明石家さんま 東京かけ落ち事件 芸より愛(オンナ)を取った純愛ラプソティ
2022年2月22日 更新

明石家さんま 東京かけ落ち事件 芸より愛(オンナ)を取った純愛ラプソティ

国民的お笑いヒーロー、明石家さんまは、かつて芸より愛をとった。高校卒業後、プロ入りし、順調に弟子っ子生活を送っていたさんまは1人の女性と出会い、2人で暮らすために東京へ。1度も同棲することなく、パチプロ、無職、フリーターと極貧生活を送った末、女性にフラれ、大阪に戻った爆笑純愛ラプソティ

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さんまは、高校卒業後、毎日、奈良の実家から兵庫県西宮市鳴尾町の笑福亭松之助の家まで90分かけて通った。
そして通い弟子生活に少し慣れていた頃、島田洋之介、今喜多代に弟子入りしていた長谷川公彦にと出会った。
長谷川公彦、後の島田紳助は、花月の楽屋通路で弟子っ子仲間が立ち話をしているのを発見。
その中にひときわ目立ち、ひたすらしゃべりまくる男がいて、
「ラテン系か?
日本にこんだけ陽気なやつおんねや」
と驚いた。
一方、さんまもこちらをジーっとみている男に気づいた。
角刈り頭で分厚い黒色のジャンパー、裾が広がったジーパン、先のとがった革靴を履いた男に
「松之助師匠の弟子になった杉本です。
よろしくお願いします」
と挨拶。
「ああ、どうも長谷川です。
俺も今年入ったばかりで。
よろしく」
「ああ、ほいだら俺ら同期やな。
いつ入ったん?」
「何歳?」
「師匠、誰?
「落語?」
「漫才するために整形したん?」
さんまは一気にまくしたて、自分のしゃべりについてきて的確に返してくる紳助に驚愕。
「コイツ、むちゃくちゃ面白い」
と感じた。
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さんまの同期には、紳助の他に、桂小枝、オール巨人がいた。
最初、たくさんいた同期は、時間の経過と共に減っていった。
「世間は、素人やから許してくれるところがある。
本気で「芸人です」いうた瞬間、ハードルが上がる。
学校の人気者でおもろいといわれて、その気になって吉本入って自信失うヤツぎょうさんおる。
俺はずーーーっと天才やと勘違いして今ここにいます」
(明石家さんま)
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紳助に会った1ヵ月後、大阪、心斎橋のブラザービルで上方落語協会主催の寄席が行われた。
舞台が終わった後、笑福亭松之助は師匠連中と飲みに行ったため、さんまは1人で帰ることになった。
4月だというのに冷たい風が吹き、寒さをこらえながら近鉄難波駅に向かって心斎橋を歩いていると、背後から肩を叩かれた。
振り返るとアフロヘアーの笑福亭鶴瓶がいて
「今から帰んの?」
とダミ声で聞いてきた。
鶴瓶は、松之助が兄貴と慕う6代目笑福亭松鶴の弟子。
入門2年目ながらに、その実力ですでに関西では知られた存在。
この日もトップバッターとしてひと際目立ち、舞台を降りてからも
「今日、客席にキレイな女の子がおったやろ」
といって下半身だけ裸で舞台袖から客席からのぞき、仲間を笑わせていた。
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「自分、杉本いうの?」
「はい」
「いつ入ったん」
「今年の2月です」
「ああ、そう。
どこ出身?」
「奈良です」
「そうなんや。
今日、なんか寒いなあ」
「寒いですね」
鶴瓶は30円の大判焼きを2つ買って、1つをさんまに渡した。
それを頬張りながら自身の付き人時代の失敗談を話してさんまを笑わせた。
鶴瓶の優しさにさんまは感動したが、その後、数十年間、ことあることに
「あのときオゴったよなあ」
といわれ続け、
「30円で一生いわれるんだ」
と後悔。
大判焼きを10個ほど買って鶴瓶の顔にブツけたいと思った。
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笑福亭松之助が自宅に芸人仲間を呼んで飲んでいるときのこと。
「杉本、お前の芸名やけどなァ」
「アッはい」
「お前んとこの家業、魚屋やったなあ」
「エッ、アッはい、水産加工業を」
「加工業か。
どないな魚扱こうとんの」
「さんまの開きを主に・・・・」
「ほなら、さんまや」
「ハッ?」
その場にいた芸人は全員爆笑、さんまはしばし呆然。
さんまに
「紳助って、そんな古臭い名前アカンやろう」
といわれていた島田紳助は
「おお、さんま君。
会いたかったよ。
ええ名前つけてもろうて。
なっさんま君」
といいにいった。
さんまは他の芸人からも散々イジられた。
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さんまは奈良の実家から西宮のアパートの引っ越し。
