橋本清は、野村弘の項で先述した通り、野村弘、岩崎充宏との3枚看板で、PL学園史上初の春夏連覇に貢献した投手の一人です。左のエース・野村に対し、右のエース・橋本が双璧でした。
その年のオフは、本田技研への就職が内定していましたが、結局、ドラフト1位指名で読売ジャイアンツに入団。入団して4年間は一軍に上がれず、一軍での初登板は1992年のことです。1993年に、一軍セットアッパーの座を勝ち取ると、52試合に登板し、6勝4敗3セーブ、防御率1.83の好記録。1994年もセットアッパーとして活躍し、先輩の桑田とともに、チームのリーグ優勝、日本一に貢献しました。2001年に福岡ダイエーホークスに移籍し、その年引退しています。
その年のオフは、本田技研への就職が内定していましたが、結局、ドラフト1位指名で読売ジャイアンツに入団。入団して4年間は一軍に上がれず、一軍での初登板は1992年のことです。1993年に、一軍セットアッパーの座を勝ち取ると、52試合に登板し、6勝4敗3セーブ、防御率1.83の好記録。1994年もセットアッパーとして活躍し、先輩の桑田とともに、チームのリーグ優勝、日本一に貢献しました。2001年に福岡ダイエーホークスに移籍し、その年引退しています。
橋本清 vs. 片岡篤史 対談
【付き人トレード事件!?】橋本清が語る思い出のPL学園
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帝京・吉岡雄二(1989年)
吉岡雄二は、帝京高校のエースで、3年時の1989年夏の甲子園(第71回選手権)で優勝。決勝戦を含む3試合で完封勝利を収め、同校初優勝の立役者となりました。
その年のオフ、ドラフト3位指名で読売ジャイアンツに入団。すぐに打者に転向しますが、巨人では結果が出ず、1997年に大阪近鉄バファローズに移籍します。すると、翌1998年はレギュラーに定着し、1999年には初めて規定打席に到達。リーグ優勝した2001年には、北川博敏の劇的な逆転サヨナラ満塁本塁打で優勝を決めた試合で、最終回の先頭打者としてレフト前ヒットを打っていました。
2005年に球団再編成で東北楽天イーグルスの選手となり、2008年に引退。その後は主に、地方リーグの監督・コーチとして活躍しています。
その年のオフ、ドラフト3位指名で読売ジャイアンツに入団。すぐに打者に転向しますが、巨人では結果が出ず、1997年に大阪近鉄バファローズに移籍します。すると、翌1998年はレギュラーに定着し、1999年には初めて規定打席に到達。リーグ優勝した2001年には、北川博敏の劇的な逆転サヨナラ満塁本塁打で優勝を決めた試合で、最終回の先頭打者としてレフト前ヒットを打っていました。
2005年に球団再編成で東北楽天イーグルスの選手となり、2008年に引退。その後は主に、地方リーグの監督・コーチとして活躍しています。
帝京 vs. 海星(三重)
1989 吉岡雄二 甲子園-夏
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