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【臼井孝文によるアルバムコメント】
サウンドプロダクション的に一番気に入っています。
この次にフルレンス作っていたら多分X-RAY最高傑作だっただろうと断言できるほどに完成しています。
【1986年2月5日にバンド解散】
X-RAYのラストライブは、2月3日から3デイズで行われました。
入場が滞り開演は遅れに遅れた。前日よりも1.5倍の入場者数だったから当然だろう。
なぜかラストライブは月曜日から始まった。つまり2月5日は水曜日。
湯浅晋は、ラストライブのことを『一生懸命にやったライブだし、メチャメチャ盛り上がったし良いライブだったと思う』と語っていました。
バンドは、他にもシングル1枚、ベストアルバム4枚を発表。そして、オムニバス4枚に参加しています。
バンドは、他にもシングル1枚、ベストアルバム4枚を発表。そして、オムニバス4枚に参加しています。
解散後について
・藤本はその後さまざまなバンドで活動したが、現在は音楽学校の講師として活動している。
・ギタリストの湯浅晋は渡米し、オジー・オズボーンバンドのオーディションを受けていたとのことをYOUNG ・GUITAR誌の記事に書かれていたことがある。現在は日本在住。
・キーボードの藤山高浩は、so-veryと言うバンドを結成し、その独特な世界観を醸し出している。
高橋 和久
OIKOT、Resistance、PUGSなどのバンドに参加。他に大谷レイブン・グループ、野村義男、横道坊主、石田長生、CHAR、人見元基バンド、D.T.R、加川良など数々のセッション活動に参加。現在は多方面なバンド等々に参加、精力的に活動中!
臼井 孝文
X-RAY解散後、一時音楽業界からは引退。
2003年1月24日Hard Rock Summit Special In Osakaにて17年振りにX-RAYのステージに立つ!
2010年 ROCK CHILD等のバンドや近年ROGOZが始動!
ちなみに2003年に大阪で開催されたイベントで、17年ぶりに、約30分間だけ再結成をしています。
天才ギターリストと呼ばれた湯浅晋
ジャパメタ全盛期に登場したこの人、X-RAYの『湯浅 晋』です。ジャパメタを通ってきた人で、この名前を知らない人はいませんよね。
X-RAY自体は業界にツブされるという哀しい末路をたどりますが、湯浅は単身渡米しあのオジー・オズボーンのオーディションを受けます。結果は残念なものでしたが彼の行動力には敬服しますね。
湯浅は少年時代からスゴイ奴で、中学生の身でありながら1人で渡英し、マイケル・シェンカーに会いに行ったこともありました。
湯浅晋のプレイの特徴は、そのあまり歪んでいないスムースでソフトな独特な印象のトーンでの、切れがあってアイデアあふれるテクニカルなバッキング、スケールライクで正確なピッキングの速弾きと泣きのメロも上手く弾ききる歌心とがいい感じで融合したソロプレイだと思います。特にギタートーンについては、当時どうやって作っているのか、わかりませんでした。そういう意味で、非常に個性的です。
via ameblo.jp
湯浅晋は当時上手すぎたんだと思います。彼の当時のプレイを今聞いても、全く古さを感じませんでした。むしろ、現代的なプレイだと、いまの時代のテクニックレベルだと思いました。もう約20年前の演奏です。当時彼は、20歳そこそこ。くぼっち世代とほとんど変わらない年代だったと思います。当時活躍していた年代よりは、5歳くらいは若かったはずです。それが今聞いても色褪せずに聞けるということは、どれだけクオリティの高い演奏だったかを裏付けていると思います。
確かに、ある意味凄すぎたので、コピーする人も少なかったです。当時でも上手い人は、湯浅晋の凄さを語っていたなあ。
関連映像
X-Ray Stardust Way 本家
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東条洋行 2021/3/21 13:51
「ほとんどライブの実績がない状態でデビュー」って、勘違いも甚だしいですねー
ブリザードと間違えているのではないですか?
ぷに 2021/3/19 02:00
音、歌声を聴くと身体の血が騒ぐと同時に懐かしさで涙が出ます。出来るならあの頃に戻って又シャウトしたい😢
ぷに 2021/3/19 01:59
音、歌声を聴くと身体の血が騒ぐと同時に懐かしさで涙が出ます。出来るならあの頃に戻って又シャウトしたい😢
KAT 2020/4/29 17:21
X-RAY最高です