UWF vs 新日本プロレス 新日本プロレスに戻ったUWFはプロレス最強神話を終わらせた。
2022年7月18日 更新

UWF vs 新日本プロレス 新日本プロレスに戻ったUWFはプロレス最強神話を終わらせた。

経営難のために新日本プロレスに出戻ったUWF。両団体は己のスタイルを貫き、抗争を繰り広げた。中でも前田日明は、アンドレ・ザ・ジャイアント、藤波辰巳、長州力を血祭りにあげた上、キックボクサー、ドン・ナカヤ・ニールセンとの異種格闘技戦も劇的に勝利。アントニオ猪木に代わる「新格闘王」という称号を得た。

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前田日明vs 佐山聡

1985年9月2日、大阪府立臨海スポーツセンターで行われたスーパータイガー(佐山聡) vs 前田日明はケンカマッチとなり、結局、1985年9月11日に第1次UWFが崩壊。
UWFの浦田昇社長は、新日本プロレス、全日本プロレスとの業務提携を模索。
全日本プロレスは、前田日明と高田延彦を要求したが、本人たちが全員ではないことを理由に断った。
1985年11月25日、UWFスタッフは、血判状を作成し、浦田昇社長に退陣を迫った。
浦田昇社長にとって、これが2枚目の血判状。
1枚目はUWFを旗揚げした張本人、元新日本プロレス営業本部長の新間寿が、たった5回興行をしただけで
「新日本プロレスと提携しよう」
といったため、スタッフが
「どうしてですか?」
「なんでやめるんですか?」
と反対し、UWFの継続を訴えるために血判状をつくって浦田昇社長に提出。
そして1年半後、同じスタッフたちによって2枚目が叩きつけられたのである。
「私が事件を起こしたからスポンサーがつかない。
だから辞めてくれと。
いやいや、願ってもないことで(笑)」
浦田昇はUWFの借金2億円を引き取って、潔く辞めた。
1985年12月6日、両国国技館で行われたアントニオ猪木&坂口征二 vs 藤波辰巳&木村健悟のリングに、藤原喜明、前田日明、高田延彦、木戸修、山崎一夫らUWF勢がスーツ姿で登場。
26歳の前田日明は、新日本プロレスの4人のトップ選手に睨まれながら
「この1年半UWFの戦いがなんであったかを確認するために新日本に来ました」
と挨拶。
そして猪木が
「よし!
一緒に頑張ろう」
というと全員が握手を交わした。
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年が明けるとアントニオ猪木への挑戦権を賭け、UWFの5選手による「UWF代表者決定リーグ戦」が開始。
猪木は控室のモニターで観ながら、いきなり組まずにキックボクシングに構えるUWFのスタイルを
「あの構えが嫌なんだよ」
といった。
1986年2月5日、リーグ戦を勝ち抜いた藤原喜明と前田日明が対決。
最後は前田が藤原にスリーパーを、藤原は前田にレッグロックを極め、藤原が口から泡を吐いて失神寸前になったとき、前田もタップ。
レフリーは藤原の勝利を宣告。
翌日、両国国技館でアントニオ猪木と藤原喜明が対戦。
猪木は急所への蹴りや顔面へのパンチなどでラフに攻め、最後は藤原は絞め落とした。
直後、前田がリングに乱入。
勝ち名乗りを上げる猪木に不意打ちのハイキックを見舞ってダウンさせ、
「アントニオ猪木なら何をやっても許されるのか」
と吠えた。
これがきっかけとなって新日本とUWFは全面抗争に突入。
UWF勢はUWFのスタイルを、新日本プロレスも自らのスタイルで貫き、異なるスタイルが交錯するスリリングな展開に、タイガーマスク(佐山聡)や長州力らの離脱で落ちていた新日本プロレス人気に再び火がつき、古舘伊知郎は
「闘いのカムバックサーモン現象」
と表現した。
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猪木vs 藤原戦から1ヵ月半後の3月26日、
アントニオ猪木、藤波辰巳、木村健悟、星野勘太郎、上田馬之助 vs 藤原喜明、前田日明、高田延彦、木戸修、山崎一夫の5対5マッチが行われ、UWF復帰後、初めて猪木と前田がと対峙。
両陣営の選手が交互に各々のテーマ曲で入場したが、前田がキャプチュードで入場している最中、妨害するように猪木コールが起こった。
プロレスファンはプロレスが八百長であることを知っている。
そして真剣勝負をしている格闘技にコンプレックスを持っている。
しかし心のオアシスであるプロレスを愛し、プロレスラーの強さを信じていた。
試合のルールは、フォール、ギブアップ、そしてUFW側が場外戦を拒否したためにリングの外に落ちた選手が負けとなって抜けていき、最終的にリングで生き残ったほうが勝ち。
山崎一夫はキックで木村健悟を追い込みながらも一瞬で背後をとられ、逆さ押さえ込みで負けた。
藤原は猪木をワキ固めで攻め、代わって入ってきた星野勘太郎にもパイルドライバー、さらにアキレス腱固めを極めてギブアップ勝ち。
前田は木村健悟をフライング・ニールキックで場外に落とした。
藤原は藤波辰巳の背中に密着しスリーパーをしかけ、両者場外に転落。
残るのはUWFが、前田、高田、木戸の3人、新日本プロレスは、猪木、上田の2人。
そして上田が前田と対戦。
前田はミドルキックからハイキック。
上田これをモロにもらいながら倒れずに足をつかんでグランドに引きずり込み、そのまま場外に心中。
1人だけになった猪木は、延髄斬りからスリーパーで高田からギブアップを奪った。
すかさず飛び込んできた木戸は、パンチ、キックからバックドロップ、ネックブリーカーと攻めたが、猪木はジャンプしての延髄斬りからフォールし、3カウントを奪った。
33分38秒の熱戦に観客は大興奮した。
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抗争が激化する中、UWFと新日本プロレスは、日頃、それぞれの道場で練習。
そして試合場で一緒になると一気に空気が張り詰めさせた。
中野龍雄、安生洋二、宮戸優光らUWFの若手は、息が詰まるような緊張感の中、礼儀として目があったりすれ違うときは、必ず新日本プロレスの選手に挨拶をした。
人によってリアクションは様々だったが、蝶野正洋には向こうから先に
「お疲れ様です」
と挨拶され、アントニオ猪木にも
「お前たち、今は大変だろうけど、そのうちにいいことがあるからな」
と声をかけてもらった。

