【WWF/WWEの絶対的ヒール】残忍なる知能犯、ザ・ゲームと呼ばれるHHH(トリプルH)!
2016年11月25日 更新

【WWF/WWEの絶対的ヒール】残忍なる知能犯、ザ・ゲームと呼ばれるHHH(トリプルH)!

「ザ・ゲーム」WWF/WWEは彼がいなければ始まらない。圧倒的ヒールとして君臨し続ける一方、WWEの団体経営にも力を注ぐHHH(トリプルH)のプロレスキャリアを振り返ってみたい。

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史上最強のヒールレスラー「HHH」

Triple H Entrance Video - YouTube

冷酷無比な圧倒的ヒール

冷酷無比な圧倒的ヒール

残忍なる知能犯

ザ・ゲーム

王者の中の王者

知的な暗殺者

HHH(トリプルH)について

ザ・ゲーム (The Game)

ザ・ゲーム (The Game)

トリプルH(Triple H <Hunter Hearst Helmsley>、1969年7月27日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。
本名:ポール・マイケル・レヴェック(Paul Michael Levesque)。ニューハンプシャー州ナシュア生まれ。
WWE所属、同社タレント部門兼ライブ・イベント部門兼ストーリー部門最高執行役員。

正式のリングネームはハンター・ハースト・ヘルムスリー(Hunter Hearst Helmsley)だが、頭文字をとってトリプルHと略して表記、呼称される(J SPORTSのWWE系番組の字幕では、一行あたりの文字数制限のためHHHと表記されている)。公式プロフィールではコネチカット州グリニッチ出身。
ほぼ一貫してヒールレスラーであり、ヒールにとっては勲章とも言える観客から浴びるブーイングは他のレスラーと比べ物にならないほど多かった(そしてまた、その裏に込められた賞賛の意も)。

レスラーとしての実力も彼のファンから絶賛されリック・フレアーの後継者を自称しており、特に相手の技を受けた時の動き(受身)にはついては「芸術」とも一部ファンから評されている。

2011年頃からは、主にWWEの経営者側の代表として非情な権力を振るうヒールとして活動しており、レスラーとしてリングに立つ頻度は少なくなっている。

ニックネームは「残忍な知能犯 or 知的な暗殺者 (Cerebral Assassin)」「ザ・ゲーム (The Game)」「王者の中の王者 (The King of Kings)」など。

WWFにおけるHHHのプロレスキャリア

1995-2001

1995-2001

WWFでは1995年5月に、コネチカット州の似非貴族のギミックでデビュー。
リングネームもハンター・ハースト・ヘルムスリー (Hunter Hearst Helmsley) に改名した。当初はアーカンソーの養豚農夫をギミックにしていたヘンリー・O・ゴッドウィンと抗争を展開。
翌年のWrestleMania XIIではアルティメット・ウォリアーの対戦相手としてレッスルマニア初出場。バックステージではクリックのメンバーとなり、5月19日のカーテンコール (Curtain Call) と呼ばれる事件をきっかけにマネージメントの怒りを買ったが、10月には初のIC王座を獲得。

1997年、キング・オブ・ザ・リングでの優勝後、ショーン・マイケルズ、チャイナと共にD-ジェネレーションX(略称DX)を結成、トップレスラーの仲間入りを果たした。略称のトリプルHの呼称を使うようになったのもこの頃からである。

その後、DXは次第にベビーフェイス的人気を得るようになったが、トリプルH自身はDXを裏切り1999年にヒール転向、WWF世界ヘビー級王座戦線に参入してザ・ロックらとの抗争に入る。8月23日にはマンカインドを下しWWF世界ヘビー級王座を初戴冠。WWF社長ビンス・マクマホンと抗争を開始し、彼に王座を奪われるも王座決定戦を制し奪回に成功。

11月14日"ビッグ・ショー" ポール・ワイトによって再び王座から陥落するが、11月29日、まだ清純派役だったステファニー・マクマホンとストーリー上強引に結婚し、ビンスとの遺恨をさらに深める。翌月ステファニーが父を裏切りトリプルHと組んだことで、いわゆる「性悪夫婦」が誕生しWWFにおける支配体制を確立した。

その後もプッシュの勢いは止まらず王座を巡りロック、更には妻ステファニーの『不倫相手』カート・アングルと激しい抗争を展開、9月からはもう一人のWWFの絶対のヒーロー、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンとの抗争を繰り広げ、2001年のスリー・ステージ・オブ・ヘル戦ではWWE史に残る名勝負を演じた。

