ビッグバン・ベイダー物語は猪木秒殺事件から始まった!空飛ぶ巨漢が新日UWF全日ノアで大暴れ!
2016年11月25日 更新

ビッグバン・ベイダー物語は猪木秒殺事件から始まった!空飛ぶ巨漢が新日UWF全日ノアで大暴れ!

日本マット界にビッグバンを起こした皇帝戦士ベイダー。170キロの巨漢で空中殺法を炸裂させるプロレスラーは他に類例がない。ベイダーの新日本マット登場から、UWFインター、全日本プロレス、プロレスリング・ノアでの激闘を振り返り、強さの秘密に迫る。

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猪木秒殺事件

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1987年12月27日、両国国技館。
マサ斎藤は、とんでもないモンスターを連れて来てしまった。
伏線は、TPG(たけしプロレス軍団)のメンバーが、新日本プロレスに来て、アントニオ猪木に挑戦状を叩きつけようとする。
しかし鬼軍曹の山本小鉄は灰皿をぶん投げて「百年早い!」と怒鳴った。
これで引き下がるTPGではなかった。今度は猪木に直接挑戦状を渡し、一応受諾する形となる。
TPGだけならまだしも、正真正銘のプロレスラーであるマサ斎藤が特別顧問のような形でついたため、俄然意味合いが違ってきた。
マサ斎藤は、ビッグバン・ベイダーという巨漢レスラーを連れて来る。
プロフィールは伏せていたが、放送席がボクシングをやっていたことと、フットボールの選手だったことを知っていたので、多少の前情報はあったようだ。
ベイダーはただの大男ではなく、AWAやCWAで活躍してきた正真正銘のプロレスラーだ。
だが、当時の新日本プロレスファンは、アントニオ猪木の過激なプロレス。長州力の叩き潰す戦慄のプロレスに魅せられていた。
技と技、力と力の真っ向勝負をするストロングスタイルが新日本スタイルで、そこに誇りを持っていた。だから芸能人がリングに上がるだけで拒絶反応を起こす。
ビートたけしといえば人気絶頂のスター。しかし両国国技館は殺気に満ちた「帰れコール」が巻き起こった。これはTPGも誤算だったのではないかと思う。
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ビッグバン・ベイダーは何しろこの甲冑。それに190センチ、170キロの巨漢とあって不気味さが漂う。
最初は藤波辰巳、木村健吾VSマサ斎藤、ビッグバン・ベイダーのタッグマッチがベイダーの新日デビューのカードだった。
ところがマサ斎藤がリングで「猪木! この男と闘え!」と迫る。
しかしメインイベントはアントニオ猪木VS長州力のIWGPヘビー級選手権が決まっている。ファンも猪木と長州の一騎打ちを観に来たのだ。
リング上は、猪木、長州、斎藤、TPG、そして素顔を甲冑で隠したビッグバン・ベイダー。さらには新日本プロレスの主力選手や若手セコンド陣が皆上がっていた。場内は騒然。
まず長州力がキレた。心の師であるマサ斎藤に猛然とつかみかかる。斎藤もこれは誤算だったのか、必死に長州をなだめるが怒りは止まらない。
長州力には焦りがあった。もう猪木は、ストロング小林やボブ・バックランドと熱闘を繰り広げていた全盛期ではない。
年齢的にも強さのピークを過ぎていたのは明らかで、今がギリギリのチャンスだった。すなわち、「強いアントニオ猪木」に勝たなければ猪木越えにはならない。
こんなところでベイダーに譲っている暇はないのだ。
しかし、猪木がベイダーとの一騎打ちをやると言ってしまったので、今度は長州は猪木に殴りかかろうとしてセコンド陣に止められる。
ファンも納得しない。暴動寸前の危険な雰囲気になっていた。
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過去にも暴動事件はあった。
1984年、第2回IWGP優勝戦。あの猪木失神事件の翌年も、アントニオ猪木VSハルク・ホーガンの優勝決定戦になった。
前年と同じ形になり、場外でアックスボンバーが炸裂し、猪木が鉄柱に激突してダウン。悪夢が蘇る蔵前国技館。
そのあとホーガンが猪木を鉄柱にぶつけようとしたのか長州力にぶつけようとしたのか定かではないが、ホーガンは猪木を投げた。その猪木に長州力がリキラリアット!
その瞬間、観客席から一斉に長州に物が投げつけられた。ホーガンは長州にアックスボンバー・・・しかしリキラリアットと相打ち。
ホーガンが場外でダウンしている間にセコンド陣が半失神している猪木をリングに上げて猪木のリングアウト勝ち。この結末に怒りが爆発したファンが暴動を起こした。
暴動は良くないことだが、それだけファンは真剣だった。試合を壊す行為は絶対に許さない。

