高校時代は、ノーヒットノーラン9回、完全試合2回!!
甲子園の通算成績は6試合に登板し、4勝2敗、投球回数59回1/3、奪三振92(1試合平均15.3、奪三振率14.0)、自責点3、防御率0.46。
全国大会栃木県予選
2回戦(対足尾) リリーフで5回無安打無四球7奪三振
3回戦(対足利工大付) 初先発し8回3安打零封
準々決勝(対烏山) 完全試合
準決勝(対宇都宮) 延長11回で降板、後続ピッチャーが打たれ敗戦
秋季関東地区大会栃木県予選
4試合30回2失点37奪三振、防御率0.67
1回戦(対足利工) ノーヒットノーラン
関東大会
1回戦(対前橋工) 4回まで10者連続三振で無安打無得点も、5回に頭部に死球を受け退場し入院
1972年 高校2年
全国大会栃木県予選
2回戦(対大田原) ノーヒットノーラン 13奪三振
3回戦(対石橋) 完全試合 17奪三振
準々決勝(対栃木工) ノーヒットノーラン 17奪三振
準決勝(小山) 10回2死までノーヒットノーラン 15奪三振 11回裏にサヨナラスクイズの0-1で敗戦
秋季関東地区大会栃木県予選
1回戦(対那須) 5回無安打零封途中降板 15アウトのうち14を奪三振
2回戦(対足利工) 完封 2安打15奪三振
準決勝(対宇都宮) 6回6奪三振で降板
決勝(対烏山) 完封 2安打10奪三振
関東大会
1回戦(対東京農大二) 6回1安打(9者連続奪三振を含む)13奪三振
準決勝(対銚子商) 完封 1安打20奪三振
決勝(対横浜) 完封 16奪三振
秋季県大会・関東大会
7勝0敗 53回 被安打12 奪三振94 奪三振率16.0 失点0 自責点0 防御率0.00
1973年 高校3年
春の甲子園・選抜大会
1回戦(対北陽) 完封 4安打19奪三振
2回戦(対小倉南) 7回零封途中降板 10奪三振
準々決勝(今治西) 完封 1安打(8者連続奪三振を含む)20奪三振
準決勝(広島商) 0対1で敗戦 2安打(内野安打とポテンヒット)11奪三振
全国大会栃木県予選
2回戦(対真岡工) ノーヒットノーラン
3回戦(対氏家) ノーヒットノーラン
準々決勝(鹿沼商工) 1安打無失点
準決勝(対小山) 1安打無失点
決勝(対宇都宮東) ノーヒットノーラン
練習試合を含め140回無失点を記録
夏の甲子園・全国大会
1回戦(対柳川) 2対1(延長15回) 23奪三振
2回戦(対銚子商) 0対1(延長12回)で敗戦 9奪三振
「江川の大会」ー 1973年春の甲子園・選抜大会
第1日目第1試合。初めて甲子園球場という全国区に登場した「怪物」江川に日本中の高校野球ファンが試合のテレビ放送に注目した。江川見たさと開幕直後の地元・北陽高校戦とあって、甲子園球場は観衆5万8千人の超満員となった。
北陽・高橋監督は「江川江川というが、まだ高校生。ウチの打線は今が絶好調。ぶんぶん振り回して江川に向かって行きますよ」と開会式前のインタビューで語っている。
5番・有田(のち近鉄)がこの試合23球目に初めてバットにボールを当てると(一塁スタンドへのファウル)、有田に対して超満員の観客から大きな拍手が巻き起こっている
試合後のインタビューで北陽・高橋監督は「生徒にはまっすぐを狙わせたが、スピードがありすぎてバットに当たろうともしなかった。途中から作戦を変えて、短打打法に切り替えたが、全くだめだった」と語っている。
大会前から豪腕と騒がれたが、初めて全国に姿を現した「怪物」の実力に多くの高校野球ファンが驚嘆し、この試合を契機にこの大会は江川大フィーバーに包まれた。
江川はこの大会で通算60奪三振を記録、1930年(昭和5年)選抜優勝の第一神港商・岸本正治の作った54奪三振の従来記録を43年ぶりに塗り替えた。60奪三振は現在でも選抜大会記録である。
江川卓のありえない怪物時代 - YouTube
江川が引き起こした”大渋滞”
7月、江川3年の夏、第55回全国大会栃木県予選で作新学院の試合がある日は遠地から見物に来る車が5000台以上にもなり、球場周辺の一帯の道路は朝から大渋滞で完全に交通マヒとなって、警備には40人以上の警察官が動員された。また、隣接する軟式野球場を解放して、急遽臨時駐車場とするなど、関係者は対応策に追われた。屈指の好カードとなった準決勝の対小山戦は徹夜組約100人、決勝の対宇都宮東戦は悪天候にもかかわらず徹夜組が150人以上も出るなど、地方の県予選としては異例の事態となった。
江川が「電力」を止めてしまった!!
<73年夏の作新学院>
◆1回戦(8月9日○2-1柳川商=延長15回)センバツで大会新記録の60奪三振を樹立した江川卓が登場。6回に1点を失い、練習試合を含めて連続無失点は145回で止まったが、7回に味方が失策がらみで同点に追いついた。15回2死一、二塁から1番和田の中前安打でサヨナラ勝ち。江川は15回を219球で完投し、23奪三振。日本列島は江川見たさのファンがテレビにクギ付けになり、関西電力が大手会社にエスカレーターと冷房のストップを要請するなど全国で騒動となった。
◆2回戦(同16日●0-1銚子商=延長12回)江川と銚子商・土屋の投げ合い。両軍無得点の12回裏、雨によるボールの滑りを気にした江川は四球、安打、四球で1死満塁とし、フルカウントからの6球目を高めに外して痛恨の押し出し四球。サヨナラ負けで甲子園を去った。観衆5万6000人。
法政大学時代は、47勝、17完封、443奪三振!!
通算最多完封勝利 17完封
通算勝利47勝 (最多勝利は山中正竹(法大-住友金属)48勝)
通算奪三振443 (最多奪三振は和田毅(早大-ソフトバンク)476三振)
通算勝利、通算奪三振はともに2位だが、通算40勝以上通算400奪三振を記録しているのは江川のみ。