウィッシュポーズを決め、学長と握手。
福田康夫首相の突然の辞任について聞かれると
「僕は握手しただけで相手のことがすべてわかる。
薄々こういう風になるんじゃないかなと思っていた。
以心伝心で『思いとどまるように』気を送ったけど届かなかった」
さらに
「次の首相は麻生(太郎)さん。
腹の中で何か考えている。
日本はよくならない。
僕が(首相に)なったほうがよい」
とコメント。
そして
「大阪育ちなので皆さんを楽しませないとダメかなと思っている。
いまは絶好調、有頂天です」
と妙な責任感を示した。
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2008年9月6日、大相撲の幕内力士、まだ未成年の若ノ鵬の落とした財布の中から大麻成分を含むロシア製のタバコが見つかった。
若ノ鵬は、解雇され、その後、ロシアへ帰国。
相撲協会は日本アンチ・ドーピング機構の指導のもと、力士に抜き打ちで尿検査を実施。
その結果、露鵬と白露山(実の兄弟)から大麻の陽性反応が出た。
石井慧は
「スポーツをやっていると凄いプレッシャーとか、凄く苦しいことがあるんで。
それ(大麻)を吸っていたとしても一概に責めてはいけないと思う。
ロシアから出てきて言葉も通じないところでメンタル的に薬に頼ってしまうというのもあると思います」
と力士を擁護する一方、日本相撲協会について
「ちょっと天狗になってると思います」
この後、露鵬と白露山は解雇され、北の湖は理事長を辞任。
9月10日、母校、清風学園で行われた報告会で、人生を生きていくためアドバイスとして
「1つは絶対に保証人にならないこと。
2つ目は煙草を吸わないこと。
健康や財を失いますから。
3つ目はネクタイをきっちり上まで締めること。
それに人から安心、尊敬、信頼される人になることです」
などとコメントしている。
また
「金メダルは小川道場に寄付します。
あるいはモハメド・アリのように川に捨てます」
といい、実際に金メダルをプロレスラーでもある小川直也の道場に寄贈。
若ノ鵬は、解雇され、その後、ロシアへ帰国。
相撲協会は日本アンチ・ドーピング機構の指導のもと、力士に抜き打ちで尿検査を実施。
その結果、露鵬と白露山(実の兄弟)から大麻の陽性反応が出た。
石井慧は
「スポーツをやっていると凄いプレッシャーとか、凄く苦しいことがあるんで。
それ(大麻)を吸っていたとしても一概に責めてはいけないと思う。
ロシアから出てきて言葉も通じないところでメンタル的に薬に頼ってしまうというのもあると思います」
と力士を擁護する一方、日本相撲協会について
「ちょっと天狗になってると思います」
この後、露鵬と白露山は解雇され、北の湖は理事長を辞任。
9月10日、母校、清風学園で行われた報告会で、人生を生きていくためアドバイスとして
「1つは絶対に保証人にならないこと。
2つ目は煙草を吸わないこと。
健康や財を失いますから。
3つ目はネクタイをきっちり上まで締めること。
それに人から安心、尊敬、信頼される人になることです」
などとコメントしている。
また
「金メダルは小川道場に寄付します。
あるいはモハメド・アリのように川に捨てます」
といい、実際に金メダルをプロレスラーでもある小川直也の道場に寄贈。
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これまで日本で「柔道家」といえば、すごく強くて、すごく礼儀正しくて、すごく控え目という印象だったが、石井慧は、ビッグマウスの上、笑いをとりにいった。
政治や他の武道などジャンルを問わず、ナイスコメントを連発させ、「石井節」は社会現象になった。
大相撲同様、日本伝統の古い体質を持つ全柔連は、頭を悩ませた末、石井慧のテレビ出演禁止を決定。
石井慧は
「自分の持ち味が1番出る」
と生出演を望み、オファーがくれば予定を空けるつもりだったがストップをかけられてしまった。
しかしマスコミはコメントを求めて石井慧に殺到。
『銀行が破綻しましたが?』
とマイクを向ける記者もいて、なんでもありの状態だった。
そういった石井慧の快進撃を応援する人もいたが
「うぬぼれるな」
「天狗になっているのはお前だろう」
と快く思わないアンチも多かった。
