【潮崎哲也投手】まるで漫画!【消える魔球】を実際に投げた男!
2021年5月27日 更新

【潮崎哲也投手】まるで漫画!【消える魔球】を実際に投げた男!

1980年代後半から既に黄金時代を築いていた西武に潮崎哲也は入団した。入団1年目から鹿取と共にダブルストッパーを形成。潮崎の活躍は西武を最強の軍団へ進化させたのだ。対戦した打者は言う「本当に球が消えた」と。

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甘いマスクで大人気

鳴門高校時代は甲子園出場を果たせなかった潮崎投手は高校卒業後、社会人の松下電器に入部。そこで実力をつけた潮崎投手は19歳の若さでソウルオリンピックの日本代表チームに選ばれる。そこで野茂英雄、石井丈裕という後のパリーグを代表する選手と共に先発ローテの一角として活躍。
銀メダル獲得に貢献した。そして1989年のオフ西武ライオンズのドラフト1位指名を受けて入団する。

潮崎投手はジャニーズ系の甘いマスクから女性に大人気。1年目からタオルなどのプレゼントが大量に届けられたといいます。
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ちなみに【1980年代の当時の西武の成績】を挙げると…。
1982・83年(日本一)、85年リーグ優勝(日本シリーズで阪神に敗れる)、86、87、88年(日本一)と、正に驚異的だ。ただ、潮崎が入団する前年の1989年は優勝した近鉄、2位のオリックスと0.5ゲーム差の3位に終わります。

優勝した88年も近鉄との激しい優勝争いの中、紙一重でのリーグ優勝。
優勝を逃した89年は僅差で落とした試合も多く、リリーフ陣を早急に整備する必要がありました。
その為に西武は、潮崎選手をドラフト1位指名した同じ年に巨人からストッパーとして実績十分の鹿取投手をトレードで獲得していました。
つまり、潮崎投手は王者・西武が「猛牛打線」の近鉄、「ブルーサンダー打線」オリックスらに飲み込まれようとしていた時に指名されたのです。
新人で8連続奪三振を記録

新人で8連続奪三振を記録

潮崎選手は入団一年目から一軍入り。リリーフ陣の一角を占めると、7月5日に行われた対オリックス戦では、門田博光ら「ブルーサンダー打線」を相手に、8連続奪三振を記録。鹿取投手と共に「ダブルストッパー」を形成していくのです。

彼の右腕から放たれた球は本当に消えた!

潮崎投手のキメ球はサイドスローから投げる150km/h近い速球と全く同じフォームから130km/h台のスライダー。これだけでも厄介なのに、さらに100km/h前後の球速で50cm近くも沈むシンカーは「消える魔球」と呼ばれ、パリーグの強打者達に恐れらました。
ベテランになっても美しいサイドスロー

ベテランになっても美しいサイドスロー

バッターボックスで対戦した打者だけでなく、当時一塁の守備位置から潮崎投手の投球を見ていた清原選手はこう語っています。
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「消える魔球」と呼ばれた潮崎投手のシンカーを動画でご覧下さい。
(1998年横浜ベイスターズと対戦した際の日本シリーズにて)

潮崎哲也のシンカー

黄金時代の西武を支える

ここで、潮崎選手在籍中(1990年~2004年)の西武の成績を見てみましょう。
90、91、92(日本一)、93(リーグ優・ヤクルトに負)、94(リーグ優・巨人に負)…つまりリーグ5連覇。
97(リーグ優・ヤクルトに負)、98(リーグ優・横浜に負)・・・パリーグ2連覇。
2002(リーグ優・巨人に負)、2004(パリーグ2位からプレーオフで日本シリーズに進出し、日本一)。
潮崎投手は、この最強西武ライオンズの中心選手として優勝に貢献し続けたのです。

1990年の日本シリーズにて

潮崎投手は入団1年目から日本シリーズを経験。さらに「胴上げ投手」にもなっているのですが・・・。その時の模様がこの様に漫画になっています。巨人の駒田選手をピッチャーゴロに打ち取り、打球が自分のグラブに入った時点でガッツポーズ…。「早く一塁に投げろ!」というのは、ご愛嬌…という事で。
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西武の選手達が日本一を決め、ペナントをもって場内一周…。
こんな光景が当時毎年の様に見られました。
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