WrestleMania X-Sevenでは前年5月以来の因縁を引きずるジ・アンダーテイカーに挑戦して敗れるも、これは名勝負揃いの同大会中でも出色の強い試合であった。完全にWWFの顔役となり全てがうまく行っているかに見えたが、5月21日のRAWにてオースチンとのタッグでクリス・ベノワ&クリス・ジェリコ組を相手にタッグ王座の防衛戦中、左脚の大腿四頭筋を断裂する重傷を負い、長期欠場を余儀なくされる。

Stone Cold vs Triple H - Survivor Series 2000 Highlights HD - YouTube

2002-2006

2002-2006

2002年1月、ロイヤルランブルのロイヤルランブル戦で復帰、優勝を果たしWrestleMania X8での王座挑戦権を獲得。2月にはステファニーと『離婚』し、レッスルマニアでは彼女と組んだクリス・ジェリコを下してWWF統一ヘビー級王座を獲得。
以降は王座戦線の絶対的な主役として「負けそうで絶対に負けない王者」として君臨する。

引き続きRAWでの中心的キャラクターであり続けたが、この時期はトリプルHのファン達からは不遇の時期ととられている。この頃抗争したスコット・スタイナー、ケビン・ナッシュやゴールドバーグ等元WCWのメインイベンターたちは、タイプ的には不器用な選手が多く、彼の技術を持ってしても名勝負は生まれず。

2004年、ショーン・マイケルズとの抗争が復活し、さらにWrestleMania XXでクリス・ベノワに敗れて王座を手放してからはベノワとも抗争を開始。しかしマイケルズと争って王座を自分の手で取り返す前にサマースラムでエボリューションのメンバーのオートンがベノワに勝利し王座戴冠となる。

この事からオートンに嫉妬し王座奪取記念の祝賀会で、バティスタとフレアー同意のうえでオートンを裏切り暴行、エボリューションから追放する。以降はエボリューションとオートン、ベノワ、ジェリコ等ベビーのスーパースター軍との抗争がRAWのメインストーリーとなる。

2005年2月4日(米国での放送は2月7日)に開催されたWWE初の日本でのテレビショーROAD TO WRESTLEMANIA 21 JAPAN TOUR・さいたまスーパーアリーナ大会で、エッジとの世界ヘビー級選手権試合としてメインイベンターを務め勝利。
試合後、「お前達(ファン)がWWEだ」というメッセージを残し、大会を締めた。

WrestleMania 21でバティスタに王座を奪われた後もバックラッシュ、ヴェンジャンスで再挑戦するがいずれも敗北。以降疲労から長期休養に入り、またフレアーもベビーターンしたためエボリューションは消滅した。

10月のWWEホームカミングにてフレアーとのタッグで復帰。しかしすぐさま盟友フレアーに背信行為を働き、抗争を開始。タブー・チューズデイで敗れたが、翌月に行われたサバイバー・シリーズでのラストマン・スタンディング・マッチでは勝利を収める。ニュー・イヤーズ・レボリューションでビッグ・ショーに勝利した後、RAWで数週間に渡って開催されたWWE王座挑戦者決定トーナメントで優勝しWrestleMania 22でジョン・シナと対戦するが敗れる。

Booker.T vs. HHH-World Title Pt.1 - YouTube

2007-2010

2007-2010

夏頃よりトリプルHの復帰告知が始まり、これにキング・ブッカーが反感を示すストーリーが組まれる。サマースラムにて『"King"の称号』を巡りトリプルH対キング・ブッカーの対戦が行われ、復帰を勝利で飾る。
2008年、2月のノー・ウェイ・アウトのチェンバー戦に勝利し、WrestleMania XXIVではオートン、ジョン・シナとの3つ巴のWWE王座戦に挑むが勝利を逃す。翌日のRAWではリック・フレアーの引退式のプレゼンターを務めた。

4月のバックラッシュにてオートン、シナ、JBLとのフェイタル4ウェイ・エリミネーション形式王座戦を制し12度目の王座を獲得。その後行われたドラフトによって2ブランド制以降初めてとなるスマックダウンへの移籍が決定。シナとのナイト・オブ・チャンピオンズでの防衛戦に勝利したため、WWE王座と共に移籍となる。

スマックダウン移籍以降は主にエッジなどと抗争。11月のサバイバー・シリーズではジェフ・ハーディー、ウラジミール・コズロフと三つ巴のWWE王座防衛戦の予定が、当日ジェフが何者かの襲撃に遭い病院へ搬送されたため試合開始から暫くコズロフとシングル戦で対決。

