Jリーグ開幕時と今の違いを振り返る
2016年11月25日 更新

Jリーグ開幕時と今の違いを振り返る

1993年5月に開幕を迎えたサッカー・Jリーグ。これまでは代表戦でさえ閑古鳥が鳴くほどサッカーは低迷しており、クラブチームなどは招待客ばかりだった。それを一変させたのがJリーグ。日本サッカーのターニングポイントともなった1993年から20年強。Jリーグの今と昔の違いを振りかえっていきましょう。

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リーグ開幕時と今の違いを振り返る

1993年5月に開幕を迎えたサッカー・Jリーグ。これまでは代表戦でさえ閑古鳥が鳴くほどサッカーは低迷しており、クラブチームなどは招待客ばかりだった。それを一変させたのがJリーグ。日本サッカーのターニングポイントともなった1993年から20年強。Jリーグの今と昔の違いを振りかえっていきましょう。
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出典 ameblo.jp

93年Jリーグ開幕戦 ① ヴェルディ川崎×横浜マリノス セレモニー編

出典 youtu.be

1993年Jリーグ開幕

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日本プロサッカーリーグ(にほんプロサッカーリーグ、英語: Japan Professional Football League)は、日本のプロサッカーリーグ。略称はJリーグ(ジェイリーグ、英語: J. League)。主催団体は公益財団法人日本サッカー協会(JFA)、公益社団法人日本プロサッカーリーグ。主管団体はJリーグに加盟する各クラブ。

1993年に10クラブで開始し、1998年までは1部のみの「Jリーグ」として最大で18クラブによって開催された。1999年からJリーグ ディビジョン1(現J1リーグ)とJリーグ ディビジョン2(現J2リーグ)の2部制に移行、2014年にJ3リーグ(J3)が創設された。

2016年シーズン開始時点で、日本国内の38都道府県に本拠地を置く53クラブ(J1:18、J2:22、J3:13)が入会、また、日本フットボールリーグ(JFL)などのカテゴリーに属するJリーグ百年構想クラブが7クラブ認定されている。リーグ構成については日本サッカーのリーグ構成 (1種)を参照。

J1リーグの年間最終順位上位原則3チームは、同年度の天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝チームとともに、翌年度のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)出場権を与えられる(J1上位3チームと天皇杯優勝チームが重複した場合は、J1の4位も出場)。
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チーム数

1993年10チーム→2016年56チーム
この20年で最も変化したと言われているのが、チーム数だろう。
鹿島、市原、浦和、横浜M、横浜F、V川崎、清水、名古屋、G大阪、広島のいわゆるオリジナル10と言われる10チームの参戦だったJリーグ。今ではJ1だけで、18チーム。リーグも3部までのJ3まであり、総チーム数は56まで増えている。
ほぼ全国にチームができ、すそ野が広がる一方、チームが多すぎて、良い選手が細分化してしまい、Jリーグ自体のレベル低下も叫ばれている。
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応援スタイル

1993年ミーハー的応援→欧米スタイル
1993年開幕時は、Jリーグはスポーツと言う側面よりトレンド的な扱い。武田や北沢などアイドル的な黄色い声援がスタジアムでは響き、チアホーンがこだましていた。また、紙吹雪なども待っていた。
しかし、鳴り物は禁止され、応援は基本、太鼓と自身の声と言うヨーロッパスタイルのサポーターとなっている。
代表戦では、正直まだまだミーハー的なものも少なくないが、Jリーグサポーターでは、例え勝っても納得できないサッカーだとブーイングするサポーターが増えているなど目が肥えてきている。
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Jリーグ 1993年 鹿島アントラーズ 3x2 川崎ヴェルディ

出典 youtu.be

外国人助っ人の知名度

1993年世界的スタープレイヤーが続々入団→2016年実力重視!結果を出して中東や中国に引き抜かれる
Jリーグ開幕時は、まさにバブル状態。鹿島にはジーコ、名古屋にリネカー、市原にリトバルスキなど世界的なプレイヤーが続々とJリーグに入団。
結果を出した選手、不満が残った選手がいるが、Jリーグにプロ意識を植え付けされたことは間違いない。
今では、あまりお金がないのもあり、成長株の選手などを主に獲得。Jリーグで結果を残した選手がオイルマネーの中東や中国の爆買いで引き抜かれるのが多くなっている。
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