日本代表にも選出
国際Aマッチ 4試合 0得点(1996-1997)
1996年10月13日 チュニジア
1997年 2月13日 スウェーデン
1997年 5月21日 韓国
1997年 8月13日 ブラジル
1997年 2月13日 スウェーデン
1997年 5月21日 韓国
1997年 8月13日 ブラジル
国見高校
路木は、高校サッカーの名門の国見高校からサンフレッチェ広島に入団し、当時評価が高かった片野坂から左アウトサイドのポジションを奪ったことで有名になった選手でした。
路木は国見出身者によく見られる特徴として、体力のレベルが高いという長所がありました。この体力とスピードで、相手FWを追い回し疲労させるのが彼のプレースタイルでした。残留決戦の大一番だったジェフ市原戦で、上背で圧倒的に劣るバロン相手に一歩も引かず、完封したプレーは今でも忘れられません。
国見高時代に小嶺忠敏から「プロでは無理だ」とアドバイスを受けたと言われている。
プロでは無理だと言われたけど、活躍できました!
しかし、2003年の大分トリニータ所属以降はと言うと、消息が不明でした。
海外のクラブのテストを受けた等の噂はありましたが、「マイアミの奇跡」を演出した選手にしては少し寂しい幕引きでした。
しかし、2003年の大分トリニータ所属以降はと言うと、消息が不明でした。
海外のクラブのテストを受けた等の噂はありましたが、「マイアミの奇跡」を演出した選手にしては少し寂しい幕引きでした。
MF相馬直樹と代わって、68分 路木龍次投入