もしもフロントが、TPGが歓声で迎え入れられると思っていたとしたら、全くファン気質を把握していなかったことになる。
誤算が重なり、混乱に拍車をかけたのは、長州力、マサ斎藤VS藤波辰巳、木村健吾のタッグマッチを始めてしまったことだ。
観客席から罵倒が選手に浴びせられる。「やめろ!」と怒号が渦巻くなか、長州がリキラリアットで木村健吾からピンフォールを奪い、猪木戦をやると宣言。
それに対して猪木も受けて立ったので、一旦はファンの怒りもおさまったかに見えたが、一試合闘った長州力のスタミナの消耗は激しく、猪木の卍固めで動きが止まる。
長州は絶対にギブアップしないだろうと思ったセコンドの馳浩が試合を止めたが、長州力もファンも不完全燃焼。
やはりきちんとした形で一騎打ちを観たかったという思いは消えない。
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そして、ファンの気持ちはとりあえず棚上げで、マサ斎藤とTPGの要望通り、アントニオ猪木VSビッグバン・ベイダーの試合が行われる。
もしもこの試合で猪木が圧勝すれば本当に茶番劇になってしまう。
理想は、ブルーザー・ブロディが新日本プロレスに初登場した時のように、猪木と歴史に残る白熱した名勝負を展開すれば、結果が両者リングアウトでも、ファンは猪木とブロディに喝采を送った。
しかし、猪木VSベイダーの試合は、全く予想外の結末が待っていた。

アントニオ猪木VSビッグバン・ベイダー

1987年12月27日、両国国技館。初対決。
アントニオ猪木はリング上で臨戦態勢。甲冑で素顔を隠したビッグバン・ベイダーがリングに上がる。
再びマサ斎藤がマイクを持って「猪木! この男と闘うか? どうする!」
猪木はもちろん受けて立つ。ベイダーが甲冑を取る。その時猪木が背後から襲いかかる。ここでゴング。
場内に歓声は少ない。騒然としたざわめきがずっと続いている。ファンはこの対戦に納得していない。
マスクをしていない素顔のベイダーがヒグマのように両腕を上げて大きさを誇示する。
ベイダーが行く。ベイダーハンマー連打で猪木が卒倒する。ベイダーは猪木を軽々と持ち上げてリフトアップ!
猪木をリフトアップした状態でリングを回り、コーナーに叩きつけ、上からベイダーハンマーを振り下ろし、猪木をコーナーで逆さ吊りにする。
離れたベイダーは逆さまの猪木にフットボールタックル! ダウンした猪木が何とか立ち上がるが、もう一回タックルで吹っ飛ばす。
猪木は防戦一方。やはり長州力と一試合闘ってスタミナは残っていないか。
ベイダーが170キロの全体重を浴びせたジャンピングエルボードロップ! 今度はハイアングルのジャンピングエルボードロップ!
何もできない猪木。ベイダーは猪木を抱え上げてアバランシュホールド! まさかのカウントスリー。
再び怒号と大ブーイングが巻き起こった。
猪木は半失神状態で立てない。ベイダーはセコンド陣を蹴散らし、猪木にストンピング。
こんな試合を観に高い入場料を払って来たわけではない。ついに怒りが頂点に達したファンが暴動を起こした。
日本相撲協会は新日本プロレスに対し、両国国技館の使用を禁止した。
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新日本プロレス事件簿

