【サッカー列伝】「マイアミの奇跡」でゴールを決めた伊東輝悦は未だに現役でした
2016年11月25日 更新

【サッカー列伝】「マイアミの奇跡」でゴールを決めた伊東輝悦は未だに現役でした

'96アトランタ五輪のブラジル戦でマイアミの奇跡を演出した伊東輝悦。彼は未だに現役です。その鉄人を特集します。

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伊東輝悦

伊東輝悦

経歴

ポジションはミッドフィルダー(主にボランチ)。

1974年8月31日生まれ。静岡県出身。身長168cm、体重72kg。

U-23日本代表として、1996年のアトランタオリンピックに出場。グループリーグ初戦のブラジル戦(マイアミの奇跡)でゴールを挙げた。

1997年にA代表デビュー。1998年FIFAワールドカップの代表に選ばれた。国際Aマッチ27試合に出場。

代表

A代表、五輪代表で活躍した

A代表、五輪代表で活躍した

1997年には加茂周監督の下、A代表に初選出される。

1998年のフランスW杯のメンバーにも岡田武史監督の下、選出されたが、試合に出場することはなかった。

フィリップ・トルシエ監督の下では運動量と守備的意識を買われ、ついにレギュラーの座を獲得。

2000年のカールスバーグカップ・メキシコ戦では初のゲームキャプテンを任せられるなど、トルシエ監督から絶大な信頼を得る(合宿終了後にゲームキャプテンから一言と言われた際、寡黙な性格のためか「お疲れ様でした」の一言しか言わなかった)。

しかし、2002年の日韓W杯メンバーには、負傷から復帰した直後のタイミングとなってしまい選出されなかった。
日本代表時代

日本代表時代

マイアミの奇跡

アトランタ五輪の対ブラジル戦で決勝ゴールを決め、世界に「イトー」の名が報じられた「奇跡の男」。

その驚異的なドリブル突破能力から、和製マラドーナと呼ばれたこともある。小柄ながら豊富な運動量を持っており、攻守両面で高い能力を発揮する。代表ではボランチや右サイドをこなす。

アトランタ五輪 ブラジルvs日本

『マイアミの奇跡』 ~日本がブラジルに勝った試合~ - YouTube

後半27分、日本の歴史的ゴールが生まれる。この1点はまさにアクシデントのような形からもたらされた。

左サイドの路木龍次が大きくアーリークロスを上げ、中央に走り込んだ城彰二とGKジダが交錯。こぼれたボールをゴール前に詰めたボランチ・伊東輝悦が無人の蹴り込んだのだ。

「ITO」の名は世界中に打電され、日本サッカー史に深く刻まれることになった。

実は日本サッカー協会のスカウティング部隊は「センターバックのアウダイールとGKジダの間の守りが弱い」と分析していた。

それをもとに、西野監督と山本昌邦ヘッドコーチは「そこを狙ってボールを蹴りこめ」と選手たちに指示を出していた。

ジダのミスが出たことは確かにアクシデントだったかもしれないが、そこを狙えたのは徹底した準備があったから。

「マイアミの奇跡」というのは実は「必然」だったことを我々は改めて再認識すべきだろう。

ポジション変更

アトランタ五輪 西野監督(右)

アトランタ五輪 西野監督(右)

伊東は'95年、20代前半の頃に、プレーヤーとして「最大の転機」という刺激を経験している。

 ボランチへのコンバートだ。それまでは「テルドーナ」「ゴムまりのようなドリブル」と評される天才テクニシャンだったが、時のU-22代表監督、西野朗に転身を促された。

「守備ばっかりするんだろうなと思っていたけど、意外にもそうじゃなかった。『やりたくない』って言えばそれまでだったけど、起用してくれる西野さんの期待に応えたかった」

所属クラブ

清水エスパルス

清水エスパルス

1993~2010年
清水エスパルス

2011~2013年
ヴァンフォーレ甲府

2014~2015年
AC長野パルセイロ

2016年~
ブラウブリッツ秋田
清水エスパルスには、18年間在籍。
自身も静岡県出身なので、まさしく静岡を代表するプレイヤーでした。
エスパルス時代

エスパルス時代

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