フランスW杯直前、Jリーグデビューから11日後の高校生が日本代表デビュー!市川大祐!
2016年11月25日 更新

フランスW杯直前、Jリーグデビューから11日後の高校生が日本代表デビュー!市川大祐!

1998年のフランスワールドカップを前に、高校生ながら代表へ招集された清水エスパルスの市川大祐。同じく10代だった天才・小野伸二と共に日本代表の試合に出場。カズと同じく、惜しくもワールドカップ直前に代表落ちするも日韓ワールドカップで活躍した。

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1998年4月1日、高校生ながら日本代表のピッチに立った市川大祐

日本が「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれる激闘を勝ち抜き、初めてワールドカップに臨んだ1998年。
「ジョホールバルの歓喜」を含む、1997年のアジア最終予選時にはまだJリーグデビューもしていなかった選手が、フランスワールドカップを約2カ月後に控えた時期に招集された。
それが清水エスパルスに所属の市川大祐だった。
清水エスパルスでのデビューは1998年3月21日

清水エスパルスでのデビューは1998年3月21日

その11日後に日本代表でデビュー!
同じく10代だった天才・小野伸二と共に日本代表に選出された市川。
当時、世間は市川の17歳での日本代表デビューに期待を寄せていた。

そして、ついにその時はやってきた。
市川の国際Aマッチデビューは、1998年4月1日エイプリルフール。
ウソではない、17歳の高校生が日本サッカー史上最年少での出場を果たした日である。
フランスワールドカップ直前の岡田監督とチームスタッフ

フランスワールドカップ直前の岡田監督とチームスタッフ

韓国のソウルで行われたアウェイでの日韓戦に出場した市川。
親善試合ではあったが、両チーム共にフランスワールドカップを控え、選手選考も大詰めを迎えていたこともあり、非常にエキサイティングな内容であった。

市川は右サイドをタイミング良く駆け上がり、センタリングを何度も上げ、中田英寿の決定機を演出(惜しくもシュートは外れた)した。また、ゴール前で危うくゴールを奪われるといったシーンで冷静にボールをさばいたり、相手選手に激しい当たりを受け、倒れ込むなど、日韓戦の持つ独特の雰囲気の中でプレイした。

【17歳322日】市川大祐 日本代表最年少デビュー戦 ダイジェスト

高校在学中の17歳322日での出場は、2016年現在でも史上最年少記録である。

市川本人が後年、代表に選出された一報を聞いた時、最初は年代別の代表だと勘違いしたと語っている。
清水エスパルスの強化部長に「フル代表だ」と言われて、「はい? 何言ってるんですか?」と答えたという。

それもそのはず、市川は当時Jリーグに2試合しか出場しておらず、フル出場もなかったのだから。
岡田監督の先見性が光った選考だった。

フランスワールドカップは直前で代表落ち!

1998年のフランスワールドカップを語る際、必ずといっても良いほどに話題が出るエース・カズこと三浦知良の落選。
日本サッカー界に人気と実力で貢献してきたスーパースターの落選は、ワールドカップ初出場に沸く、日本人に大きな衝撃を与え、ワイドショーやニュースは連日そのニュースを伝えていた。

その時、落選したカズと北澤と共に市川も落選をしている。
カズのインパクトがあまりにも大きいため、あまり話題とならなかったが、市川は岡田監督が当初から予定していた通り、チームに帯同し、試合には出られないもチームを裏で支えた。

岡田監督 「外れるのは市川、カズ、三浦カズ、それから北澤、3選手です。」のシーン

日本サッカー界に多大な貢献をしたカズこと三浦知良と北澤豪

日本サッカー界に多大な貢献をしたカズこと三浦知良と北澤豪

2002年、日韓ワールドカップではアシストを決める!

フランスワールドカップで三連敗を喫した日本代表。
2002年に自国と韓国で開催される日韓ワールドカップに向けて、招聘されたフィリップ・トルシエが1998年9月20日、日本代表監督に就任した。
フィリップ・トルシエ監督

フィリップ・トルシエ監督

市川はトルシエ監督が三つの年代を指揮した日本代表チームでは、就任当初から高い信頼と評価を受けていたが、オーバートレーニング症候群を発症し、代表から長期間の離脱を余儀なくされた。
2000年に開催されたシドニーオリンピック本戦にも出場できなかった。

その後、フル代表に復帰。トルシエ監督の信頼を勝ち取り、2002年の日韓ワールドカップの最終メンバーに選出された。
日本代表で活躍する市川大祐

日本代表で活躍する市川大祐

出場したグループリーグ・第3戦のチュニジア戦では、右サイドを駆け上がり、するどいフェイントから、鮮やかなクロスボールを中田英寿に供給。
中田のヘディングでの得点をアシストするなど活躍した。

トルシエの戦術では、サイドを主戦場とする選手が選ばれにくい状況の中、日本代表で唯一本職の右サイドのプレーヤーとして選出されていた。

2002 FIFA ワールドカップ 日本vsチュニジア 中田英寿ゴールシーン

決勝トーナメントで、ベスト8をかけて戦ったトルコ戦。
0-1で敗れてベスト8を逃した際には大粒の涙を流し、トルシエに健闘を称えられた。

その後は、オーバートレーニング症候群やケガなどで安定したコンディションを維持できない事が多く、2006年ドイツワールドカップを目指したジーコ体制以降は代表から遠ざかっていった。
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