1970年(昭和45年) 「ブルマァク」社により「マルサン」製「ウルトラ怪獣」のソフビ人形が復刻され、再びブームとなった。
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1971年(昭和46年)から1974年(昭和49年) 『第二次怪獣ブーム』
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1973年(昭和48年)には、過去作品の再放送も含めて「ゴールデンタイムのテレビにヒーローものが放映されない日はない」という加熱ブームとなった。しかし、同年末の第一次石油ショックによる制作費の高騰、特撮資材の不足、さらにこのブームを支えた大手スポンサー「万創」の倒産が決定打となり、番組制作の撤退が相次ぐこととなった。1974年(昭和49年)以降は製作費のかさむ巨大ヒーローはなりを潜めていく。
オイルショックは、着ぐるみの材料費に影響を与えた。それまでは1体につき20-30万円の材料費が、オイルショックによって50万円に倍増。
それによって現場では、着ぐるみを何度も流用するなどの苦境に立たされることとなる。そこで登場する怪獣の人形などの関連商品で採算を合わせようとするも、この時期はヒーローの人形の方に人気が集まり、怪獣人形は不人気であった。
そのためにマスコミからは、「(1974年初頭の時点で)7本放送されている特撮作品が4月の改変期で半数が消滅し、75年には2本程度に減少するのではないか」と囁かれるようになる。
1975年(昭和50年)には、円谷プロが『ウルトラマンレオ』(TBS)でシリーズをいったん終了。マスコミはこの事象を「怪獣ブームの終焉」と位置づけた。同年、東宝も『メカゴジラの逆襲』を以て、ゴジラシリーズの新作の製作を終了、また変身ヒーローの元祖「仮面ライダーシリーズ」も『仮面ライダーストロンガー』(毎日放送)を以て終了した。
1971年 エポック社「パーフェクトボウリング」発売。1970年前後は空前絶後の「ボウリング・ブーム」
ボーリングのスター・プレイヤー「中山律子」
1970年前後にはスター・プレイヤーである須田開代子・中山律子らの出現などがきっかけとなって、当時は数百メートルごとにボウリング場があったほどの「ボウリング・ブーム」だった。
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1971年 「アメリカンクラッカー」流行。わずか1ヶ月でブームは下火となった。
1971年 「アメリカン・クラッカー」流行
日本においては1971年3月上旬、アサヒ玩具が「アメリカで大流行のおもちゃ」として発売したのがきっかけでヒット商品となった。
しかし「遊戯中にボールが外れ、怪我をした」「音がうるさい」などのクレームが相次ぎ、わずか1ヶ月でブームは下火となった。
しかし「遊戯中にボールが外れ、怪我をした」「音がうるさい」などのクレームが相次ぎ、わずか1ヶ月でブームは下火となった。
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1972年(昭和47年) ポピー(現、バンダイ)『仮面ライダー変身ベルト』 「仮面ライダー」と「変身ブーム」
ポピー(現、バンダイ)『仮面ライダー 光る 回る 電動変身ベルト』(1972年)
男の子の憧れの変身アイテム。その全ての祖とも言えるライダーの変身ベルトです。
設立間もないポピーにとっては賭けのような価格設定だったが、発売された「光る!回る!変身ベルト」は「テレビと同じ」というコンセプトが功を奏しヒット商品となった。
パッケージに「このベルトはライダーに変身する時に使われている物と同じです」と記された。「光る!回る!変身ベルト」は1971年からの約2年で380万個を売り上げた。
以降も仮面ライダーシリーズのベルト玩具は、作品ごとの特徴に合わせてさまざまなギミックを取り入れながら、1975年の『仮面ライダーストロンガー』の「光る回る Sベルト 電光エレクトラー」まで続いた。
設立間もないポピーにとっては賭けのような価格設定だったが、発売された「光る!回る!変身ベルト」は「テレビと同じ」というコンセプトが功を奏しヒット商品となった。
パッケージに「このベルトはライダーに変身する時に使われている物と同じです」と記された。「光る!回る!変身ベルト」は1971年からの約2年で380万個を売り上げた。
以降も仮面ライダーシリーズのベルト玩具は、作品ごとの特徴に合わせてさまざまなギミックを取り入れながら、1975年の『仮面ライダーストロンガー』の「光る回る Sベルト 電光エレクトラー」まで続いた。
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1972年:日中国交回復を記念して、ジャイアントパンダの“カンカン”と“ランラン”が来園。「パンダ」のぬいぐるみが人気。
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1972年11月5日の“カンカン”と“ランラン”の一般公開。「2時間並んで、見物は50秒程度」
11月5日の一般公開では、2頭を見たいと上野動物園開門の午前9時に約3千人が並んだ。警備人員には約600人を要し、「2時間並んで、見物は50秒程度」と当時の朝日新聞は報じている。
via www.asahi.com
初代トミカは6種類。ブルーバードSSS、コロナマークⅡ、クラウンスーパーDX、クラウンパトカー、トヨタ2000GT、フェアレディZ432。初代トミカは、当時人気だった6台の国産車をモデルに誕生した。