1967年頃 「サンダーバード」「ケロヨン」などキャラクター商品の人気高まる
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『木馬座アワー』(1966年)のコーナー『カエルのぼうけん』の主人公であるカエルの着ぐるみ「ケロヨン」
ケロヨンとは『木馬座アワー』のコーナー『カエルのぼうけん』の主人公であるカエルの着ぐるみ。主なスーツアクターは花巻五郎、声優は新井勢津朗。番組や公演により、スーツアクターは変更された。
「ケ~ロヨ~ン!」「バハハーイ!」が口癖。当時どちらも大流行した。
「木馬座アワー」
1966年11月21日〜1970年3月28日 日本テレビ系 月〜土 11:00 - 11:20(再放送:同日 17:30 - 17:50)
木馬座が自ら全曜日一社提供していた。なお再放送は、当初はノンスポンサーだったが、やがて複数社提供へ変った(一時的小田急電鉄単独提供の時も有り)。
カラー放送、16ミリフィルムによる収録。
「カエルのぼうけん」
原作:ケネス・グレアム『たのしい川べ』
プロデュース:藤城清治
音楽:いずみたく
「ケ~ロヨ~ン!」「バハハーイ!」が口癖。当時どちらも大流行した。
「木馬座アワー」
1966年11月21日〜1970年3月28日 日本テレビ系 月〜土 11:00 - 11:20(再放送:同日 17:30 - 17:50)
木馬座が自ら全曜日一社提供していた。なお再放送は、当初はノンスポンサーだったが、やがて複数社提供へ変った(一時的小田急電鉄単独提供の時も有り)。
カラー放送、16ミリフィルムによる収録。
「カエルのぼうけん」
原作:ケネス・グレアム『たのしい川べ』
プロデュース:藤城清治
音楽:いずみたく
1968年(昭和43年) 任天堂『ウルトラマシン』 初代家庭用バッティングマシーン。スポ根ブーム全盛だった。
via funkygoods.com
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1968年(昭和43年)頃 タカラ「人生ゲーム」の発売・日本版の累計出荷数は1000万個を超えるロングセラー商品へ
1968年(昭和43年)タカラ「人生ゲーム」発売
“タカラ・アメリカンゲームシリーズ”のひとつとして発売、
「人生、山あり谷あり・・・」のコピーで始まるTVCFでヒット商品となる。
盤面のデザインは本家米国版のものを踏襲、マス目のコピーも日本語直訳になっており、
「世界旅行に出発する」「金鉱発見」「北極探検にいく」といった米国における
黄金の60年代を象徴するようなスケールの大きなコピーのマス目が並ぶ。
また「商用で飛行機にのる」「潜水して鯨をつかまえた」といった時代を感じさせるマス目や、
「ミイラのコレクションを博物館にあづけた」「逃げたサーカスの象をみつける」といった
日本人の感覚からは生まれない独特のテイストのマス目のコピーも興味深い。
「人生、山あり谷あり・・・」のコピーで始まるTVCFでヒット商品となる。
盤面のデザインは本家米国版のものを踏襲、マス目のコピーも日本語直訳になっており、
「世界旅行に出発する」「金鉱発見」「北極探検にいく」といった米国における
黄金の60年代を象徴するようなスケールの大きなコピーのマス目が並ぶ。
また「商用で飛行機にのる」「潜水して鯨をつかまえた」といった時代を感じさせるマス目や、
「ミイラのコレクションを博物館にあづけた」「逃げたサーカスの象をみつける」といった
日本人の感覚からは生まれない独特のテイストのマス目のコピーも興味深い。
初代「人生ゲーム」(タカラ)の盤面
日本版は、「人生ゲーム」の名称で1968年に株式会社タカラ(現タカラトミー)から発売された。この「人生ゲーム」は日本に於ける同社の登録商標(第919585号)で、タカラトミーの発表によると、日本版の累計出荷数は1000万個を超える。
ゲームシステムは、双六の発展形。ゲーム序盤のルーレット目によって「人生の筋道」が決まり、その後の人生が左右されていく。プレイヤーはサイコロではなく「ルーレット」を回し、人の一生になぞらえたイベントをこなしていく。
現在でも改良版が発売されているという、息の長いゲームである。 ボードゲームとしての人生ゲーム以外にも、携帯ゲームとして発売された「人生ゲームキャンディ」シリーズもある。また、オンラインでも遊べたり、携帯電話のゲームとしても配信されている。
ゲームシステムは、双六の発展形。ゲーム序盤のルーレット目によって「人生の筋道」が決まり、その後の人生が左右されていく。プレイヤーはサイコロではなく「ルーレット」を回し、人の一生になぞらえたイベントをこなしていく。
現在でも改良版が発売されているという、息の長いゲームである。 ボードゲームとしての人生ゲーム以外にも、携帯ゲームとして発売された「人生ゲームキャンディ」シリーズもある。また、オンラインでも遊べたり、携帯電話のゲームとしても配信されている。
