野球人生とサイドストーリー
1973年〜1983年(巨人・阪神)
324試合
139勝95敗17セーブ
1273奪三振
防御率 3.18
最多勝 1回(1979年)
沢村賞 2回(1977年、79年)
ベストナイン 2回(1977年、79年)
324試合
139勝95敗17セーブ
1273奪三振
防御率 3.18
最多勝 1回(1979年)
沢村賞 2回(1977年、79年)
ベストナイン 2回(1977年、79年)
1979年 歌手デビュー。「亜紀子」発売1ヶ月で10万枚をセールスし、はオリコン最高41位を記録した。
亜紀子 小林繁(思い出のEPレコードから) - YouTube
作詞:八谷 けい、作曲:内山田洋(1979年発売)
via www.youtube.com
「本業は野球。テレビでは歌わないよ」という小林だったが、テレビCMでも超売れっ子。79年末現在でスーツにトマトジュース、運動具など計9社と契約し出演。野球がない冬場でも毎日テレビには小林の姿が映っていた。
副業での収入も5000万円以上といわれたが、野球での年俸もこの年、飛躍的に上昇した。17日の契約更改で小林は79%アップの3200万円(推定)の提示を5分でサイン。タイガース史上、田淵幸一捕手(79年時は西武)以来2人目の3000万円プレーヤーとなった。これで鈴木啓示投手(近鉄)の4000万円に次いで、球界投手部門2位の高給取りに。「今年はトレードという発奮材料があって頑張ったが、来年は3000万円という刺激でやらなきゃと思う」と小林。巨人入団時130万円だった年俸が、プロ7年目にして約25倍になった喜びをかみしめた瞬間だった。
女性関係もハデだった。ノンプロ時代に結婚した最初の夫人とは'80年に離婚。その後、藤圭子、片平なぎさ、小柳ルミ子、中森明菜らの名前が次々に女性誌を賑わした。'92年には12歳下の社長令嬢と結婚―――まるで売れっ子タレントのような、華やかな経歴。だが、彼が放つ光以上に影は暗かった。
via tweez.net
「あの“悲劇のトレード”に際し、小林には慰謝料ともいうべき、巨額のカネが支払われていた。億単位だったと聞いています。そのカネと人気を目当てに怪しげな連中が群がり、小林を青年実業家に祭り上げた。結果、巨額の借金を抱えるハメになったんです。しかも、小林が裏書した手形が出回ったため、取り立てに追われる毎日。引退会見の時も、借金取りが会場に張り込んでいた。黒塗りの車が数台、待ち構えていたんです」
2010年1月17日、57歳で逝去。
引退後はスポーツキャスターや参院選出馬など、ユニホームを脱いでも注目を集めた。97年から近鉄で梨田監督の下、投手コーチを務め、01年にリーグ制覇。韓国プロ野球SKのコーチも務め、昨年、日本ハムの2軍投手コーチとして日本球界に復帰。今季からは1軍コーチとして、再び梨田監督とタッグを組んでパ・リーグの頂点を目指すはずだった。前夜も、自室で今季から加入する新外国人投手のDVD映像を見てキャンプへ備えるなど、新シーズンに気持ちを高めていた。
巨人時代
入団1年目、イースタン・リーグで7勝5敗10セーブ、防御率2.43の成績を挙げ優勝投手にもなった[22]小林は、9月26日、一軍の試合に初登板。チームが負けている場面で3回リリーフ登板し好結果を残した[23]後、10月11日の阪神タイガース戦に6番手で出場、1イニングを無失点に抑えた。この試合は巨人のセントラル・リーグ優勝を左右する試合といわれ、日本テレビ系列で放送予定枠を超えて放送されるなど野球ファンの注目を集めており、小林の存在が知られるきっかけとなった[24]。
via mainichi.jp
1976年、張本勲、加藤初らをトレードで獲得するなど戦力補強を行った巨人は、2年ぶりのセ・リーグ優勝を果たした。小林は18勝、防御率2.99(いずれもリーグ2位)の成績を挙げ、10月16日の広島東洋カープ戦に救援登板して胴上げ投手となるなど活躍した[30]。1977年も巨人はリーグ優勝を果たし、小林は前年と同じく18勝(防御率2.92)を挙げた。最多勝、最優秀防御率のタイトルは獲得できなかったものの沢村賞を受賞し、ベストナインに選出された[31]。
via blog.goo.ne.jp
江川事件 ー「空白の1日」と電撃トレード
運命の日は宮崎キャンプに出発する日だった。小林、江川の動きを時系列で追うと、
▼午前11時50分 宮崎キャンプ出発のため羽田空港に到着した小林がすぐに球団職員に連れられハイヤーに乗せられる。「どこへ行くの?」(小林)「とにかく着いてから(話す)。(正力亨)オーナーと(長谷川実雄)代表がいるから」。
▼12時15分 江川が栃木の実家から上京、後見人の衆院議員船田中氏の事務所へ。
▼12時20分 ハイヤーは東京・紀尾井町のホテルニューオータニに到着。「小林君に阪神へ行ってもらうことになった」と長谷川代表。
▼15時20分 小津正次郎阪神球団社長らと江川親子の交渉。16時に契約。10分後に入団会見。報道陣からトレードについてきかれると「知りません」と江川。「阪神キャンプにはいつ行くのか」の問いには言葉に詰まる。
▼20時40分 ホテルを出た小林らは読売新聞社へ。阪神側も同席。
▼23時30分 巨人と阪神の間で交換トレード成立。
▼2月1日0時18分 トレード発表。
▼0時45分 小林が会見「請われて阪神に行くのだから、同情はされたくない」ときっぱり--。