【リーグ優勝の瞬間】中日ドラゴンズ編
2021年5月27日 更新

【リーグ優勝の瞬間】中日ドラゴンズ編

まだクライマックスシリーズ制度が導入されていない頃、ペナントレースが今よりもずっと価値があった頃、各球団のリーグ優勝決定の瞬間、その年の戦いぶりをご紹介しています。今回は中日ドラゴンズのリーグ優勝決定の瞬間(1974、1982、1988年)を集めてみました。

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1987年に星野仙一が監督に就任し、ロッテから2年連続三冠王の落合博満をトレードで獲得するなどチーム改革を断行。この年首位を快走するものの、終盤巨人の猛烈な追い上げにあい、最終的に2位に終わります。
星野監督(中日時代)

星野監督(中日時代)

この悔しさを晴らそうと迎えた1988年シーズンだったが、スタートダッシュに失敗。4月終了時点で首位広島に8ゲーム差の最下位に沈みます。その後7月に6連敗を喫するなど苦しんだものの、6連敗を止めて以降、50勝15敗という驚異的な追い上げを見せて逆転優勝を果たします。

1988年中日ドラゴンズ優勝報道

西武から移籍した小野和幸が最多勝で、小松と共に先発陣を牽引。リリーフ・郭源治が44セーブポイントでMVP。立浪が新人王に輝くなどチーム一丸で果たした逆転優勝でした。
燃えよドラゴンズ(1988年)

燃えよドラゴンズ(1988年)

燃えよドラゴンズ(1988年盤)の歌詞
遠い夜空にこだまする竜の叫びを耳にしてナゴヤ球場に詰めかけた僕らをじいんとしびれさすいいぞがんばれドラゴンズ 燃えよドラゴンズ
1番彦野が塁に出て
2番立浪ヒットエンドラン
3番ゲーリーがタイムリー
4番落合ホームラン
いいぞがんばれドラゴンズ 燃えよドラゴンズ
5番宇野の大アーチ
6番徹の勝負運
7番川又輝いて
8番中村夢を打つ
いいぞがんばれドラゴンズ 燃えよドラゴンズ(続く)
中日ドラゴンズの生え抜き監督での優勝は球団史上初でした。(日本シリーズは西武に1勝4敗。)
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