甲子園球場の風景!ラッキーゾーン、かちわり氷、砂、ツタ、ブラスバンド、人文字!
2016年11月25日 更新

甲子園球場の風景!ラッキーゾーン、かちわり氷、砂、ツタ、ブラスバンド、人文字!

甲子園球場にあった懐かしの風景を高校野球を通してまとめた!関西人だけでなく、春や夏の風物詩、高校野球。清原や桑田のKKコンビ、ゴジラ松井秀喜もラッキーゾーンにまつわるエピソードがあった!そして、PL学園の人文字はハイテクだった。

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甲子園と言えばホームランを生んだ「ラッキーゾーン」

ラッキーゾーンとは、和製英語(=日本独自の通称)であり、英語に相当する単語はない。

野球場で本塁打を出やすくするために意図的に外野フィールドの内側に施した柵と、その柵から本来のフェンスの間の空間のこと。

また、柵の外はプレイングフィールド外として扱われ、打者が打ったフェアの打球が地面に着くことなくラッキーゾーンに飛び込めば、本塁打となる。
甲子園球場のラッキーゾーン

甲子園球場のラッキーゾーン

高校野球でもよく見られたラッキーゾーンへのホームラン!

高校野球でもよく見られたラッキーゾーンへのホームラン!

出典 labola.jp
日本におけるラッキーゾーンの第1号は阪神甲子園球場である。

1947年の5月26日に外野の両翼から左・右中間付近にいたる付近に金網を設けて本塁打を出やすくしようと試みた。球場での本塁打率が悪かった事を危惧した管理者の阪神電鉄によるもの。

ちなみに5月26日は「ラッキーゾーンの日」とされている。

設計当初は陸上競技場や球技場としても利用されることが念頭に置かれていたため、グラウンドは三角形で、ポール際のコーナーが丸みを帯びるという形状で、中堅119ないし120m・両翼110mに対し左右中間が128mもあるという、現在の目から見ても過大といえるサイズとなった。

さらに1934年にはホームベースがさらに9mほど下げられたため、同年の日米野球に出場したベーブ・ルースをして"Too large"(デカすぎだ)と驚かせたのは有名な話。
甲子園球場

甲子園球場

※(1985年に上空から撮影)。左中間、右中間にラッキーゾーンが設けられている部分が見える。
ラッキーゾーンは1991年まで使用された。

当初、甲子園を舞台に開催される高校野球時には取り外していたが、1949年の夏の大会からはそのまま使用した。設置中には幾度か位置が変えられている。

1976年には内野スタンドの改造に合わせてホームベースを移設、中堅120m、両翼91mと公称されるようになった。
また、このときラッキーゾーンを従来より前にせり出す改修もおこなわれている。

1991年以前はラッキーゾーンにブルペンがあり、リリーフカーもあった。

撤去後のラッキーゾーンの一部は、甲子園歴史館と甲子園に近い兵庫県立西宮今津高等学校の中庭に保存されている。
ラッキーゾーン内のブルペン

ラッキーゾーン内のブルペン

甲子園のラッキーゾーン!KKコンビや松井秀樹のエピソード!

「KKコンビ」と呼ばれたPL学園の桑田真澄と清原和博は、1985年の全国高等学校野球選手権大会で2度目の優勝を果たした。
その大会の準々決勝、高知商戦で、2人はアベックホームランを放つ。この時の桑田真澄のホームランは、ラッキーゾーンで生まれたものだった。

PL学園 KKコンビの甲子園での活躍

0:32~ PL学園1年生の清原の初ホームランはラッキーゾーンへの打球だった!

1:20~ 清原が2年生の夏に1試合3本塁打を打った試合。1本目のホームランはラッキーゾーンへ!
また、ラッキーゾーンが撤去された後の甲子園で初めてホームランを打った選手が、星稜高時代からスラッガーとして注目され、ゴジラの愛称で親しまれた松井秀喜だった。
ラッキーゾーンが撤去された3年春の選抜・開幕戦でいきなり2発のホームランを放った松井。その秋のドラフトの目玉となった。

1992年 松井秀喜 星稜×宮古

ラッキーゾーン撤去直後に広くなった甲子園を感じさせぬ二打席連続ホームラン。

試合後、松井のインタビューも。
「(ホームランは相手投手の)失投じゃないかなと思うんですが、ラッキーでした。」と謙遜したが、ラッキーではなく完全に実力によるものであった。

甲子園の夏!冷たい飲み物と言ったら「かちわり氷」!

純氷などの大きな氷を小さく割って飲料用途など利用し易くしたかち割り氷。
甲子園の名物として知られ、特に暑い夏のスタンド観戦では重宝されている。

かち割り氷(かちわりごおり、搗ち割り氷)の略語である。

阪神甲子園球場において販売されている「かちわり氷」は、スタンド(売り子)や売店にて販売されている。但し、夏の高校野球開催期間中のみの販売で、プロ野球阪神タイガースの試合当日は通常販売されていない。
夏はこれでひんやり、かちわり氷!

夏はこれでひんやり、かちわり氷!

水は六甲山系の地下水を汲み上げたものであり、溶けた氷水を飲んだり、額などに乗せて涼をとったりする。
2日間かけてゆっくりと製氷する事で水に溶け込んだ空気が徐々に抜け、気泡が少ない氷になるため溶けにくくなっている。

かちわり氷の歴史は1957年に始まる。販売したのは地元西宮市で飲食店を経営する梶本商店。
その後、祭りの露店での金魚すくいの袋をヒントに改良され、ビニール袋に氷を詰めストローを付けて販売したところ、「飲み物であると同時に氷嚢としても使える」と評判となり大ヒットした。
発売開始当初は1袋5円であった。

KKコンビが大活躍した1983年頃は1日で1万5000袋が売れた。

現在は凍らせたペットボトル入り清涼飲料水の台頭などに加えて、阪神甲子園球場ではペットボトルの持ち込みが認められていることや、衛生面で敬遠する人も増えたこともあって売り上げがピーク時の半分から三分の一にまで落ちている。値段は1袋200円。
かちわり氷の氷は長持ち!

かちわり氷の氷は長持ち!

負けると甲子園の砂をかき集め、持ち帰るのは川上哲治が起源!?

試合後、グランドの砂をかき集め、袋に詰める選手達

試合後、グランドの砂をかき集め、袋に詰める選手達

その様子を撮ろうするカメラマン達もお馴染みの光景!
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