しかし試合途中でヴィッキー・ゲレロが現れサマースラムにおいてジ・アンダーテイカーに火葬されて以降休養していたエッジを参戦。更に病院に搬送されたはずのジェフが乱入。そしてジェフがエッジに放ったイス攻撃がトリプルHに誤爆してしまい、そのままエッジにWWE王座を奪取された。

アルマゲドンではエッジ、ジェフとの三つ巴のWWE王座戦で王座奪還を狙うも敗れ、ジェフが初載冠となる。

2009年に入り、ロイヤルランブルではレガシーの援護もあったランディ・オートンに優勝を奪われるが、その後のノー・ウェイ・アウトでエリミネーション・チェンバー・マッチで13度目の戴冠となるWWE王座を獲得。

4月のドラフトでWWE王者のままRAWへ復帰。移籍後もオートンと抗争を続けるが4月26日のバックラッシュでのオートン&レガシー対トリプルH&バティスタ&シェイン・マクマホンの変則WWE王座戦にてオートンのパントキックを受け王座陥落、休場に入る。

その後6月に復帰、オートンにレガシーの介入で敗れてからは王座戦線から離れショーン・マイケルズとD-ジェネレーションXを再結成、レガシーのテッド・デビアスJrとコーディ・ローデスにターゲットを変更する。この抗争はヘル・イン・ア・セルで勝利し決着した。またこの頃DXグッズに身を包みDXの真似事をするホーンスワグルを煙たがっていたが最後には根負けしホーンスワグルをDXの公式マスコットとした。

12月のTLC:テーブルズ・ラダーズ・アンド・チェアーズではクリス・ジェリコ&ビッグ・ショーに勝利し統一タッグ王座を獲得。

2010年、マイケルズがレッスルマニアでのジ・アンダーテイカーとの再戦に固執し始めたことでチームワークが乱れ始め、2月のRAWでは息が合わず、ミスを連発しタッグ王座を失う。その後マイケルズと揉めたもののすぐに和解しテイカーへの挑戦に理解を示した。

エリミネーション・チェンバーではWWE王座奪回に挑むが敗れる。この試合でトリプルHにより敗退させられたシェイマスとの遺恨でWrestleMania XXVIで対決し勝利。翌日のRAWではテイカーに敗れ引退が決まったマイケルズのスピーチに現れ抱擁した。

バックステージ

HHHのバックステージ

HHHのバックステージ

DXの仲間であったチャイナとはプライベートで恋人同士であった。チャイナは2人が婚約していたと主張し、トリプルHがドラマ上で夫婦を演じていたステファニー・マクマホンが彼を奪ったのだと非難したが、実際には、トリプルHとチャイナは2000年には既に破局を迎えていた(2000年出版のチャイナの自伝「If They Only Knew」にトリプルHとの破局が既に書かれている)。

ステファニーとトリプルHが現実に恋愛関係に発展したのは2001年以後である。トリプルHはストーリー上では2002年に離婚したステファニーと実際に2003年秋に結婚。マクマホン・ファミリーの一員となったことで、WWE幹部としてプロデューサーも務め、会社内の発言力を持つようになった。

スマックダウンのジ・アンダーテイカー同様、RAWのバックステージではボス格(選手会長的な立場)として知られている。選手の面倒見もよいが、好き嫌いがはっきり別れるようで彼に「もう戦いたくない」と嫌われるとWWEでの出世の道は断たれるという説もある。

ベテランとなった現在では若手(年齢というよりキャリア)世代を熱心に指導しており、自身が肩入れするシェイマス、ドリュー・マッキンタイアなど現在WWEでの実績が希薄な選手に活躍の場が多く与えられているのは彼の影響があると考えられている。

自分なりに長年構築してきた独自のプロ意識を持っていることで知られる。リアリティ企画のタフイナフにおいて自身の業界への愛情を候補生たちに熱く語っており、その番組内で部屋にビル・ゴールドバーグのポスターを貼った候補生とゴールドバーグについて「この業界は楽じゃない。腹が痛かろうが、爪が痛かろうが絶対にリングに上がらなくてはいけないんだ。トップレスラーでありながら三ヶ月休む時間が必要だ、ストーリーラインが気に入らないからTVショーにも出ないなんてことを平気で言う奴を尊敬する奴はこの団体にはいらない」と今なお彼を執拗に非難している描写があった。
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