江川は開幕日の4月7日に巨人に移籍とされた。江川が巨人のキャンプやオープン戦に参加せず、入団発表が4月7日に行われたのはこのためである。巨人のキャンプに参加できなかった江川は巨人に入団するまで元巨人捕手だった矢沢正と練習をしていた。
via www.47news.jp
”江川る(エガワル)”
「エガワる」(周囲をかえりみず強引に自分の意見を押し通すこと)という言葉が流行語にまでなった。
嫌われモノ 「江川ピーマン北の湖」
◆強すぎる 大関貴ノ花ら人気力士が多い中、あまりに強すぎることから憎まれ役に。子供が好きだったものを並べた流行語「巨人大鵬卵焼き」を、嫌いなものとしてもじった「江川ピーマン北の湖」と、やゆされたこともあった。
オールスターで8連続三振!!
「9連続三振を奪っても江夏さんと並ぶだけで単独の新記録じゃない。昔からタイ記録はあまり好きではない」と言った。大学時代も法政の先輩左腕山中正竹投手のもつリーグ戦通算48勝にあと1勝で並ぶという4年生最後の試合でも登板しなかったことを思えば、タイ記録に意味を感じていなかったのかもしれない
1984 江川卓 8連続三振 オールスター - YouTube
via www.youtube.com
スピードガンは壊れているのではないか?
江川の球速は、高校時代にすでにピークを迎えていたともいわれ、当時スピードガンはまだなかったが、150km/hを超えていたのではないかと推定されている[31](プロ入り後は1981年8月30日に最速153km/hを記録している)。江川が出演する『Going!Sports&News』にて[32]、現役時代の江川の球速(ある1球)をスーパーコンピュータで解析したところ、160km/hだったと推定されるという。
昭和の怪物くん江川卓 体感速度150km越え スピードガンおかしいんじゃないの?! - YouTube
via www.youtube.com
鍼灸医団体から抗議を受けた引退会見
引退会見では、優勝のかかった対広島戦を前にして長年傷めていた右肩の故障が限界に達し、即効性があり一時的に力は回復するが投手生命を縮めるといういわゆる「禁断のツボ」に鍼を打つ治療を受けたと語り、引退記者会見に出席した多くのスポーツ記者が、涙をにじませて語る江川の姿にもらい泣きした。しかし、鍼灸関係者から、鍼灸治療でそのような危険な治療方法があるかのような誤解と不安を与えたとの不満と抗議が起こり、そのようなツボが彼が主張した患部(肩胛骨)の裏にあるという事実も確認できなかったため、治療をした鍼灸医の姓名を明らかにするように、鍼灸医の団体から正式な抗議を受けた。この件に関しては、江川サイドから文章で謝罪することで一応の決着が計られたが、鍼灸医団体からの抗議自体が大手のマスコミではほとんど報じられなかった。のちに江川は、引退記者会見でテンションが高まったあまり、思わず口をついた作り話であることを認めた。
1987年 巨人 江川卓引退特集 - YouTube
via www.youtube.com
江川卓は”嵐を呼ぶ男”だった!
32歳での引退は、プロ野球通算9年間と短いものであった。しかし、江川が世の中に知られたのは高校1年の16歳の時だった。だから、16年の間、江川の投球を世の中に魅せてきた。
怪物と呼ばれ、甲子園に「江川フィーバー」を巻き起こした。プロ入の際には、社会問題を引き起こし、嫌われ者でもあった。アンチ巨人を数多く増やし、自らアンチ江川を生み出した。
しかしそれは、強すぎることへの裏返しでもあり、ピッチングは超一流であった。
まさに野球界に嵐を巻き起こした男だった。
怪物と呼ばれ、甲子園に「江川フィーバー」を巻き起こした。プロ入の際には、社会問題を引き起こし、嫌われ者でもあった。アンチ巨人を数多く増やし、自らアンチ江川を生み出した。
しかしそれは、強すぎることへの裏返しでもあり、ピッチングは超一流であった。
まさに野球界に嵐を巻き起こした男だった。
via cg-goodsun.com
266試合 完投110 完封27
1857 1/3回
135勝72敗3セーブ
勝率 .652
奪三振1366
防御率 3.02
最多勝 2回(1980年、81年)
最優秀防御率 1回(1981年)
最多奪三振 3回(1980年、81年、82年)
最高勝率 2回(1981年、84年)
MVP 1回(1981年)
最優秀投手 2回(1980年、81年)
ベストナイン 2回(1980年、81年)