後にアタリショック最大の戦犯にしてクソゲーの象徴ともされることになる「E.T」は、アタリショック後の1983年9月に14台のトラックに満載されてニューメキシコ州アラモゴルド市の砂漠に埋められたと当時ニューヨーク・タイムズで報道されました。
この場所は後に「ビデオゲームの墓場」と呼ばれ、アタリショックとクソゲーの象徴として半ば都市伝説化して後世に語られていましたが、2014年4月に発掘調査が行われ、実在したことが確認されました。。。
この場所は後に「ビデオゲームの墓場」と呼ばれ、アタリショックとクソゲーの象徴として半ば都市伝説化して後世に語られていましたが、2014年4月に発掘調査が行われ、実在したことが確認されました。。。
1982年のクリスマス商戦、市場崩壊の兆しが…
1982年のクリスマス商戦は、かつてないほどの莫大な数のゲーム・ゲーム機が販売されることとなっていましたが、前述のようにすでにユーザーの購買意欲は冷え込んでおり12月8日、アタリ社は1982年度の第4半期の業績予測を下方修正します。
これは投資家に衝撃を与え、当時のアタリ社の親会社であるワーナー・コミュニケーションズまで巻き込み、12月8日から翌12月9日にかけて、株価は大幅下落。競合他社や関連銘柄も煽りを食って軒並み株価の大暴落を引き起こしました。
この1982年のクリスマスはアタリショックの発端とされています。ただし1982年度の市場規模は30億ドルを超えるなど市場は依然大きく、この時点ではまだ市場崩壊と言える状態ではありませんでした。
これは投資家に衝撃を与え、当時のアタリ社の親会社であるワーナー・コミュニケーションズまで巻き込み、12月8日から翌12月9日にかけて、株価は大幅下落。競合他社や関連銘柄も煽りを食って軒並み株価の大暴落を引き起こしました。
この1982年のクリスマスはアタリショックの発端とされています。ただし1982年度の市場規模は30億ドルを超えるなど市場は依然大きく、この時点ではまだ市場崩壊と言える状態ではありませんでした。
値下げラッシュの1983年、そしてアタリ社の終焉
1983年には、全米の小売店の多くが不良在庫のゲームソフトを大量に抱えることに。そして小売店は在庫処分価格でこれらのソフトを販売していきます。この流れで、在庫処分ではない正規のソフトの価格もそれにつられて下げざるを得なくなりアタリ社も値下げに追随。業界は値下げラッシュに入ってしまいました。
それまで大体30ドルだったソフトの販売価格は一気に5ドルにまで下がり、2ドルで販売されるゲームすら登場します。ファミコンソフトが初期の3800円から4500円に順当に値上げされたことと比べると、なんとも悲惨ですね。
ゲームが低価格化したことは当初はユーザーに歓迎されていたものの、やがて買ったソフトがどれもリアルクソゲーという現実に直面し、ゲームから離れていく要因となってしまいました。
販売価格が下がったうえにゲームの売り上げが一気に落ちてゲームメーカーの経営は一気に悪化し、特にアタリ社を直撃します。同社の経営は1983年の第2四半期には極端に悪化し、赤字の止まらないアタリ社のコンシューマ部門は1984年に分割、売却されることとなりました。
それまで大体30ドルだったソフトの販売価格は一気に5ドルにまで下がり、2ドルで販売されるゲームすら登場します。ファミコンソフトが初期の3800円から4500円に順当に値上げされたことと比べると、なんとも悲惨ですね。
ゲームが低価格化したことは当初はユーザーに歓迎されていたものの、やがて買ったソフトがどれもリアルクソゲーという現実に直面し、ゲームから離れていく要因となってしまいました。
販売価格が下がったうえにゲームの売り上げが一気に落ちてゲームメーカーの経営は一気に悪化し、特にアタリ社を直撃します。同社の経営は1983年の第2四半期には極端に悪化し、赤字の止まらないアタリ社のコンシューマ部門は1984年に分割、売却されることとなりました。
北米版ファミコン「NES」で市場が復興
1985年にはファミコン(NES)のキラーソフトとして『スーパーマリオブラザーズ』が発売され、人気に火が付いた。当初は日本製ゲームが主だったNESも、1987年頃より北米サードパーティが続々と参入し、北米家庭用ゲーム市場は1988年に23億ドル(同年末の日本円で約2875億円)、1989年に50億ドル(同年末の日本円で約7150億円)にまで達し、ようやくアタリショックからの復興が成し遂げられた。
海外版ファミコン NES(Nintendo Entertainment System)を知ってますか? - Middle Edge(ミドルエッジ)
日本で、ファミコンが売れていた時代、もちろん海外でも発売されていました、しかし海外仕様は少し違ったのは知っていますか?
なお、本稿ではアタリショックと呼ばれた現象があったことを端的に記したものの、事実関係はもっと複雑に絡み合っている為「クソゲーによってアタリの市場が崩壊した」「アタリの株価が暴落して会社が分割、売却された」と言い切るべきではないとの説もあります。