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藤原喜明、髙田延彦、木戸修、山崎一夫は、UWFスタイルを崩さずにうまく通常のプロレスに合わせることができた。
しかしできないのかやらないのか、前田日明は絶対に戦い方を変えなかった。
「死んでしまうんじゃないか客に思わせるような技をかけつつ、絶対に相手をケガさせない」
というプロレスのルールを守らず、容赦なく蹴りを顔面に叩き込んで、嫌がられ
「前田はいつか潰される」
という噂が流れるようになった。
上田馬之助は何度も前田のところにいって
「プロレスはな、こうなんだよ」
と諭したがいうことをきかなかった。
前田日明が新日本プロレスから
「2日後にアンドレと戦え」
といわれたとき、全員が
「これは絶対に制裁マッチだ」
と思った。
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1986年4月29日、三重県、津市体育館で前田日明 vsアンドレ・ザ・ジャイアントという夢の対決が実現した。
試合前、前田の控室で新日本プロレスのレフリー、ミスター高橋がいった。
「気をつけろよ。
アンドレが今日、お前を潰すっていってるぞ。
レフリーもヤツのマネージャーがやるそうだ。
だからオレは今日、お前の試合に立ち会えないんだ。
悪いけど、そういうことになったから」
「どうすればいいんですか?!」
「アンドレが何もいわないんだから、知らないよ」
ミスター高橋はそういって去った。
前田は半信半疑だった。
アンドレに恨みを買うような覚えはなかった。

