前々回にupした拙文「平成だけじゃない!特撮ヒーローは昭和時代からイケメンぞろい!【4.西田健】」ですが、お待たせしました!肝心の主役を演じた団次郎さんをご紹介します!
(現在の芸名は「団時朗」ですが、ミドルエッジ読者のみなさんにとっては「団次郎」だと思うのでこの生地では「次郎」で表記いたします)
(現在の芸名は「団時朗」ですが、ミドルエッジ読者のみなさんにとっては「団次郎」だと思うのでこの生地では「次郎」で表記いたします)
■団次郎って?
via blogs.c.yimg.jp
団さんがCMモデルをするきっかけとなった「資生堂サンオイル」の動画があります!
■資生堂サンオイル
前田美波里さんと共演した「資生堂サンオイル」
4分23秒あたりからごらんください。前田美波里さんがメインのCMですが、お若いころの団さんのイケメンっぷりがたまりません!
via www.nicovideo.jp
これがきっかけで男性用化粧品「資生堂 MG5」のCMに出演されるようになります。
団さんはイメージキャラクターとしてはジェリー伊藤さん、中山仁さんに続いて三代目ですが、団さんが出演するようになると若い女性ファンを意識したCMになりました。それまでは男性化粧品の機能を強調したCM、男性があこがれるような紳士を描いたCMが多かったのですが、団さん以降は「彼氏に使ってほしい化粧品」目線になっています。
団さんはイメージキャラクターとしてはジェリー伊藤さん、中山仁さんに続いて三代目ですが、団さんが出演するようになると若い女性ファンを意識したCMになりました。それまでは男性化粧品の機能を強調したCM、男性があこがれるような紳士を描いたCMが多かったのですが、団さん以降は「彼氏に使ってほしい化粧品」目線になっています。
MG5
資生堂MG5CM イケメンすぎる若い頃の団次郎 ‐ ニコニコ動画:GINZA
モノクロですが本当に申し分のない…イケメンというのも畏れ多い、ハンサム、美男子という言葉がぴったりですよね。今でも通用する美丈夫です。
via www.nicovideo.jp
資生堂CM - MG 5 エアゾール - 1969 - YouTube
昭和44年のCMです。
21世紀の現代でもこんなハンサムはいないんじゃいなでしょうか。申し分のないいい男です♪
21世紀の現代でもこんなハンサムはいないんじゃいなでしょうか。申し分のないいい男です♪
via www.youtube.com
MG5のCMには後に草刈正雄さんも参加されるのですが、もう、団さんと草刈さんが並ぶと絵になるんです!
筆者が一番すきだったCMは団さんと草刈さんが雪かきをするものなんですが、動画を探しきれませんでした。残念…その代わりといってはなんですがこちらをどうぞ!
筆者が一番すきだったCMは団さんと草刈さんが雪かきをするものなんですが、動画を探しきれませんでした。残念…その代わりといってはなんですがこちらをどうぞ!
資生堂CM - MG 5 ヘアスプレイ - 1971 - YouTube
昭和46年のCM
via www.youtube.com
■帰ってきたウルトラマン
このころの団さん(草刈さんも)は、ジャニーズ・フォーリーブスの全盛期とかぶります。
実際、「フォーリーブスも好きだけど団次郎も好き」という女性は多かったですよね。
さて、このように1960年代後半にCMモデルとして大人気だった団さんですが、1971年に「帰ってきたウルトラマン」に主演したときは女性ファンは驚いたものです。
実際、「フォーリーブスも好きだけど団次郎も好き」という女性は多かったですよね。
さて、このように1960年代後半にCMモデルとして大人気だった団さんですが、1971年に「帰ってきたウルトラマン」に主演したときは女性ファンは驚いたものです。
郷秀樹(「帰ってきたウルトラマン」)
『帰ってきたウルトラマン』(かえってきたウルトラマン)は、1971年(昭和46年)4月2日から1972年(昭和47年)3月31日にTBS系で、毎週金曜19:00 - 19:30に全51話が放送された特撮テレビ番組。
●郷秀樹
年齢23歳。坂田自動車修理工場に勤務しながら、カーレーサーを目指していた。坂田健の設計・開発中のレーシングマシン「流星号」のレーサーとして、その完成を目前に控えていた。甘党でおはぎが好物。趣味はギター。台東区浅草在住(第31話より)。
タッコング襲来時に逃げ遅れた少年と仔犬を救おうとして命を落とすが、その一部始終を見ていたウルトラマンと一体化して蘇生後、人類の自由と幸福を脅かすあらゆる敵と戦う決意を胸に怪獣攻撃隊MATに入隊。ヘルメットの番号は「6」。
少年時代から運動神経に恵まれたが、ウルトラマンと一体化したことで能力が増幅され、第2話では先輩隊員たちの得意分野の種目で初心者ながら勝利するという成績を打ち出した。しかし、その超人的な能力に思い上がって自らピンチを招くこともあり、超能力を身に付けたことで怪獣出現の前兆を他人よりも鋭敏にキャッチできることが仇となり、事件の有無を巡って他の隊員との対立を起こすこともたびたびあった。だが、人間的に成長するにつれチームに融和し、他の隊員とも打ち解けるようになる。(wikipediaより)
●郷秀樹
年齢23歳。坂田自動車修理工場に勤務しながら、カーレーサーを目指していた。坂田健の設計・開発中のレーシングマシン「流星号」のレーサーとして、その完成を目前に控えていた。甘党でおはぎが好物。趣味はギター。台東区浅草在住(第31話より)。
タッコング襲来時に逃げ遅れた少年と仔犬を救おうとして命を落とすが、その一部始終を見ていたウルトラマンと一体化して蘇生後、人類の自由と幸福を脅かすあらゆる敵と戦う決意を胸に怪獣攻撃隊MATに入隊。ヘルメットの番号は「6」。
少年時代から運動神経に恵まれたが、ウルトラマンと一体化したことで能力が増幅され、第2話では先輩隊員たちの得意分野の種目で初心者ながら勝利するという成績を打ち出した。しかし、その超人的な能力に思い上がって自らピンチを招くこともあり、超能力を身に付けたことで怪獣出現の前兆を他人よりも鋭敏にキャッチできることが仇となり、事件の有無を巡って他の隊員との対立を起こすこともたびたびあった。だが、人間的に成長するにつれチームに融和し、他の隊員とも打ち解けるようになる。(wikipediaより)
主題歌も歌ってます!
