「きゅうてぃぱんちょす」から「杉山清貴&オメガトライブ」へ
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ロックバンド「きゅうてぃぱんちょす」で音楽活動をしていた杉山清貴は第18回ヤマハポピュラーソングコンテストに出場しましたが、賞の獲得することができなかったとか。翌年の第19回ヤマハポピュラーソングコンテストで入賞しプロダクションからデビューのオファーがあったのですが、自分たちの音楽の完成度に納得できずプロデビューを断ったという経歴があります。
ちなみに第18回ヤマハポピュラーソングコンテストのグランプリはクリスタルキングが歌う「大都会」、第19回ヤマハのポピュラーソングコンテストのグランプリはSide by Sideが歌う「街が泣いてた」でした。
ちなみに第18回ヤマハポピュラーソングコンテストのグランプリはクリスタルキングが歌う「大都会」、第19回ヤマハのポピュラーソングコンテストのグランプリはSide by Sideが歌う「街が泣いてた」でした。
クリスタルキング 大都会
第18回ヤマハポピュラーソングコンテストグランプリ
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Side by Side 「街が泣いてた」
第19回ヤマハのポピュラーソングコンテストグランプリ
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第19回ヤマハのポピュラーソングコンテストで入賞した曲は「GOSPELの夜」という曲で、きゅうてぃぱんちょすのファンにはメジャーへの道を切り開いた曲として有名な曲です。
きゅうてぃぱんちょすーゴスペルの夜
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R&R SHOW~Feeling HEART-(歌詞あり)-きゅうてぃぱんちょす
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この頃のファンの声として多いのが、ボーカルの杉山清貴の声に惚れたという声です。テレビなどで見ていた杉山清貴はサングラスをして歌うというスタイルだったので素顔の杉山清貴を見れるということの方が珍しいと思うのですが、「杉山清貴&オメガトライブ」から知った人にとってはということのようですね。
のちに「杉山清貴&オメガトライブ」へとバンド名を変更してレコードデビューする運びとなりましたが、この時の条件が「プロによる提供楽曲の演奏を提示」だったので完成度に納得できていなかった杉山清貴としては問題がクリアされたということなのでしょうか。
のちに「杉山清貴&オメガトライブ」へとバンド名を変更してレコードデビューする運びとなりましたが、この時の条件が「プロによる提供楽曲の演奏を提示」だったので完成度に納得できていなかった杉山清貴としては問題がクリアされたということなのでしょうか。
杉山清貴&オメガトライブ
「杉山清貴&オメガトライブ」のメンバーはボーカルに杉山清貴、ギター高島信二と吉田健二、キーボード西原俊次、ドラム廣石恵一、ベース大島孝夫というバランスの取れたバンドでした。
デビュー曲は「SUMMER SUSPICION」という曲でした。この曲で当時のランキング番組としても有名なザ・ベストテンやザ・トップテンにも出演しています。
デビュー曲は「SUMMER SUSPICION」という曲でした。この曲で当時のランキング番組としても有名なザ・ベストテンやザ・トップテンにも出演しています。
SUMMER SUSPICION/杉山清貴&オメガトライブ【公式】
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「杉山清貴&オメガトライブ」としての活動は1980年から1985年までの5年間で終了しています。ですが、その5年間にヒット曲を連発し杉山清貴の名前も有名にしてくれたと言って間違いはありません。
杉山清貴の脱退によりオメガトライブとしてはその後「1986オメガトライブ」、「カルロス・トシキ&オメガトライブ」「ブランニュー・オメガトライブ」へと転身をし番外オメガトライブとして「DOME」や「WEATHER SIDE」などを結成したりしていました。
杉山清貴の脱退によりオメガトライブとしてはその後「1986オメガトライブ」、「カルロス・トシキ&オメガトライブ」「ブランニュー・オメガトライブ」へと転身をし番外オメガトライブとして「DOME」や「WEATHER SIDE」などを結成したりしていました。
ASPHALT LADY 杉山清貴&オメガトライブ
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杉山清貴&オメガトライブ 君のハートはマリンブルー 〔非公式〕
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生年月日:1959年7月17日
デビュー:1983年
ヤマハポピュラーソングコンテスト出場し音楽業界で生きていくことを模索し1983年にデビュー。バンドで成功しソロデビューしヒット曲を数々残す。