4畳半1間で家賃は5500円。
部屋に家具はなく、あるのは布団だけ。
トイレットペーパーを節約するために大家の部屋を訪ねてトイレに行き、数回分をせしめた。
そして弟子になって2ヵ月後、異例の早さでデビューを果たした。
新喜劇と並ぶ吉本の定番演劇、コントと歌とダンスで構成される「ポケットミュージカル」で、さんまは、白塗り、女物の着物姿でオカマ役を演じた。
公演は10日間あったが、5日目、慣れてきたさんまは短い出番を終えると、着物の裾をまくり上げて、そそくさと舞台袖に引っ込んだ。
それをみた笑福亭松之助は
「アホか、お前は!
着物の裾まくり上げて歩くオカマがどこにおるねん」
と怒った。
初めて叱られたさんまだったが、その後、漫談でも舞台デビュー。
それは開演前の前座で、ギャラは250円。
まともにをみている客はおらず、最後まで笑いは起きなかった。
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それでも舞台に上がり続けるさんまを、まだデビューしていない島田紳助はジッと観ていた。
紳助は「戦略ノート」をつけていて
「さんまは根っから、心底面白い。
人間疲れたときは面白いこといわれへん。
俺は疲れたり調子悪いと機嫌が悪くなるけど、さんまは熱が出ていてもアホちゃうか思うほど面白い。
俺は後輩がしょうもないこというてもノラへんけどアイツは相手が誰でもノっていく」
「さんまは動。
小枝は静。
静やけど面白い。
売れるとしたらさんまとはまったく違う形になる」
「巨人・阪神は技術がある。
これに技術で対抗したら負ける」
などと同期芸人を分析。
その他、売れている芸人、売れていない芸人、その実力、芸風、将来性など独自にデータ分析。
その上で自分の将来について、いろいろ作戦を立てていた。
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初舞台から3ヵ月後、弟子入り後半年足らずで、さんまは「笑福亭さんま」として落語でもデビュー。
師匠方や吉本の人間もみている中、滑り出しは上々でリズミカルに噺を運んだ。
しかし途中でトンでしまい、少しの間黙った後、着物の襟を直して悪びれることなく
「最初からやらしてもらいます」
といって頭から話し始め、大きな笑いをとった。
温かい拍手を受け仕切り直すと、今度は最後まで話し舞台を終えた。
そして1200円のギャラをもらった。
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さんまは弟子っ子としての仕事や稽古が終わった後、よく奈良に帰って友人に会っていた。
ある日、1番の親友、大西康雄の家に向かっている途中、幼馴染で高校まで一緒だった女性と遭遇。
喫茶店に入り、1時間ほど昔話に花を咲かせた。
女性は、長い黒髪で顔はアン・ルイス似でスタイル抜群。
交際していた男性に何度も暴力を受け、少し前に別れていた。
実家では両親と合わず、外に出ればその男性が現れるのではないかと怯え、心が休まるときがないという。
さんまのトークで笑顔になった女性は
「ああ、何もかも捨てて2人でどこか遠くに行きたいなあ」
といった。
2人は、翌週の同時刻同場所で会うことを約束し、結局、つき合い始めた。
弟子としての仕事や稽古、自分の舞台、芸人仲間との交流、そして女性との交際、睡眠時間がないさんまは、ある日、師匠の子供を子守をしながら寝てしまった。
帰宅した松之助は、誰も出てこないので玄関でわざと大きく咳払い。
「今帰ったで」
師匠の大声にさんまはあわてて起きて出し
「お帰りなさい」
松之助は、日々、やつれていくさんまをみて
(女デキたな)
と思っていた。
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そんなハードな日々を送る中、新人芸人を対象にしたコンテストラジオ番組「ABCフレッシュ寄席ラジオ新人コンクール」への出場が決まった。
勝ち進めば大きく名を売ることができる。
さんまはこの大チャンスを報告しようと女性を夏祭りに誘った。
紺色の浴衣姿できた女性は色っぽくてたまらなかった。
2人は夜店で綿菓子を買い、人ごみを脱け、丘の上の大きな石垣の上に腰かけた。
さんまがABCフレッシュ寄席ラジオ新人コンクールの話を切り出そうとしたとき、女性がつぶやいた。
「やっぱり一緒におるときが1番落ち着くわ。
2人でどっか遠いとこで暮らしたいなあ」
「どっか2人だけで遠くに行こうか?」
「ホンマ?
一緒やったらどこへでもついて行くけわたしは今のままでええよ。
こうしてたまに会えるだけで幸せやから」
この瞬間、さんまは思った。
(コイツを守ってやれるのは俺しかいない)
そしてそのまま石垣でエッチ。
石のせいで膝が痛かった。
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