帰ってきたウルトラマンOP
作詞:東京一
作曲:すぎやまこういち
歌:団次郎、みすず児童合唱団
作曲:すぎやまこういち
歌:団次郎、みすず児童合唱団
via www.nicovideo.jp
団さんといえば「MG5」か「ウルトラマン」という認識のある方は多いのではないでしょうか。
郷秀樹の役は団さんにぴったりだったと思います。
特撮のキャストはイケメンというのは昭和でも変わらないのですが、団さんは「ウルトラマン」でさらにファン層が増え、演技の幅もひろがったと思います。
団さんはさらに特撮に出演されます。しかも「博士」役!
「スーパーロボットマッハバロン」の村野博士です。
郷秀樹の役は団さんにぴったりだったと思います。
特撮のキャストはイケメンというのは昭和でも変わらないのですが、団さんは「ウルトラマン」でさらにファン層が増え、演技の幅もひろがったと思います。
団さんはさらに特撮に出演されます。しかも「博士」役!
「スーパーロボットマッハバロン」の村野博士です。
■スーパーロボットマッハバロン
村野博士(「スーパーロボットマッハバロン)
『スーパーロボット マッハバロン』は、1974年(昭和49年)10月7日から1975年(昭和50年)3月31日まで、日本テレビ系で放送された日本現代企画製作の特撮テレビ番組、およびその劇中に登場する巨大ロボットの名である。放送時間は毎週月曜19:00 - 19:30 (JST) 。全26話。
村野(むらの)博士
嵐田陽の祖父・竜之介と知り合いのロボット工学者で、マッハバロン2号機の製造者であり、KSS のリーダーでもある。明晰な頭脳と冷徹な判断力、そして勇敢な行動力とを兼ね備えている。ロボット工学だけでなく、謀略や策略にも長けており、常にララーシュタインの裏をかき続け、そのたびに地団駄を踏ませた。常にスーツを着用し、煙草はマルボロを愛飲する洒落者。苗字のみでしか呼ばれない。(wikipediaより)
村野(むらの)博士
嵐田陽の祖父・竜之介と知り合いのロボット工学者で、マッハバロン2号機の製造者であり、KSS のリーダーでもある。明晰な頭脳と冷徹な判断力、そして勇敢な行動力とを兼ね備えている。ロボット工学だけでなく、謀略や策略にも長けており、常にララーシュタインの裏をかき続け、そのたびに地団駄を踏ませた。常にスーツを着用し、煙草はマルボロを愛飲する洒落者。苗字のみでしか呼ばれない。(wikipediaより)
長唄の師匠である日本人の母とイギリス系アメリカ人の父[2]との間に生まれたハーフ。1966年、母が知り合いである大映の三隅研次監督に頼み勝新太郎主演の『酔いどれ博士』に端役で出演する。同じ年に髙島屋と提携したピエール・カルダンのスーツを一度に3着購入するほどファッションに対しての想いが強いこともあって、1967年3月に平安高等学校を卒業するとただちに上京し、セントラルファッションへ所属。同年5月に前田美波里と共演した資生堂サンオイルのテレビCM、続いて同社の男性化粧品「MG5」のテレビCMでファッションモデルとして注目される。以降はファッション雑誌、男性誌のファッションページ、ファッションショーにて活躍し、イタリア・ローマの大御所デザイナーアンジェロ・リトリコの日本に於けるイメージ・キャラクターにも選ばれた。1968年には、事務所の先輩である井出正勝が設立したアダムス・ファッション(現・アダムス)へ移籍する。
本名から団次郎への改名の経緯は、デビュー時から歌手の村田英雄と混同されることが多く、レコードデビューに際し付けた芸名をそのまま使用した。
1970年に本格的に俳優としての活動を始め、1971年の『帰ってきたウルトラマン』で主人公・郷秀樹を演じて人気となる(wikipediaより)