【大型トレード】どっちがトクした!?張本を獲得した巨人?高橋一・富田を獲得した日本ハム?
2023年1月21日 更新

【大型トレード】どっちがトクした!?張本を獲得した巨人?高橋一・富田を獲得した日本ハム?

1975年のプロ野球オフシーズンには、二つの大型トレードが話題になりました。一つが、阪神(江夏豊、望月充)と南海(江本孟紀、長谷川勉、池内豊、島野育夫)のトレード、そしてもう一つが今回ご紹介する、巨人(高橋一三、富田勝)と日本ハム(張本勲)のトレードです。チームの強打者とエース投手が動いた大型トレード。巨人と日本ハム、果たしてどちらのチームがトクしたのでしょうか?

1,200 view

巨人と日本ハムの大型トレード

1975年オフの巨人と日本ハムの大型トレードは、巨人2名、日本ハム1名の交換トレードでした。対象者は次の通りです。
読売ジャイアンツ(2名) 日本ハムファイターズ(1名)
高橋一三(投手) 張本勲(外野手)
富田勝(内野手)

巨人→日本ハム(2名)

高橋一三

高橋一三は、巨人のV9時代を支えたエースの一人です。特に、1969年22勝5敗勝率.815で、最多勝利最高勝率のタイトルを獲得。1973年には、自身最高の23勝を記録しています。いずれの年も、沢村賞最優秀投手を併せて受賞しました。阪神には滅法強く、熾烈な優勝争いをした1973年でも、6勝2敗と圧倒。しかも、セ・リーグ優勝をかけた阪神とのシーズン最終戦では完封勝ちを収め、胴上げ投手となっています。しかし、1974年は2勝、1975年は6勝に終わり、その年のオフ、トレード要員となります。

日本ハムでの一年目は、二桁勝利を挙げるものの、10勝12敗と負け越し。その後も腰を痛め、なかなか結果が出ませんでした。ところが、移籍5年目の1980年に9勝を挙げて復活。1981年には14勝防御率2.94(リーグ3位)を記録し、1962年の東映フライヤーズ時代以来、19年ぶりのパ・リーグ優勝に貢献しました。日本シリーズでは古巣の巨人と対戦し、2試合に先発登板しています。
巨人時代の高橋一三

巨人時代の高橋一三

富田勝

富田勝は、法政大学時代、同期の田淵幸一、山本浩二と「法政三羽ガラス」と呼ばれ、1968年ドラフト1位で南海ホークスに入団します。1973年に、衰えの見える長嶋茂雄三塁手の後継として、読売ジャイアンツに移籍。移籍初年はわずか44試合の出場ながら、日本シリーズでは、怪我の長嶋に変わってフル出場し、古巣南海と戦いました。しかし、巨人では期待された成績は残せず、後にトレード要員となります。

日本ハムでは、移籍初年から活躍し、4年連続で規定打席に到達。しかも、1976年は打率.284でリーグ8位、.1977年は打率.307でリーグ6位、.1978年は打率.307でリーグ8位と、3年連続で打撃10傑に入る活躍を見せました。日本ハムには1980年まで在籍し、1981年に中日に移籍。その年引退しています。
日本ハム時代の富田勝

日本ハム時代の富田勝

日本ハム→巨人(1名)

張本勲

張本勲は、長年、東映フライヤーズの大砲として活躍。"安打製造機"の異名を取り、7度の首位打者を獲得するなど、パ・リーグを代表する大打者でした。しかし、1973〜1974年に球団の身売り(東映→日拓→日本ハム)があり、さらには、大杉勝男、白仁天らがトレードで抜けるなど、チームはバラバラ。1975年オフ、張本は他球団への移籍を希望します。翌年から大沢啓二監督が就任予定でしたが、結局張本の気持ちを変えることはできず、日本ハムからの放出が決定。当初は阪神への移籍の予定でしたが、最終的には巨人に決定します。(因みに、大沢啓二監督とは、奇しくも後に、日曜日朝の某テレビ番組で、親分&張さんのコンビを組むことになります。)

1975年に球団史上初の最下位に終わった巨人長嶋茂雄監督は、4番・王貞治の前に強打者が必要と考えていました。そこで、日本ハムから張本を獲得。長嶋監督念願の「3番・張本、4番・王」"OH砲" が誕生します。