1969年(昭和44年)9月1日 アサヒ玩具「ママレンジ」が流行に。当時の子どもが一番喜ぶ現実的なおやつ、それはホットケーキだった。
1969年(昭和44年)9月1日 アサヒ玩具「ママレンジ」が流行に
ママレンジは、アサヒ玩具が1969年(昭和44年)9月1日に発売した玩具である。「ママキッチン」ではない。
当時まだ普及途上であったシステムキッチンのガスコンロを玩具で再現したもの。家庭用電源を使用し、付属のフライパンの上で直径10cmのホットケーキを焼ける。
価格が3,500円と当時の玩具としては高額であったが、1年間で17万個を売る。以降、同社は「クッキングトイ・シリーズ」を展開した。
パッケージサイズは27×22×18cm、重量は1.5kg。パッケージには女優の酒井和歌子が印刷され、ピンク色の本体に薔薇のイラストがあるものもある。商品名を「ママキッチン」と誤解されることがある。
当時まだ普及途上であったシステムキッチンのガスコンロを玩具で再現したもの。家庭用電源を使用し、付属のフライパンの上で直径10cmのホットケーキを焼ける。
価格が3,500円と当時の玩具としては高額であったが、1年間で17万個を売る。以降、同社は「クッキングトイ・シリーズ」を展開した。
パッケージサイズは27×22×18cm、重量は1.5kg。パッケージには女優の酒井和歌子が印刷され、ピンク色の本体に薔薇のイラストがあるものもある。商品名を「ママキッチン」と誤解されることがある。
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森永製菓が1957(昭和32)年に発売した「森永ホットケーキの素」。
当時の子供たちは、ホットケーキが大好き!
中年世代にホットケーキの思い出を尋ねると、森永の名を挙げる人が非常に多い。
デパートの食堂や喫茶店でしか食べられなかったホットケーキ。それが家庭で手軽に作れるようになったのはホットケーキの素のおかげ。
ママレンジを使えば、子供が自分で安全にホットケーキを作ることができるようになった。
中年世代にホットケーキの思い出を尋ねると、森永の名を挙げる人が非常に多い。
デパートの食堂や喫茶店でしか食べられなかったホットケーキ。それが家庭で手軽に作れるようになったのはホットケーキの素のおかげ。
ママレンジを使えば、子供が自分で安全にホットケーキを作ることができるようになった。
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1970年(昭和45年) トミー(現、タカラトミー)『トミカ』 6車種で発売開始、価格180円。ミニカーの代名詞へ成長。
トミカ初代「ブルーバードSSSクーペ」パッケージ。1970年9月 - 6車種で発売開始、価格180円。
トミカ (Tomica) は1970年(昭和45年)からタカラトミー(旧・トミー)のTOMYブランド(トミカリミテッドヴィンテージ系統のみトミーテック)より販売されている車玩具である。30以上の国と地域で販売されている。
プラレールとともにトミー時代からの主力商品であり、販売開始当初から老若男女を問わず愛され続けてきている。同社のプラレールと組み合わせて遊べるように製作されており、プラレールと組み合わせた商品も存在する。年に一度、主要都市等で開催される愛好者向けイベント「トミカ博」は、「プラレール博」と共にトミー(現・タカラトミー)の重要なイベントであり、多くの来場者を集めている。
トミカが発売された1970年当時、国産車のミニカーといえばダイヤペット(米沢玩具→セガトイズ→現・アガツマ)やモデルペット(アサヒ玩具)に代表される標準スケールが中心であり、小スケールミニカーは細々と輸入される海外ブランドしか存在しなかった。この状況に目をつけ、国産車の本格的小スケールミニカーとして発売されたのがトミカである。
プラレールとともにトミー時代からの主力商品であり、販売開始当初から老若男女を問わず愛され続けてきている。同社のプラレールと組み合わせて遊べるように製作されており、プラレールと組み合わせた商品も存在する。年に一度、主要都市等で開催される愛好者向けイベント「トミカ博」は、「プラレール博」と共にトミー(現・タカラトミー)の重要なイベントであり、多くの来場者を集めている。
トミカが発売された1970年当時、国産車のミニカーといえばダイヤペット(米沢玩具→セガトイズ→現・アガツマ)やモデルペット(アサヒ玩具)に代表される標準スケールが中心であり、小スケールミニカーは細々と輸入される海外ブランドしか存在しなかった。この状況に目をつけ、国産車の本格的小スケールミニカーとして発売されたのがトミカである。
via autoc-one.jp
1966年に『サンダーバード 劇場版』、1968年に『サンダーバード6号』が劇場公開された。2004年にはアメリカ合衆国で製作された実写版映画が公開され、2015年からはリブート版『サンダーバード ARE GO』が放送されている。