オリンピック後、石井慧はこれまでいったことがない高級な寿司や焼肉の店につれていってもらい、分厚い祝儀袋をもらうなど、確かにリッチになった。
しかし自由奔放で破天荒な発言は、オリンピックの後、急に出始めたわけではなく、むしろ金メダルを取った後もなんら変わりがなく、周囲の状況が変わったというのが正しい。
また元々、トロフィーやメダルには執着がなく無頓着で、適当にしまって壊してしまったり、全日本の銀メダルを
「1回負けと一緒」
と捨てたこともあった。
それも
「勝つまでのプロセス、強くなるためのプロセスが重要」
「そういうものがあることでうぬぼれたり勘違いしてしまう」
という考えによるものだった。
政治や他の武道などジャンルを問わず、ナイスコメントを連発させ、「石井節」は社会現象になった。
大相撲同様、日本伝統の古い体質を持つ全柔連は、頭を悩ませた末、石井慧のテレビ出演禁止を決定。
石井慧は
「自分の持ち味が1番出る」
と生出演を望み、オファーがくれば予定を空けるつもりだったがストップをかけられてしまった。
しかしマスコミはコメントを求めて石井慧に殺到。
『銀行が破綻しましたが?』
とマイクを向ける記者もいて、なんでもありの状態だった。
そういった石井慧の快進撃を応援する人もいたが
「うぬぼれるな」
「天狗になっているのはお前だろう」
と快く思わないアンチも多かった。
オリンピック後、石井慧はこれまでいったことがない高級な寿司や焼肉の店につれていってもらい、分厚い祝儀袋をもらうなど、確かにリッチになった。
しかし自由奔放で破天荒な発言は、オリンピックの後、急に出始めたわけではなく、むしろ金メダルを取った後もなんら変わりがなく、周囲の状況が変わったというのが正しい。
また元々、トロフィーやメダルには執着がなく無頓着で、適当にしまって壊してしまったり、全日本の銀メダルを
「1回負けと一緒」
と捨てたこともあった。
それも
「勝つまでのプロセス、強くなるためのプロセスが重要」
「そういうものがあることでうぬぼれたり勘違いしてしまう」
という考えによるものだった。
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9月24日、北京オリンピックで日本男子柔道は、メダル2個という過去最低の結果に終わったが、石井慧は、そのもう1人の金メダリストで国士舘の先輩、8歳上の内柴正人と都内の特別支援学校訪問する予定だった。
しかし石井慧は、大遅刻して
「自分の部屋で瞑想してました」
といって笑いをとった。
翌日、同じメンバーで行われた国士舘高校での報告会に、石井慧はまたもや遅刻。
「優勝できたのは、皆さんの応援のおかげではなく、自分の才能のおかげです」
と発言。
これを不快に思った内柴正人は、イベントの最後に行われた生徒との記念撮影で石井慧と一緒に写真に入るのを拒否して退場した。
内柴正人はブログで
「途中で帰ってきました!
脱走だす。
石井があまりにも偉い人なんで!」
「オリンピックのことを『ちっぽけ』とかいうし遅刻するし、なんか一緒にされたら困るからね」
「気分が悪い!」
と吐き捨てた。
同ブログで内柴正人は石井慧が金メダルを獲得したとき
「おめでとうだぜ、コノヤロウ!!!」
と祝福し、その後、
「またあいつの減らず口が炸裂し始めるような気が。
いわなきゃいいこというし、いわなきゃいけない事いわないし」
「インタビューはなんていうのだろう」
と調子にノリやすい後輩の心配をしていた。
それは見事に的中。
世田谷区の町内会が主催する運動会に参加した石井慧は、障害物競走で最初の網をくぐらずに1位でゴール。
「ズルい」
と子供にいわれると
「何もいえねぇ」
と北島康介のモノマネで対応。
そして
「他人を蹴落としてでも自分がノシ上がる心を持たないと日本がダメになる。
今日はそういうことを指導しに来ました。
ズルしてでも勝つぞぉー!」
しかし石井慧は、大遅刻して
「自分の部屋で瞑想してました」
といって笑いをとった。
翌日、同じメンバーで行われた国士舘高校での報告会に、石井慧はまたもや遅刻。
「優勝できたのは、皆さんの応援のおかげではなく、自分の才能のおかげです」
と発言。
これを不快に思った内柴正人は、イベントの最後に行われた生徒との記念撮影で石井慧と一緒に写真に入るのを拒否して退場した。
内柴正人はブログで
「途中で帰ってきました!