長州力、マサ斎藤、ヒロ斎藤VS前田日明、木戸修、高田延彦

1987年11月19日、東京・後楽園ホール。前田顔面蹴撃事件!
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TPGは両国国技館の暴動事件以来、二度と新日本プロレスのリングに上がることはなかったが、ビッグバン・ベイダーのその後の大活躍を考えると、とてつもなく大きな置き土産を残していったといえる。
ベイダーが実力者だったのが救いだ。日本マット界では強いレスラーは評価される。
今までも新日本プロレスには、アンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガン、ブルーザー・ブロディなど、日本勢を総なめにしそうな強豪大型レスラーが来襲した。
それがある意味、外国人レスラーの重要な役目だと思う。力道山以来の日本人レスラー対外国人レスラーという対決の図式はわかりやすい。
次々まだ見ぬ強豪が来日すれば、それだけ鮮度を保てる。やはり同じカードばかりではファンが飽きてしまう。
そういう意味でビッグバン・ベイダーは、久しぶりの黒船来襲といえる強豪外国人レスラーなのだ。
新日本プロレスでは、ベイダーが来るまでは日本人レスラー同士の対決が主流になっていた。
主に、猪木越えをテーマに、長州力と藤波辰巳と前田日明が猪木とのシングルマッチを要望し、争っていた。
新日本プロレスは本当に事件が多い。
1987年11月19日、東京・後楽園ホールで行われた6人タッグマッチ。長州力、マサ斎藤、ヒロ斎藤VS前田日明、木戸修、高田延彦。
長州力が木戸修にサソリ固めを掛けようとした時、前田が背後から長州の顔面にハイキック!
前田は、皆が胸板にミドルキックをするのを見て「なぜ顔面を蹴らないんだ?」と前から言っていた。
前田日明にとってプロレスは真剣勝負だ。しかしこの時はわざと顔面を蹴ったわけではなく、長州が顔面に来ると思って交わそうとしたため、返って目のあたりにキックが決まってしまったというのが真相。
しかし当時は長州もほかのレスラーもそうは思わない。前田日明が上田馬之助に対しても藤波辰巳に対しても、容赦のない顔面キック連打をするのは有名だ。
長州の右目はみるみる腫れ上がり、サソリ固めを解いた長州が前田のほうに歩み寄ると前田も向かって来ようとする。
ほかの4人が一斉にリングに入り、両者を分ける異常事態になった。マサ斎藤もミスター高橋も前田に対して激怒している。
ロープをくぐりエプロンに立った前田に長州が顔面パンチ! 場内騒然。
長州はミスター高橋に「試合が終わっても前田を帰すな」と告げたらしい。
前田とセメント(真剣勝負)をやる気だったのだ。
試合は、マサ斎藤が高田をショルダースルー。長州がロープに飛んでリキラリアットでカウントスリー。
高田はツーで返せたが、見るからに長州の右目の腫れが危険な状態なので、わざと試合を終わらせたという意見も多い。
プロレスは殺し合いではない。
前田は故意の危険な顔面キックで長州力に重傷を負わせたということで、無期限出場停止となる。これは前田が新日本プロレスを離れ、UWF、リングスへと格闘プロフェッショナルレスリングという理想を追い求めるきっかけとなった。
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新日本プロレスの暴動事件は、1984年の蔵前国技館、1987年の両国国技館以外にもある。
1987年3月26日、大阪城ホール。アントニオ猪木VSマサ斎藤の一騎打ちだ。
長州力、藤波辰巳、前田日明が猪木越えを競い合っている時、マサ斎藤も猪木との決着を迫っていた。
しかし試合中にアイスホッケーの覆面を被った謎の海賊男が乱入し、マサ斎藤に手錠を掛けて連れ去るという意味不明なことが起きてしまった。
演出だとしても個人の乱入としても、新日本プロレスファンの気持ちを何もわかっていないことは明らかだ。
真面目に純粋に試合を観に来ているのに、なぜこんなことをするのか? ファンの怒りは爆発し、大暴動が起こる。
昔の新日本プロレスファンが熱かったのか。そんなことはない。2004年にも暴動寸前の出来事があった。
10月9日、両国国技館で行われたIWGPヘビー級選手権。佐々木健介VS藤田和之。まさに夢の対決だ。
健介も関節技を特訓し、海外で総合格闘技の試合にも出場し、相手選手をなぎ倒しでギロチンチョークで秒殺圧勝。
だからPRIDE常連の藤田和之にも堂々と渡り合える準備をしてきた。
試合は藤田がスリーパーホールドで健介を攻める。両肩がついたのでレフェリーがカウントを数える。藤田は慌ててツーで技を解いた。カウントに気づかなかったのだ。
またスリーパーで攻める。健介はグイッとブリッジで反り、藤田の両肩をつける。そのまま、まさかのカウントスリー。藤田はカウントに気づかなかったらしいが、誰が信じるのか。
場内は騒然。まだ試合開始して2分しか経っていないので、当然延長かと思われたが、試合は健介のフォール勝ちで終わってしまった。
大ブーイングの嵐が巻き起こったことは言うまでもない。リングサイドにいた北斗晶が大激怒して草間社長に襲いかかりキック!
いくら藤田がPRIDEが主戦場とはいえ、正真正銘のプロレスラーだ。カウントに気づかないわけがない。リング上には物が投げ込まれ、暴動寸前の状態になった。
ファンは真剣にプロレスの試合を観に来ているのだから、堂々とストロングスタイルの真っ向勝負を見せればいいのに、なぜ余計な演出をするのか。それも全然面白くない演出をするのなら始めから何もしないほうがいい。
そういう意味でビッグバン・ベイダーは、新日本プロレスファンを大満足させる熱闘を展開する、根っからのファイターだった。
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ビッグバン・ベイダーVS藤波辰巳

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