【訃報】門田博光さん死去。74歳
南海、オリックスなどで主砲として活躍し、プロ野球史上3位の通算567本塁打を放った門田博光さんが亡くなったことが分かりました。74歳。近年は病気療養中であることが知られていました。
【訃報】門田博光さんが急死 74歳https://t.co/S9knkccz8S
— ライブドアニュース (@livedoornews) January 24, 2023
親族が明かした。プロ野球歴代3位の通算567本塁打を放った門田さんは兵庫・相生市内で療養中だったが、予定されていた通院治療に現れず、病院から相談を受けた警察官が自宅を訪ねたところ、倒れていた門田さんを見つけた。 pic.twitter.com/Y2A9tFrtAb
1979年にアキレス腱断裂を経験。治療、リハビリを経て復帰後は長距離砲としてスタイルを変え、より一層の活躍をみせてくれた門田さん。「わしはホームランしか狙っていない」と言い放ち、実際にホームランを量産する姿に山田久志さんらチームメイトも脱帽していたと言います。
170cmとプロ野球選手としては小柄な体格ながら、思い切りの良いフルスイングから放たれるホームランにファンは酔いしれました。
170cmとプロ野球選手としては小柄な体格ながら、思い切りの良いフルスイングから放たれるホームランにファンは酔いしれました。
プロフィール
1948年2月26日、山口県生まれ。天理高校出身。
1969年にドラフト2位で南海ホークスへと入団し、2年目に打点120で初の打点王を獲得。ベストナインにも選出されています。
1979年にアキレス腱の大怪我をするも、1981と1983年にはホームラン王を獲得。
さらに1988年には40歳で44本塁打を放ち、本塁打王に再び返り咲きます。40歳という年齢と本塁打数は大リーグにもおらず世界記録となっています。
1989年にオリックスへ移籍後も30本塁打以上を記録。1992年に引退しています。
通算成績は2566安打、567本塁打、1678打点、51盗塁、打率289。
1969年にドラフト2位で南海ホークスへと入団し、2年目に打点120で初の打点王を獲得。ベストナインにも選出されています。
1979年にアキレス腱の大怪我をするも、1981と1983年にはホームラン王を獲得。
さらに1988年には40歳で44本塁打を放ち、本塁打王に再び返り咲きます。40歳という年齢と本塁打数は大リーグにもおらず世界記録となっています。
1989年にオリックスへ移籍後も30本塁打以上を記録。1992年に引退しています。
通算成績は2566安打、567本塁打、1678打点、51盗塁、打率289。
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