脱走だす。
石井があまりにも偉い人なんで!」
「オリンピックのことを『ちっぽけ』とかいうし遅刻するし、なんか一緒にされたら困るからね」
「気分が悪い!」
と吐き捨てた。
同ブログで内柴正人は石井慧が金メダルを獲得したとき
「おめでとうだぜ、コノヤロウ!!!」
と祝福し、その後、
「またあいつの減らず口が炸裂し始めるような気が。
いわなきゃいいこというし、いわなきゃいけない事いわないし」
「インタビューはなんていうのだろう」
と調子にノリやすい後輩の心配をしていた。
それは見事に的中。
世田谷区の町内会が主催する運動会に参加した石井慧は、障害物競走で最初の網をくぐらずに1位でゴール。
「ズルい」
と子供にいわれると
「何もいえねぇ」
と北島康介のモノマネで対応。
そして
「他人を蹴落としてでも自分がノシ上がる心を持たないと日本がダメになる。
今日はそういうことを指導しに来ました。
ズルしてでも勝つぞぉー!」
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「五輪では自分の敵はいなかった。
相手がかわいそうでした」
「自分にとって五輪は踏み台なんで」
などのビッグマウスに加え、
「1本にはこだわらない。
勝てばなんでもいい」
と発言は、一部の柔道関係者に不評を買った。
武道としての「柔道」とスポーツとしての「JUDO」にまつわる問題は、以前からいわれていたが、一般の人からも
「石井の柔道は外国人みたい」
「石井の柔道は日本人らしい美しさがない」
と批判されると、石井慧は
「日本人らしい柔道って何ですか?」
「美しさを追求するなら体操でもやっていればいいじゃないですか」
「殺し合いなら生き延びたほうがよい。
そういう意味で自分の柔道をする、しないということ自体、余裕をかましていると思います。
平和ボケしてはいけません」
と反論し
「僕にとって柔道はケンカです」
といい切った。
そしてそんな石井慧にサムライを感じたファンも多かった。
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石井慧は、2008年10月に東京で行われる世界団体選手権、11月に尼崎で行われる全日本学生柔道体重別団体、12月の嘉納杯、フランスで行われる世界無差別柔道選手権に出場する意欲をみせていたが、オリンピック後の8月末、すでに格闘技への転向を決意していた。
電話で打ち明けられた父、義彦は猛反対。
父、義彦親だけでなく斎藤仁の大ファンである母、美智子親、そして石井慧の周囲の多くは、柔道を続けてほしいと願った。
しかし石井慧は、
「このままロンドンオリンピックに出て、勝っても負けてもまだ26歳で、まあ、次のオリンピック目指すじゃないですか。
そしたら(その後は)たぶんどっかの大学の教員になって、それで全日本柔道連盟とかに入ったりして、全柔連で上を目指して。
それは立派な人生だと思うんですけど自分はそんな人生は耐えられないと思いました。
あんま面白くないです」
斉藤仁は、全日本柔道連盟の強化委員会が新しい体制となり、強化指定選手の見直しを行う11月中旬までに進路を決めるようにいった。
電話で打ち明けられた父、義彦は猛反対。
父、義彦親だけでなく斎藤仁の大ファンである母、美智子親、そして石井慧の周囲の多くは、柔道を続けてほしいと願った。
しかし石井慧は、
「このままロンドンオリンピックに出て、勝っても負けてもまだ26歳で、まあ、次のオリンピック目指すじゃないですか。
そしたら(その後は)たぶんどっかの大学の教員になって、それで全日本柔道連盟とかに入ったりして、全柔連で上を目指して。
それは立派な人生だと思うんですけど自分はそんな人生は耐えられないと思いました。
あんま面白くないです」
斉藤仁は、全日本柔道連盟の強化委員会が新しい体制となり、強化指定選手の見直しを行う11月中旬までに進路を決めるようにいった。
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2008年10月6日、東京武道館で世界柔道団体選手権大会が行われたが、出場エントリーしていた石井慧は股関節痛を理由に欠場。
(男子日本代表は、1回戦でブラジルに負け、敗者復活トーナメントでも韓国に勝った後、ロシアに負けた)
この日、スポーツ報知が一面で
「石井、プロ格闘家へ」
と石井慧のプロ総合格闘技への転向を報じた。
上京していた両親は、その報道を東京武道館に向かう途中で知り、父、義彦は
「そこまで話が進んでいるのか」
と驚いた。
大会翌日、両親は頼まれていた布団と衣装ケースを持って国士舘大学の義方寮へ。
そして父、義彦は
「必ず大学を卒業することを約束させる」
母、美智子は
「何の相談せずに転向なんか考えやがった頭をハッタんねん!」
