ロッテのエース小宮山悟!球速80km/hの魔球シェイクも投げた!
2016年11月25日 更新

ロッテのエース小宮山悟!球速80km/hの魔球シェイクも投げた!

90年代のロッテを支えたアイウェアのエース・小宮山悟。魔球・シェイクやメジャー挑戦、最年長セーブ記録等、話題も豊富だった彼。時代ごとの来歴を追って、小宮山悟の野球人生を振り返ります。ルーキー時代の貴重なインタビュー動画も紹介します!

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アイウェアの投手・小宮山悟

こみやま さとる、 1965年9月15日 - )は、千葉県柏市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、野球評論家、日本ソックモンキー協会有限事業責任組合理事、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)理事(非常勤)。

制球力が非常に高いことから「投げる精密機械」、「ミスターコントロール」などと呼ばれた。風避けのアイウェアと独特のセットポジションが特徴。
若い頃の小宮山悟

若い頃の小宮山悟

多様な球種をもちつつ、制球力も非常に優れており、両者が噛み合うときは相手チームがどのような強力打線であっても、緩急巧みに翻弄する鮮やかなピッチングを見せた。
イチローが「最も打ち崩したい頭脳派投手として小宮山さん」と高く評価していた。

小宮山悟の来歴 【高校~ロッテ時代】

大学2年の秋から早稲田のエースに!

柏市立柏第四中学校から芝浦工業大学柏高校へ進学(併願した千葉県立柏南高等学校には不合格。当時の柏南の野球部員は、柏四中から有名なバッテリーが入ると期待していたというが、結局捕手のみの入部となった)。

芝工大柏高校卒業後、二浪して早稲田大学教育学部に入学し、野球部に入部。
2年の秋からエースの座に就く。
通算52試合に登板し20勝10敗、防御率1.85、165奪三振。慶應義塾大学の大森剛との対決は早慶戦の華と呼ばれた。
早稲田大学時代の小宮山悟

早稲田大学時代の小宮山悟

90年代のロッテを支えたエースだった!

1991年、千葉移転前のロッテオリオンズ最後の開幕投手を務め、シーズン初の二桁10勝を挙げる。一方で負け数も16敗と多かった。以降3年連続して開幕投手を務める。

1992年は8勝15敗と前年同様負け数が二桁に達してしまった。

1993年は開幕戦の完投勝利を皮切りに、開幕から自身登板時に6試合連続完投勝利というプロ野球史上初の記録を達成(その後6連敗を喫して6勝6敗となるなどして、シーズン成績は12勝14敗で負け越し)。

1994年は勤続疲労により不調と怪我にあい2完封するものの、プロ四年間で最悪の成績に終わる。

1995年は前年とは打って変わって、プロ通算でも最高の勝率を記録し、この年のロッテ三本柱の一角を担い90年代唯一のAクラス入りに貢献する。

がんばルーキー'90 小宮山悟 - YouTube

ルーキー時代、テレビ番組での特集
1997年、3本柱だった、伊良部秀輝、エリック・ヒルマンの退団もあり、4年ぶりに開幕投手を務め、開幕から自身登板時に6連勝を記録。
同年はキャリアハイの防御率2.49で最優秀防御率のタイトルを獲得。翌1998年も開幕投手を務めた。
ロッテ時代

ロッテ時代

小宮山悟の来歴 【横浜~メジャー時代】

2000年に横浜ベイスターズへ移籍

移籍1年目の2000年は8勝11敗防御率3.96の成績だった。

2001年は自身7度目の開幕投手を務め、チーム最多のシーズン12勝を挙げる。
同年オフ、トニー・アタナシオを代理人としてFA権を行使し、12月1日にニューヨーク・メッツと1年50万ドルで契約(2年目は球団オプション)。
ニューヨーク・メッツ時代

ニューヨーク・メッツ時代

メジャーリーガーとなった2002年は『和製マダックス』と地元紙に評価され、メジャー初登板も9球で三者凡退に抑えるが、メジャーの打者のパワーに圧倒されて打ち込まれる事が多くなり、結局メジャーでは1勝もできずに帰国。
25試合に登板したものの、全て中継ぎ登板で防御率は5点台だった。

球速80km/hの魔球!?「シェイク」

シェイクとは、元プロ野球選手で「投げる精密機械」「ミスターコントロール」などと呼ばれ、メジャーでも登板経験のある小宮山悟選手が晩年に投げていた変化球のことです。
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