阪神で活躍したセシル・フィルダー
80~90年代のプロ野球選手。
ポジションは内野手。背番号44。
1963年9月21日生まれ。右投右打。米国カリフォルニア州出身。
1982年カンザスシティ・ロイヤルズにドラフト4位で入団。
その後トロント・ブルージェイズを経て1989年に阪神タイガースに入団。
「バース再来」と期待された!
与えられた背番号は「44」。あのランディ・バースと同じ数字を背負うことになりました。
しかしオープン戦序盤では三振の山を築き首脳陣をガッカリさせるものの、オープン戦最後の2試合で本塁打を含む6打数6安打の固め打ち。
コーチ陣の打撃指導や友人ブーマーからのアドバイスと重いバットのプレゼントが理由だったといいます。
この活躍にはファンも大喜び。「バース再来!!」と沸き立ったのです。
フィルダーはその期待を裏切ることなく開幕後もガンガン打ちまくります。
このシーズン、フィルダーは三振こそ多かった(107三振)ものの打率.302、38本塁打を記録し「バース再来!!」を現実のものとしました。
小指を骨折!HR王を逃す!
9月14日の対巨人戦(東京ドーム)で、水野雄仁から三振を喫した際、腹いせに地面に叩きつけたバットが手に当たり骨折。
そのままシーズンを棒に振り、本塁打王のタイトルを逃す。
それでも、長打率.6276は、その年両リーグ最多の49本塁打を放ったラルフ・ブライアントの.6275を上回って両リーグ1位であった。オフは契約更新を望む阪神に対して、年俸の大幅アップと5年契約を要求するが、合意に達せず1年で退団となった。
【日本での記録】
出場試合数:106試合
初出場:1989年4月8日
最終出場:1989年9月14日
打率:302
打点:81
本塁打:38
出場試合数:106試合
初出場:1989年4月8日
最終出場:1989年9月14日
打率:302
打点:81
本塁打:38
日本に来た経緯
1985年、トロント・ブルージェイズでメジャー初昇格。
しかし、同時期にブルージェイズには、ウィリー・アップショー(後に福岡ダイエーホークスでプレー)およびフレッド・マグリフが競合する一塁及びDHにいたことから、左投手専門のDH、一塁手および代打要員で、なかなか出場機会に恵まれなかったため、日本を含めてレギュラーを確約できる球団を求めていたところ、阪神タイガースから4番打者としてオファーがあったこともあり、初めてアメリカ国外でプレーすることとなる。
阪神フィルダー初来日 - YouTube
大阪国際空港に来日した際の会見
背番号「44」について聞かれたフィルダーは「私にとって背番号は全く問題ではない。大切なのはタイガースのために働けるかということだ」と答えています。
背番号「44」について聞かれたフィルダーは「私にとって背番号は全く問題ではない。大切なのはタイガースのために働けるかということだ」と答えています。
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大洋相手に大活躍!
特に対大洋戦には滅法強く、横浜スタジアムでは1試合で場外本塁打を含む3打席連続本塁打を放つなど、対大洋戦だけで本塁打16本を記録する。
逆に、対巨人戦は本塁打3本と弱かった。
阪神フィルダー横浜大洋戦 - YouTube
レフトへの2点タイムリーを放つフィルダー。
二塁打コースの当たりなんですが、シングルヒットになっています。
やはり鈍足です!それでも日本での打率3割超えは立派ですね。
二塁打コースの当たりなんですが、シングルヒットになっています。
やはり鈍足です!それでも日本での打率3割超えは立派ですね。
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阪神退団後はメジャーで二冠王に!
シーズン終了後MLBに復帰。デトロイト・タイガースと契約したが、デトロイトの街は日米貿易摩擦のあおりをもろに受けており、チーム関係者やファンは冷たく、“スモーレスラー”とフィルダーを馬鹿にした。
しかし、日本帰りのフィルダーは今までのフィルダーとは違った。生まれ持ったパワーと日本仕込みの変化球打ちでホームランを量産。終わってみれば打率.277、51HR、132打点でホームラン、打点の二冠王を獲得。オールスターとシルバースラッガー賞を受賞し、MVP投票で2位に入った。
ファンたちは開幕前から一転して年俸僅か125万ドルのスラッガーを、“スポーツ史上最大の掘り出し物”、“ビッグ・ダディ”、“デトロイトが受け入れた唯一の日本製品”とほめたたえた。
メジャーリーグで、13年振りとなるシーズン50本塁打に到達しました。
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3年連続の打点王の快挙
さらに91年も44HR,、133打点で、またも二冠、MVP2位。そして92年も124打点で打点王となり、ベーブ・ルース以来の3年連続打点王という快挙で、メジャーで名を残しました。
その後96年途中にヤンキースに移り、ア・リーグのチャンピオンシップ、そしてワールド・シリーズでも活躍し、ヤンキースをワールド・チャンピオンに導きました。
ニューヨークの紙ふぶきの中で、優勝パレードをしていたフィルダーは、今でも憶えています。
ヤンキースから、98年にエンジェルスに移籍し、同年シーズン途中インディアンスにまたもや移って現役終了しました。