と決めて部屋で待機していたが、NHKの7時のニュースで
「石井慧、格闘技に転向」
と報じられるのをみて驚愕。
(男子日本代表は、1回戦でブラジルに負け、敗者復活トーナメントでも韓国に勝った後、ロシアに負けた)
この日、スポーツ報知が一面で
「石井、プロ格闘家へ」
と石井慧のプロ総合格闘技への転向を報じた。
上京していた両親は、その報道を東京武道館に向かう途中で知り、父、義彦は
「そこまで話が進んでいるのか」
と驚いた。
大会翌日、両親は頼まれていた布団と衣装ケースを持って国士舘大学の義方寮へ。
そして父、義彦は
「必ず大学を卒業することを約束させる」
母、美智子は
「何の相談せずに転向なんか考えやがった頭をハッタんねん!」
と決めて部屋で待機していたが、NHKの7時のニュースで
「石井慧、格闘技に転向」
と報じられるのをみて驚愕。
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そのとき石井慧は、相変わらずトレーニング室で黙々とウエイトトレーニング。
その後、集まった報道陣を気づかれないように両親と石井慧、後輩たちは裏口から脱出。
寮から800m離れた仙川駅の近くにある「とんかつ 仙川 」に入った。
寮の門限である22時が迫る中、石井慧はショウガ焼きを食べ、父、義彦に
「どうするんや」
と聞かれると
「いくんや」
と答え、後は後輩たちとポケモンのゲームの話に終始。
ポケモンマスターになることを目指し、ゲームもコツコツがんばっていた。
翌日、記者会見が行われ、石井慧は疲れた表情で登場。
プロ格闘家転向の決意を固めたという報道に対し、
「いっていない。
プロになる気はないです」
という一方で
「卒業のことで頭がいっぱい。
焦らずゆっくり考えたい」
と明言は避けた。
石井慧の憔悴した表情に観ている者は
「やはりかなり悩んだろうな」
「さすがに疲れてるな」
と思ったが、実は徹夜でポケモンゲームをしたためだった。
斉藤仁は
「本人から何も聞いていない」
とした上で
「己が決める人生。
本人のみぞ知る。
自分が反対できるところじゃない」
父、義彦はゲーム疲れしている息子をみて、真剣に心配したことがアホらしく思え、最終的に
「アイツの決めた道は全力で支えてやる」
と決め、取材には
「本人と直接話していないので一連の報道の内容についてはよく理解していない。
しかし本当に本人がプロに行くことを希望しているなら、大学を卒業してからよく考えて決めさせたい」
と答えた。
その後、集まった報道陣を気づかれないように両親と石井慧、後輩たちは裏口から脱出。
寮から800m離れた仙川駅の近くにある「とんかつ 仙川 」に入った。
寮の門限である22時が迫る中、石井慧はショウガ焼きを食べ、父、義彦に
「どうするんや」
と聞かれると
「いくんや」
と答え、後は後輩たちとポケモンのゲームの話に終始。
ポケモンマスターになることを目指し、ゲームもコツコツがんばっていた。
翌日、記者会見が行われ、石井慧は疲れた表情で登場。
プロ格闘家転向の決意を固めたという報道に対し、
「いっていない。
プロになる気はないです」
という一方で
「卒業のことで頭がいっぱい。
焦らずゆっくり考えたい」
と明言は避けた。
石井慧の憔悴した表情に観ている者は
「やはりかなり悩んだろうな」
「さすがに疲れてるな」
と思ったが、実は徹夜でポケモンゲームをしたためだった。
斉藤仁は
「本人から何も聞いていない」
とした上で
「己が決める人生。
本人のみぞ知る。
自分が反対できるところじゃない」
父、義彦はゲーム疲れしている息子をみて、真剣に心配したことがアホらしく思え、最終的に
「アイツの決めた道は全力で支えてやる」
と決め、取材には
「本人と直接話していないので一連の報道の内容についてはよく理解していない。
しかし本当に本人がプロに行くことを希望しているなら、大学を卒業してからよく考えて決めさせたい」
と答えた。
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10月31日、石井慧は全日本柔道連盟に対して強化指定選手辞退届を提出。
11月3日、記者会見で
「11月3日をもって柔道家をやめ、プロ転向を決めました。
総合格闘技のチャンピオンになれるようにがんばります」
と正式にプロ転向を表明。
柔道選手時代のトレードマークの1つ、スキンヘッドはスポーツ刈りになっていた。
11月3日、記者会見で
「11月3日をもって柔道家をやめ、プロ転向を決めました。
総合格闘技のチャンピオンになれるようにがんばります」
と正式にプロ転向を表明。
柔道選手時代のトレードマークの1つ、スキンヘッドはスポーツ刈りになっていた。
2024/9/19 19:06
長すぎる