Not My Business

ゴングが鳴ると前田はタックルにいったが上から潰された。
尻餅をついた前田に対し、アンドレはそのまま223cm、236kgの巨体で上からのしかかり、前田の体は不自然に曲がった。
その後もエルボーを側頭部に入れたり、指で眼球を触ったり、アキレス腱固めをかけられると顔を蹴ったり、ラフな攻撃をしてくるアンドレに前田は距離をとりながら戦い、セコンドの星野勘太郎に
「行っていいんですか」
と確認したが
「俺に聞くな」
といわれた。
控室で試合をみていた猪木も試合場へ。
新日本プロレスのレスラーも続いたが、反対側の控室からUWF勢も出てきており、リングから離れた試合場の壁で両陣営は対峙。
藤原喜明はリング下に走り、
「何してんだ。
早くいけ! 
殺されるぞ!」
と叫んだ。
すると前田はようやく攻め出し、アンドレの膝を壊すようなキックを連発。
アンドレは一気にテンションを下げてまったく攻めなくなり、試合は異様な状態が続き、観客からブーイングも起こり始めた。
猪木がリングに乱入しかけてレフリーをしていたアンドレのマネージャー、フレンチ・バーナードに止められたり、藤原喜明がアンドレのセコンドに詰め寄ったり、場外でもアクシデントが連発。
最後はアンドレがリングに大の字に寝転んで戦意喪失をアピール。
薄笑いしながら
「It`s Not My Business」
といった。
前田はトドメを刺そうと思えば刺せたが
「セメントになるならなるで仕方ない。
でも潰したら、自分やUWFの品が下がって、もうTVで使ってもらえなくなる。
だからちゃんと試合を成立させないと」
と思い、ガマンした。
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「前田、勝負だ、勝負だ」
といって猪木がリングに乱入。
すするとUWF勢もリングに入り、猪木に突っかかり、新日本プロレス勢と揉み合いになった。
試合結果は、26分35秒、ノーコンテスト。
客は異様な雰囲気に騒然としていたが、レスラーたちにも変な空気が流れていた。
テンションがイッテしまった前田は退場するとき、何の罪もない安生洋二の頭をひっぱたき、高田延彦も非常に機嫌が悪く、以降、前田と口を利かなくなった。
UWFの控室に気まずい空気が流れる中、シャワーを浴びていた前田は、猪木に、
「あれでいいんだ。
レスラーは舐められちゃいけない」
と声をかけられたが、翌日、新日本から無期限出場停止処分となった。
この前田vsアンドレ戦は、テレビ朝日が古舘伊知郎の実況で収録していたが、放送されずお蔵入り。
しかしスポーツ新聞や「週刊プロレス」、「週刊ゴング」は試合の一部始終を報道。
東京スポーツは、1面トップ、写真入りで
「大巨人、ナゾの試合拒否」
という見出しをつけた。
なぜアンドレはセメントを仕掛けたのか?
まず考えるのは新日本プロレスによる潰し説。
(このときの試合のマッチメーカーは、坂口征二、藤波辰巳、レフリーのミスター高橋の3人)、
もう1つは、アンドレが個人的にやったという説。
これは3週間、日本で楽しく働こうとしているところ、外国人レスラー仲間が、前田日明に蹴られケガをさせられ、怒ったアンドレが制裁を加えようとしたというもの。
しかし真相は不明。
 (2411111)

アンドレ戦から約1ヵ月後の6月12日、前田日明と藤波辰巳と対戦。
藤波は前田のキックを真っ向から受けた。
前田はコーナーの藤波に縦回転のニールキックを放って、踵が藤波こめかみを直撃し大流血。
最後はフライングニールキックと藤波のレッグラリアットが空中で交錯し、両者後頭部から落ちて両者KOでドロー。
前田は
「無人島と思っていたら、そこに仲間がいた」
と称えたが、藤波は病院で7針を縫い、以後、欠場。
看板選手をケガさせられた新日本プロレスの前田を見る目はさらに厳しくなり、孤独な無人島暮らしは続いた。

前ドン

アンドレ戦から4ヵ月後、10月9日、両国国技館、前田日明はドン・ナカヤ・ニールセンという日系3世のアメリカ人キックボクサーと対戦。
前田は通常より10kg軽い106kgだったが、それでもニールセンより20kg以上重く、パワーでは圧倒的に有利。
キックボクサーの攻撃を浴び続けた末、5R、2分26秒、逆方エビ固めでギブアップを奪い、感動的な逆転勝利を収めた。
この後、メインイベントで、アントニオ猪木 vs ボクシング元ヘビー級チャンピオン、「モハメド・アリを破った男」レオン・スピンクス戦が行われた。
レフリーはガッツ石松。
3分12R。
モハメド・アリ戦と違い、キックOK、投げOK、寝技も10秒ならOK、関節技禁止、フォールは5カウントというルール。
猪木は3Rまでグローブをつけて戦い、アリキック、延髄斬りを命中させたが、スピンクスのパンチで4度のダウンした。
4R、猪木はグローブを外したが、5R、不用意に放ったハイキックの直後にスピンクスのストレートを顔面にもらって5度目のダウン。
7R、猪木は反則の関節技、腕ひしぎ十字固めを仕掛け、形勢逆転。
8R、バックを取った猪木がバックドロップを狙ったがスピンクスは投げられまいとロープにしがみついて阻止。
そのままグラウンドに移行し猪木がスピンクスを押さえ込み、5カウントが入ってフォール勝ち。
その間、スピンクスは逃げる気ゼロで、まったく動かなかった。
実況解説をしていた山本小鉄が
「レスラーに押さえ込まれたらボクサーは返せないですよ」
といったがゲストの石橋貴明が
「これは納得できませんねえ」
と発言。
やはり異種格闘技戦でフォール勝ちは不自然で、KOかギブアップで終わらなくてはならない。
多くのファンが石橋と同じ気持ちだった。
猪木vsスピンクス戦が凡戦になったことで、前田vsニールセン戦は光った。
週刊プロレスは表紙に
「10.9を救ったのは格闘王前田だ!」
という見出しをつけた。
この2大異種格闘技戦によってで、前田日明は
「アントニオ猪木の後継者」
「新格闘王」
といわれるようになった。
まだに世代交代だった。
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