憧れの巨人に入団した張本。移籍初年の1976年からヒットを量産し、この年の首位打者争いに名を連ねます。7月末にはなんと、打率が.380まで上昇。最後は.355の高打率を記録するも、中日の谷沢にわずか "6糸" の差で敗れ2位に終わります。惜しくも首位打者を逃しますが、それ以上に、誰もが認める長嶋巨人初優勝の立役者となりました。翌1977年打率.348再び2位となり、V2に貢献しています。
巨人の張本勲

巨人の張本勲

結局どっちがトクした!?

巨人は、3番張本、4番王のOH砲が機能し、1976〜1977年にV2を達成。張本は、いずれの年も首位打者争いを演じ、巨人の優勝に大いに貢献しました。日本ハムは、高橋一は最初の数年は結果が出なかったものの、1981年14勝を挙げ優勝に貢献。一方、富田打率10傑の常連となり、チームの躍進に大いに貢献しました。両球団とも、トレードは大成功だったと言えるでしょう。

次回は、1978年オフに行われた西武と阪神の大型トレードについて、ご紹介する予定です。
16 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【間柴茂有】戦後初の勝率10割!日本ハム19年ぶりの優勝に貢献した投手!

【間柴茂有】戦後初の勝率10割!日本ハム19年ぶりの優勝に貢献した投手!

投手のシーズン勝率10割といえば、記憶に新しいところでは、2013年の楽天・田中将大投手の24連勝を思い浮かべる人が多いかもしれません。実は、戦後に限ると、過去にもう一人いました。それが、1981年の日本ハム・間柴茂有投手。今回は、間柴投手の勝率10割と日本シリーズの成績を振り返ります。
izaiza347 | 327 view
【武田一浩】史上3人目!全12球団から勝利したピッチャー!1998年には最多勝も記録

【武田一浩】史上3人目!全12球団から勝利したピッチャー!1998年には最多勝も記録

セ・パ交流戦が始まる以前、公式戦でセ・パ全12球団から勝利を挙げた投手はわずか3人です。その一人が、今回ご紹介する武田一浩。最多勝、最優秀救援のタイトルも獲得したことのある実力派で、中日ドラゴンズのリーグ優勝にも貢献しました。そんな武田投手の各球団初勝利の軌跡を振り返ります。
izaiza347 | 512 view
【1976年プロ野球】史上最も僅差の首位打者!中日・谷沢 vs. 巨人・張本

【1976年プロ野球】史上最も僅差の首位打者!中日・谷沢 vs. 巨人・張本

1976年、セ・リーグの首位打者争いは、張本勲が日本ハムから巨人に移籍したことで、例年になく混戦を極めました。シーズン後半は張本がトップをひた走り、中日・谷沢健一やヤクルト・若松勉らが追う展開。そして、ペナントレースの最後の最後でドラマが起きます。今回は、当時の首位打者争いの様子を振り返ります。
izaiza347 | 3,067 view
1974年の日本ハム・初代ユニホームが復活!大谷もお気に入り!

1974年の日本ハム・初代ユニホームが復活!大谷もお気に入り!

日本ハムは球団史を振り返る「レジェンドシリーズ2016」で着るユニホームを発表。日本ハム球団誕生の1974年前期シーズン(当時のパ・リーグは前後期制)のデザインを復刻した。在京球団時代の日本ハムファイターズも振り返る。
【張本勲】あっぱれ!3000本安打!500本塁打!300盗塁!首位打者7回!NPB史上最強打者

【張本勲】あっぱれ!3000本安打!500本塁打!300盗塁!首位打者7回!NPB史上最強打者

みなさんは「日本のプロ野球史上最強の打者は?」と聞かれて、誰を思い浮かべるでしょうか?様々な名前が出てくるでしょうが、恐らくこの選手の名前もたくさん出てくることでしょう。NPB唯一の3000本ヒッター、張本勲選手です。ヒット数のみならず、打率もホームランも盗塁も凄い張本勲選手。そんな歴史的強打者の大記録を振り返ります。
izaiza347 | 157 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト