海の向こうから着た大型扇風機!【ラルフ・ブライアント】の魅力に迫る!
2016年11月25日 更新

海の向こうから着た大型扇風機!【ラルフ・ブライアント】の魅力に迫る!

近鉄のみとは言わず、助っ人外人の名を上げれば必ずと言っていいほど、ブライアントの名はあがるでしょう。メジャーからやってきたラルフ・ブライアントのあの三振は、今でも忘れない豪快なものでした。その三振とは裏腹に度肝を抜かれるホームランも魅力の一つでしょう。近鉄の主砲ブライアントの現在と現役時代をご紹介します。

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大型扇風機と言われ、本塁打量産するラルフ・ブライアント

ラルフ・ブライアント(Ralph Wendell Br...

ラルフ・ブライアント(Ralph Wendell Bryant)

1961年5月20日生まれ
身長185cm、体重94kg
右投げ左打ち
ポジション:外野手

近鉄バッファローズのいてまえ打線の一角を担い、パ・リーグの投手を震え上がらせた一人。本塁打王も3回獲得し、日本球界の本塁打にまつわる記録を打ち立てたスラッガーである。

ラルフ・ブライアントの獲得タイトル・主な表彰と記録

本塁打王:3回 (1989年、1993年、1994年)
打点王:1回 (1993年)

MVP:1回 (1989年)
ベストナイン:3回 (1989年、1993年、1994年)
月間MVP:4回 (1988年8月、1989年7月、1992年5月、1994年7月)
オールスターゲームMVP:1回 (1990年 第1戦)


1試合3本塁打:8回 ※世界記録
シーズン1試合3本塁打:4回 (1989年) ※世界記録
シーズン本塁打率:7.85 (1988年) ※シーズン10本塁打以上で歴代2位
シーズン最多三振:204 (1993年) ※歴代1位

ラルフ・ブライアントのプレースタイルとは。

 (1531787)

細身の体格ながらスイングスピードが非常に速く、強烈なライナーの打球が持ち味だった[要出典]。
しかし豪快な打撃の反面三振が非常に多く、1シーズン200三振以上(204三振、1993年)を記録した日本で唯一の打者である[5]。現役時代はシーズン130試合制であったにもかかわらず、2013年現在においても日本のシーズン三振最多記録の上位4位までをブライアントが独占している。通算三振数は1186で日本プロ野球史上24位(2011年9月現在)だが、三振数上位40名のうち、「出場試合数1000未満でランクインしている(773試合)」「三振数が出場試合数より上回っている」唯一の選手である。あまりの三振の多さのため「ホームランか三振か」「ミスターK」「大型扇風機」と評されたが、その一方でこの三振の多さから敬遠四球を受けることが少なく、本塁打の量産に繋がったと見る向きもある[6][7]。しかしフォークを打つのは非常にうまく、それをセンター前にはじき返すバッティングは一級品と言ってもいいほどのものであった。
外野手としては守備範囲は狭かったが、強肩であった。
近鉄時代の応援歌の原曲は『仮面ライダーV3』のオープニング・テーマ「戦え!仮面ライダーV3」。ブライアント以降は、マリオ・バルデスに使われただけだった。

エディこと、ラルフ・ブライアントの生い立ちと近鉄で花開くまで。

アメリカのジョージア州クレイ郡出身で、大学時代はアメリカンフットボールに夢中の青年でした。ポジションはワイドレシーバーを任されており、1981年のMLB二次ドラフトでドジャースに入団。

その後、1985年にはメジャーにデビューしますが、鳴かず飛ばずでマイナーリーグを行ったり来たりを繰り返します。 メジャーデビューから3年経った1988年に中日ドラゴンズに移籍し日本野球界に来ることになりました。

その頃の中日ドラゴンズは、郭源治とゲーリーが一軍で活躍しており、なかなかブライアントの出番はなかった。日本の変化球に対応できず、二軍でも三振か本塁打の苦悩の日々を過ごしていた。

その矢先に、近鉄バッファローズからの金銭トレードの申し入れがあり、中日のスタッフはブライアントの将来性を高く評価して、放出に反対でしたがブライアントのことを考えてトレードに承諾しました。

猛牛打線に入り、大活躍のラルフ・ブライアント

シーズン途中から、近鉄に入団したブライアントは、中西太コーチの指導の甲斐があり、大型扇風機の華が開くこととなります。その結果、1試合に3ホーマーを2度も記録し、移籍後、わずか74試合で34本塁打を放つなど、近鉄の驚異的な追い上げに貢献しました。

この年の、267打数中34本塁打は、本塁打率7.85で2013年のバレンティンの記録7.32に次ぐ2位の記録であります。
翌年の1989年には、開幕から本塁打の量産体制に入りましたが、6月は22試合連続三振を喫するなど、本塁打も2本と絶不調、チームも首位のオリックスに8.5ゲームも差をつけられ、チームの大ブレーキとなってしまいます。

しかし、7月の1本の本塁打以降、月間で11本と、再び調子を取戻し、ブライアントの復調とともにオリックス、西武と3球団でシーズン終盤まで展開された熾烈なペナント争いを繰り広げました。

最後の西武との天王山、10月12日の西武とのダブルヘッダーは、今も語られる奇跡の4連発が有名なエピソードです。猛牛の一振りで、ライオンを蹴散らした瞬間でもありました。

この年は、49本塁打で本塁打王に輝き、1試合3本塁打の記録も、通算6回の王貞治を超える新記録も樹立し、悲願の近鉄バッファローズ優勝に大きく貢献した年でありました。

プロ野球・ブライアント1試合4HR・1989・10・12. 西武×近鉄・大逆転 - YouTube

中日から近鉄へ移籍し、大活躍したラルフ・ブライアント4HRの動画です。 1989年10月12日西武球場ダブルヘッダーで2試合にわたり記録を達成。 当時も凄かったですが、今 見ても凄いです! バットとボールが、ぶつかる音が凄い。
その後も、猛牛打線の主砲として活躍をつづけたラルフ・ブライアント。

記録もさることながら、記憶に残る活躍をみせてくれました。その一つが、東京ドームの天井スピーカーに当てて、特別グラウンドルールによる本塁打を記録したことでしょう。

設計上、スピーカーに当てることは不可能とされていた場所に直撃する打球を放ったブライアントのこの一打は推定飛距離が160mとされており、現在までは、2008年のズレータと2人だけである。
1992年には、千葉マリンスタジアムの電光掲示板を破壊。1993年には、福岡ドーム公式戦第1号の本塁打を放つなど、本塁打にまつわる記録と記憶が多いスラッガーでした。
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引退後のエディはどうしたの?

2005 06 11 ブライアント 田代富雄 HR競争 - YouTube

引退後は故郷に戻り古本屋を経営していたが、OB戦などで数回来日している。
1999年11月21日、近鉄球団創設50周年記念に大阪ドームで行われた読売ジャイアンツとのOB戦では、両軍唯一の外国人OBとして出場。2002年のモルツドリームマッチでのホームラン競争ではライトスタンドのJ-PHONEの看板を直撃しそうな大ホームランを放った。
2005年には、監督・仰木彬の招聘でオリックス・バファローズの打撃コーチを同年のみ務めた。
同年の交流戦では、横浜スタジアムにて試合前のイベントとして横浜ベイスターズ打撃コーチの田代富雄とホームラン競争を行っている。田代は0本だったが、ブライアントはバックスクリーン横に2発、ライトスタンドに1発の計3本のホームランを放ち、パワー健在を見せ付けた。来日した際ブライアント本人や仰木が語ったところによると、近鉄時代のホームランには1本あたり10万円のインセンティブが付けられていたという。当時の相場は1本100万円であったと言われ、本人は当初「ケタを一つ間違えているのではないかと思った」と語っている。
母国アメリカではIT関連企業の役員を務めており、再婚して妻、娘、息子と4人で暮らしていたものの、現在は再び離婚して静かに余生を送っている。

ラルフ・ブライアントという人物を振り返って

三振の数も、本塁打も稀にみるスピード記録のラルフ・ブライアントですが、みんなの話題にのぼるエディは、今でもこんなにも話されています。
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